山折 哲雄(やまおり てつお、1931年[1][2]〈昭和6年〉5月11日- )は、日本の宗教学者、評論家。専攻は宗教史・思想史[3]。国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)、国立歴史民俗博物館名誉教授、21世紀高野山医療フォーラム副理事長、総合研究大学院大学名誉教授、平城遷都1300年記念事業評議員。教育改革国民会議委員[3]。角川財団学芸賞、和辻哲郎文化賞、山本七平賞選考委員。1997年に白鳳女子短期大学赴任以降は行政職に就くことが続いた[4]。岩手県花巻市出身[5]。京都市在住[1]。
日本人の宗教意識や精神構造を研究し、現代社会論や文明論を精力的に展開する。著書に『日本人の霊魂観』(1976年)、『悲しみの精神史』(2002年)、『義理と人情』(2011年)など。
1931年、アメリカ合衆国サンフランシスコに生まれる[1][4]。1937年に日本へ、東京に転居。太平洋戦争下の1943年、母の故郷である岩手県花巻市に疎開。同地出身である宮沢賢治に何度か言及しており、母の実家は賢治の家と200mほど離れているばかりであった[6]。
1954年に東北大学文学部を卒業し、1959年に東北大学大学院文学研究科博士課程を単位取得退学。
1969年、春秋社編集部入社。1976年に駒澤大学文学部助教授、翌1977年に東北大学文学部助教授、1982年に国立歴史民俗博物館教授、1988年に国際日本文化研究センター教授に就任。
1997年、国際日本文化研究センター(日文研)名誉教授、白鳳女子短期大学学長(2000年まで)[7]。2000年に京都造形芸術大学大学院長。2001年に日文研所長、2005年に退任。日文研教授になった時期より評論家としての活動が多くなり、それ以後は一般向けの著述が多い。
2010年、第20回南方熊楠賞(人文の部)受賞[8]。2010年8月の松下幸之助記念財団設立時には理事を務めていた。同財団評議員には文仁親王妃紀子の父川嶋辰彦が名を連ねていた[9]。
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