最低賃金法(さいていちんぎんほう、昭和34年4月15日法律第137号)は、最低賃金制度等に関する日本の法律である。
労働基準法において定めていた最低賃金制度を独立させ、業者間協定などで業種別最低賃金を定める形で[注釈 1]、1959年4月15日に公布された。
1959年(昭和34年)2月19日、与党自由民主党は、衆議院社会労働委員会で、日本社会党欠席のまま最低賃金法案を可決[1]、同年2月26日の本会議で賛成多数により法案成立した[2]。1959年8月12日、最低賃金法に基づく初の最低賃金が静岡県で実施された[3]。
この法律は、賃金の低廉な労働者について、賃金の最低額を保障することにより、労働条件の改善を図り、もって、労働者の生活の安定、労働力の質的向上及び事業の公正な競争の確保に資するとともに、国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする(第1条)。
この法律においての以下の語は次のとおり定義される(第2条)。
1947年(昭和22年)に制定された労働基準法は、行政官庁が最低賃金審議会の調査および意見に基づき一定の事業または職業について最低賃金を定めることができる、と規定していた(施行当時の労働基準法第28条~第31条)。しかし、同法は、最低賃金を定めるか否かを行政官庁(労働大臣ないし労働省)の裁量(「必要があると認める場合」)に委ねていたところ、労働省は、戦後の経済の疲弊と復興の必要性にかんがみ、1959年の本法制定に至るまで、最低賃金を定めることをしてこなかった[4]。それどころか、昭和憲法第18条で禁じられたはずの奴隷制や人身売買が、前借金(ぜんしゃくきん)という慣行の下戦後も存在し続け、無賃金ないし極端な低賃金で使われる労働者すらいた。
本法制定の前段階として、1955年(昭和30年)、最高裁判所において前借金の制度を民法90条違反で無効とする判決が出される。この確定判決に対する国会および政府・自民党側の回答という形で本法は制定された。しかしこれは完全な最低賃金制へ移行するまでの過渡的な「基盤づくり」の制度であり、業者間協定に基づく最低賃金を中心として制定。ここでは、最低賃金の決定方式として、①業者間協定に基づく最低賃金、②業者間協定に基づく地域別最低賃金、③労働協約に基づく最低賃金、および、④最低賃金審議会の調査審議に基づく最低賃金を規定した[4]。
1968年(昭和43年)、前年の中央最低賃金審議会による改正答申に基づき、本法を改正[5]。業者間協定による方式を廃止し、ほぼ専ら最低賃金審議会の調査審議に基づく最低賃金となった。この規定に基づいて、「地域別最低賃金」と「産業別最低賃金」という2つの制度が成立したが、中心となったのは前者である。
地域別最低賃金は、各都道府県の地方最低賃金審議会の審議に基づき、労働省(後に厚生労働省)の都道府県労働基準局長(後に都道府県労働局長)が決定する、当該都道府県のすべての労働者に適用される最低賃金である。1972年より各都道府県で順次この最低賃金が設定されていき、1975年(昭和50年)までに全都道府県がこの最低賃金をもつにいたり、ここでようやくすべての労働者に最低賃金制度が適用されるようになった[4]。同時に、前借金を担保とした奴隷労働も、新憲法公布後30年近い歳月を経て日本から姿を消した。
2007年の改正[6]では実際上利用可能性のほとんどない労働協約に基づく最低賃金制度(旧11条等)を廃止し、最低賃金審議会の審議に基づく最低賃金のうち、「地域」に関するもの(地域別最低賃金)を必置の最低賃金制度として明文化した。また、同審議会の審議に基づく最低賃金のうち「事業」と「職種」に関するもの(産業別最低賃金)は、「特定最低賃金」という補足的制度(任意の設置、罰則なし)として明文化した。この改正は、従来、最低賃金法の法文上は制度の名称等が全く現れず、中央最低賃金審議会の答申等でのみ名称や決定の要件・手続きが規定されてきた最低賃金の制度を法文上明示し、最低賃金を国民に分かりやすい制度にした。
最低賃金額は、時間によって定めるものとする(第3条)。賃金が時間以外の期間又は出来高払制その他の請負制によって定められている場合は、当該賃金が支払われる労働者については、次の各号に定めるところにより、当該賃金を時間についての金額に換算して、第4条の規定を適用するものとする(施行規則第2条)。
つまり、月給制や年俸制で働く労働者であっても、その賃金を時給に換算した額によって判定するのである[注釈 2]。また勤務形態は問わないので、正規雇用・非正規雇用問わずすべての労働者に適用される。
使用者は、最低賃金の適用を受ける労働者に対し、その最低賃金額以上の賃金を支払わなければならない。最低賃金の適用を受ける労働者と使用者との間の労働契約で最低賃金額に達しない賃金を定めるものは、その部分については無効とする。この場合において、無効となった部分は、最低賃金と同様の定をしたものとみなす(第4条1項、2項)。
ここでいう「賃金」には、以下のものは含まない(第4条3項)。
賃金が通貨以外のもので支払われる場合又は使用者が労働者に提供した食事その他のものの代金を賃金から控除する場合においては、最低賃金の適用について、これらのものは、適正に評価されなければならない(現物給与等の評価、第5条)。
最低賃金の適用を受ける使用者は、厚生労働省令で定めるところにより、当該最低賃金の概要を、常時作業場の見やすい場所に掲示し、又はその他の方法で、労働者に周知させるための措置をとらなければならない(第8条)。この規定により使用者が労働者に周知させなければならない最低賃金の概要は、次のとおりとする(施行規則第6条)。
賃金の低廉な労働者について、賃金の最低額を保障するため、地域別最低賃金(一定の地域ごとの最低賃金をいう。以下同じ。)は、あまねく全国各地域について決定されなければならない(第9条1項)。地域別最低賃金は、地域における労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められなければならない(第9条2項)。この労働者の生計費を考慮するに当たっては、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする(第9条3項)。
厚生労働大臣又は都道府県労働局長は、一定の地域ごとに、中央最低賃金審議会又は地方最低賃金審議会(以下「最低賃金審議会」という。)の調査審議を求め、その意見を聴いて、地域別最低賃金の決定をしなければならない(第10条1項)。厚生労働大臣又は都道府県労働局長は、1項の規定による最低賃金審議会の意見の提出があった場合において、その意見により難いと認めるときは、理由を付して、最低賃金審議会に再審議を求めなければならない(第10条2項)。厚生労働大臣又は都道府県労働局長は、第10条1項の規定による最低賃金審議会の意見の提出があったときは、厚生労働省令で定めるところにより、その意見の要旨を公示しなければならない(第11条1項)。第10条1項の規定による最低賃金審議会の意見に係る地域の労働者又はこれを使用する使用者は、第11条1項の規定による公示があった日から15日以内に、厚生労働大臣又は都道府県労働局長に、異議を申し出ることができる(第11条2項)。厚生労働大臣又は都道府県労働局長は、地域別最低賃金について、地域における労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して必要があると認めるときは、その決定の例により、その改正又は廃止の決定をしなければならない(第12条)。
労働者又は使用者の全部又は一部を代表する者は、厚生労働省令で定めるところにより、厚生労働大臣又は都道府県労働局長に対し、当該労働者若しくは使用者に適用される一定の事業若しくは職業に係る最低賃金(以下「特定最低賃金」という。)の決定又は当該労働者若しくは使用者に現に適用されている特定最低賃金の改正若しくは廃止の決定をするよう申し出ることができる(第15条1項)。厚生労働大臣又は都道府県労働局長は、1項の規定による申出があった場合において必要があると認めるときは、最低賃金審議会の調査審議を求め、その意見を聴いて、当該申出に係る特定最低賃金の決定又は当該申出に係る特定最低賃金の改正若しくは廃止の決定をすることができる(第15条2項)。厚生労働大臣又は都道府県労働局長は、2項の規定による最低賃金審議会の意見の提出があった場合において、その意見により難いと認めるときは、理由を付して、最低賃金審議会に再審議を求めなければならない(第15条3項)。
特定最低賃金は、地域別最低賃金において定める最低賃金額を上回るものでなければならない(第16条)。もっとも、特定最低賃金と地域別最低賃金の双方が適用される労働者については、そのいずれか高いほうが適用されることになり(第6条)、実際にも地域別最低賃金が特定最低賃金を上回ったために地域別最低賃金が適用される事例は少なからず存在する。
第15条1項及び2項の規定にかかわらず、厚生労働大臣又は都道府県労働局長は、同項の規定により決定され、又は改正された特定最低賃金が著しく不適当となったと認めるときは、その決定の例により、その廃止の決定をすることができる(第17条)。
派遣労働者(労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律第44条1項に規定する派遣中の労働者)については、その派遣先の事業の事業場の所在地を含む地域について決定された地域別最低賃金・特定最低賃金を適用する(第13条、第18条)。
使用者が厚生労働省令で定めるところにより都道府県労働局長の許可を受けたときは、次に掲げる労働者については、当該最低賃金において定める最低賃金額から当該最低賃金額に労働能力その他の事情を考慮して厚生労働省令で定める率を乗じて得た額を減額した額により第4条の規定を適用する(第7条)。この許可を受けようとする使用者は、許可申請書を当該事業場の所在地を管轄する労働基準監督署長を経由して都道府県労働局長に提出しなければならない(施行規則第4条1項)。
改正前の適用除外許可及び改正後の減額特例許可の件数の推移は、中央最低賃金審議会の資料に示されていて、改正前の許可が失効し切り替えが多数行われた2009年度(平成21年度)を除き、おおむね改正後も改正前と同水準で許可が行われている[7]。
国際労働機関諸条約および労働基準法113条の「公労使三者構成の原則」を本法でも採用している。
2019年(令和元年)7月就任の中央最低賃金審議会現会長は、法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科教授の藤村博之[8]。
厚生労働大臣は、賃金その他労働者の実情について必要な調査を行い、最低賃金制度が円滑に実施されるように努めなければならない(第28条)。厚生労働大臣及び都道府県労働局長は、この法律の目的を達成するため必要な限度において、厚生労働省令で定めるところにより、使用者又は労働者に対し、賃金に関する事項の報告をさせることができ(第29条)、使用者又は労働者は、最低賃金に関する決定又はその実施について必要な事項に関し厚生労働大臣又は都道府県労働局長から要求があったときは、当該事項について報告しなければならない(施行規則第12条)。
厚生労働大臣は、都道府県労働局長が決定した最低賃金が著しく不適当であると認めるときは、その改正又は廃止の決定をなすべきことを都道府県労働局長に命ずることができる。厚生労働大臣は、この規定による命令をしようとするときは、あらかじめ中央最低賃金審議会の意見を聴かなければならない(第30条2項、3項)。
労働基準監督署長及び労働基準監督官は、厚生労働省令で定めるところにより、この法律の施行に関する事務をつかさどる(第31条)。労働基準監督官は、この法律の規定に違反する罪について、刑事訴訟法の規定による司法警察員の職務を行う(第33条)。労働基準監督官は、この法律の目的を達成するため必要な限度において、使用者の事業場に立ち入り、帳簿書類その他の物件を検査し、又は関係者に質問をすることができる。この規定による立入検査の権限は、犯罪捜査のために認められたものと解釈してはならない(第32条1項、3項)。
労働者は、事業場にこの法律又はこれに基づく命令の規定に違反する事実があるときは、その事実を都道府県労働局長、労働基準監督署長又は労働基準監督官に申告して是正のため適当な措置をとるように求めることができる(第34条1項)。使用者は、この申告をしたことを理由として、労働者に対し、解雇その他不利益な取扱いをしてはならない(第34条2項)。
第34条2項の規定に違反した者は、6月以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する(第39条)。
第4条1項の規定に違反した者(地域別最低賃金及び船員に適用される特定最低賃金に係るものに限る。)は、50万円以下の罰金に処する(第40条)。
次の各号の一に該当する者は、30万円以下の罰金に処する(第41条)。
法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関して、第39条~第41条の違反行為をしたときは、行為者を罰するほか、その法人又は人に対しても各本条の罰金刑を科する(第42条)。
第6条第2項、第2章第2節、第16条及び第17条の規定は、船員法の適用を受ける船員に関しては、適用しない。船員に関しては、この法律に規定する厚生労働大臣、都道府県労働局長若しくは労働基準監督署長又は労働基準監督官の権限に属する事項は、国土交通大臣、地方運輸局長(運輸監理部長を含む。)又は船員労務官が行うものとする(第35条)。船員に関しては、この法律に規定する最低賃金審議会の権限に属する事項は、交通政策審議会等が行う(第36条)。つまり、船員については、地域別最低賃金は適用されずに、特定最低賃金のみが適用される。
船員の最低賃金は船舶の大きさによって、国土交通大臣が決定するものと地方運輸局長が決定するものがあり、国土交通大臣が決定するものは全国一律に、地方運輸局長が決定するものは当該地方運輸局管轄地域内で適用される。また、船員の最低賃金は月額で定められる。
この法律について、制定から60年後に書かれた評伝[9]で、
1959年に岸信介首相の経済政策の最後の総仕上げとして中小企業減税などを通じて中小企業育成と企業間の賃金格差是正のために日本に導入された。前年12月に国民健康保険法の改正を行って国民皆保険、昭和34年4月に国民年金法公的年金の恩恵がなかった農漁業従事者や中小企業や自営業にも年金が支給される国民年金と共に成立させられて現在の日本の社会保険制度になった[9]。
最低賃金の経済的波及の1つとして、失業率の増加が揚げられている。賃金の支払いは、それを担う組織・営利団体等の維持に直接的に影響するものであり、本来的には、組織・営利団体内の職務・役割分担とその効果配分のバランスで個別・独自に取り決められるべきものである。しかし、一方で、同一内容あるいは同系統内容の職務・役割においての賃金差が一定あるいは相当性を甚だしく欠く場合には、いわゆる人権の1つであり、近時、特に最高裁判所の判例で取り扱われる「投票権における1票の格差」と法的には同性質の問題が生じるため、この問題を補正する一方法としての意義が、最低賃金法の立法趣旨には包含されている。