嬉野市立轟小学校(うれしのしりつ とどろきしょうがっこう)は、佐賀県嬉野市嬉野町岩屋川内乙にある市立小学校。
概要
- 歴史
- 1990年(平成2年)に嬉野町立嬉野小学校から分離する形で、新設された。校区は旧・嬉野町立不動小学校と旧・嬉野町立嬉野小学校上岩屋分校を統合。現校名になったのは2006年(平成18年)。2025年(令和7年)に創立35周年を迎える。
- 校章
- 中央に校名の「轟」を配している。
- 校区
- 嬉野市嬉野町のうち「湯野田、下不動、中不動、大舟、上不動、丹生川、俵坂、上岩屋(鹿谷地区[1]を除く)、下岩屋一区、下岩屋二区、下岩屋三区」。中学校区は嬉野市立嬉野中学校[2]。
沿革
- 旧・不動小学校
- 1875年(明治8年)2月 - 不動山村字大船に「不動小学校」が創立。
- 1879年(明治12年)5月 - 統合により「藤津郡第七区 公立嬉野小学校 不動分校」となる。
- 1886年(明治19年)5月 - 校舎を中不動に移転。「公立嬉野小学校 狩立分校」が設置される。
- 1887年(明治20年)- 小学校令施行により、「尋常嬉野小学校 不動分校」・「尋常嬉野小学校 狩立分校」に改称。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、藤津郡下宿村と不動山村が合併し、西嬉野村が発足。
- 1892年(明治25年)4月 - 「嬉野尋常小学校 不動分校」・「嬉野尋常小学校 狩立分校」に改称。
- 1894年(明治27年)1月 - 嬉野尋常小学校から分離の上、「不動尋常小学校」として独立。狩立分校を移管される。
- 1903年(明治36年)11月 - 校舎を移転。
- 1905年(明治38年)8月 - 農業補習学校が併置される。
- 1906年(明治39年)- 狩立分校を狩立分教場とする。
- 1907年(明治40年)- 東西嬉野学校組合が解消され、西嬉野村立の小学校となる。
- 1908年(明治41年)- 改正小学校令により、尋常科が4年制から6年制に変更となる。
- 1909年(明治42年)6月 - 狩立分校の校舎を瓦葺きにする。
- 1913年(大正2年)6月 - 新校舎が完成。
- 1919年(大正8年)6月 - 狩立分校が移転。
- 1928年(昭和3年)9月 - 狩立分校の運動場を拡張。
- 1929年(昭和4年)4月22日 - 西嬉野村が町制施行により、嬉野町となる。これにより嬉野町立の小学校となる。
- 1934年(昭和9年)- 旧校歌を制定。作詞は野田安一(当時の校長)。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「嬉野町不動国民学校」に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、不動国民学校初等科が「嬉野町立不動小学校」に改組・改称。
- 1951年(昭和26年)10月 - 木造2階建て新校舎が完成。なお、この時に完成した校舎は1990年(平成2年)の閉校まで使用された。
- 1962年(昭和37年)9月 - 狩立分校の校舎を改築。
- 1977年(昭和52年)
- 7月 - プールが完成。
- 9月 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1986年(昭和61年)11月 - 狩立分校創立100周年記念式典を挙行。
- 1987年(昭和62年)3月31日 - 狩立分校が閉校。100年の歴史に幕を閉じる。
- 1990年(平成2年)
- 3月25日 - 閉校記念式典を挙行。
- 3月31日 - 不動小学校が閉校。116年の歴史に幕を閉じる。
- 旧・嬉野小学校上岩屋分校
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 「嬉野町立嬉野小学校 上岩屋分校」が設置される。
- 1990年(平成2年)3月31日 - 閉校。
- 轟小学校
- 1990年(平成2年)4月1日 - 嬉野町立嬉野小学校から分離される形で、「嬉野町立轟小学校」が開校。
- 旧・嬉野町立不動小学校と旧・嬉野町立嬉野小学校上岩屋分校の校区を統合。
- 2006年(平成18年)1月1日 - 市町村合併により、「嬉野市立轟小学校」(現校名)に改称。
交通
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りの幹線道路
周辺
- 嬉野学校給食センター
- 轟の滝公園・球場
- うれしの茶交流館「チャオシル」
- 不動山簡易郵便局
- 熊野神社
- 岩屋川内川
- 塩田川
脚注
参考資料
- 「嬉野町史 下巻」(1979年(昭和54年)11月, 嬉野町史編さん執筆委員会)p.342~p.343
- 「不動校を偲ぶ 不動小学校閉校記念誌」(1990年(平成2年)3月25日, 不動小閉校記念実行委員会)
関連項目
外部リンク