望月 一仁(もちづき かずひと、1957年12月1日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
静岡県自動車工業高校(現:静岡北高校)を卒業後、アマチュアの清水クラブを経て、ヤマハ発動機サッカー部(現・ジュビロ磐田)に入部。前線からの積極的な守備が持ち味のFWとして活躍し、日本サッカーリーグ1部昇格や天皇杯優勝にも貢献。1986年に現役を引退した。
引退後はヤマハやジュビロ磐田のアカデミーの監督やナショナルトレセンコーチを経て、2005年から当時日本フットボールリーグ所属だった愛媛FCの監督に就任。同年に日本フットボールリーグ優勝。2006年からのJ2でも愛媛を指揮。成績は2006年の9位となったが、2008年に15クラブ中14位、2009年も18クラブ中15位と低迷し、同年9月に、成績不振により解任された。
2010年にユース及びジュニアユース世代の育成責任者として磐田へ復帰。
2014年、アスルクラロ沼津の監督に就任[2] したが、1年で監督を退任した。
2015年よりヴァンラーレ八戸監督に就任[1]。1stステージでヴァンラーレ八戸の1位の結果を残した。
2017年よりサウルコス福井の監督に就任した[3]。
2019年より福井ユナイテッドFCの監督に就任した。
2020年よりカマタマーレ讃岐の監督に就任した[4]が、契約満了により2020年シーズンをもって退任した[5]。
2022年より沼津の強化部長に就任。同年8月23日に今井雅隆が解任されたことを受けて、暫定的に監督を兼務すると発表された[6]。
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