文藝春秋漫画賞(ぶんげいしゅんじゅうまんがしょう)は、かつて文藝春秋が主催していた漫画に対する賞である。
概要
1955年に設立。漫画集団や雑誌『文藝春秋漫画讀本』に代表されるような、「児童漫画や劇画と一線を画する」現在では「大人漫画」と呼ばれる旧来の「漫画」を表彰するために作られた賞であり、4コマ漫画、一コマ漫画、風刺漫画を対象とした漫画賞だった。ただし、「新人賞」なのか「功労賞」なのかが曖昧で、選考が一貫しなかった。
山藤章二、和田誠、古川タクのイラスト、長新太の絵本、マッド・アマノのパロディ作品、デザイナー福田繁雄の作品なども受賞している。イラストや絵本やパロディ作品も、現代日本の漫画文化を形成する重要な一形態として評価した。
だが、後期は「大人漫画」が衰退したため、かつての「児童漫画」であるところのギャグ漫画が選考対象に含まれ、吉田戦車の『伝染るんです。』などが受賞をすることになった。選考基準があいまいになり、誰が何故、受賞するか予測不可能な賞とも言われるようになる。江口寿史、とり・みき等ベテラン作家が受賞した際には、審査委員長が彼らの作品を「初めて読んで感心した」といった内容のコメントをしていた。選考委員のサトウサンペイは「(賞のため)めったに見ないコミック話を山ほど買って持ち帰り、順番に見てきました」と発言している[1]。いしかわじゅんは、1992年度の選考に際して、審査委員の加藤芳郎が授賞式で「私は最近、漫画を読んでおりません」と発言したり、ベテラン作家である江口寿史を選評で「ともかくも久し振りの“大型新人”である」と評したりしたことを取り上げ、「加藤は、かつて天才だった。しかし、才能は滅びるものだ。今の彼は、本人も気づかず老害を振りまいているだけだろう」と批判し、漫画を読んでいない人間が賞の選考を行っていることを問題視している[2]。
このような賞であるため、1997年に受賞した西原理恵子は、「初対面の人間からいきなり顔にタンを吐きかけられたような気分」と自身の漫画の作中でこの賞の意義を激しく批判、疑問視していた。そのような迷走を繰り返した後、2002年3月1日に廃止となった。
受賞作品
脚注
- ^ 暮しの手帖 1996年6月号 コラム「見たり、描いたり。」
- ^ いしかわじゅん「彼の無知無神経を憐れむ 漫画賞の話」『漫画の時間』晶文社、1995年11月30日、246-247頁。ISBN 4-7949-6232-0。
参考文献
関連項目