木曽海道六十九次(きそかいどうろくじゅうきゅうつぎ)は、天保6- 8年(1835-1837年)頃、浮世絵師・渓斎英泉および歌川広重により描かれた浮世絵木版画の連作。図版の表記どおり「街道」ではなく「海道」として記載する。
江戸・日本橋と京・三条大橋を結ぶ中山道の69カ所の宿場、出発地点の日本橋の合計70枚で構成されている。
当初この連作を刊行したのは東海道五十三次を出版した保永堂(竹内孫八)であった。途中からは錦樹堂(伊勢屋利兵衛)が携わるようになり、保永堂との合版を経て錦樹堂の単独出版となり。完結後は、版権は錦橋堂(山田屋庄次郎)へと移った。[2]
中山道の宿場数は69であるが、この連作では出発地の日本橋を1番とし、最後の大津宿を70番とする朱印が入っている。
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