恵蘇郡(えそぐん)は、広島県(備後国)にあった郡。
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、庄原市の一部(七塚町、上原町、戸郷町、三日市町、掛田町、門田町、川北町、比和町三河内以西)にあたる。
歴史
近世以降の沿革
- 明治初年時点では全域が安芸広島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り。(42村)
- 尾引村、下村、木戸村、上村、殿垣内村、田原村、下原村、上原村、三日市村、戸郷村、川北村[1]、門田村、濁川村、市村、本郷村、高茂村、水越村、金田村、常定村、竹地谷村、大月村、向泉村、永田村、宮内村、湯木村、比和村、森脇村、古頃村、木屋原村、元常谷、三河内村[2]、新市村、和南原村、高暮村、上里原村、下門田村、中門田村、奥門田村、南村、上湯川村、下湯川村、岡大内村
行政
- 三次・恵蘇郡長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
|
1 |
|
明治11年(1878年)11月1日 |
|
|
|
|
|
明治31年(1898年)9月30日 |
三上郡・奴可郡との合併により恵蘇郡廃止
|
脚注
- ^ 川北村上組・川北村下組に分かれて記載。
- ^ 越原谷・福田組・小和田組に分かれて記載。
参考文献
関連項目