太平島(たいへいとう、英語: Itu Aba Island、ベトナム語:đảo Ba Bình / 島波平、フィリピン語: Ligao Island)は、南沙諸島(スプラトリー諸島)の北部に位置する環礁州島の中国名。南沙諸島中、自然形成された陸地面積が最大の海岸地形[1]。ティザード堆(英語:Tizard Banks、中国語: 郑和群礁)の一部を形成している[2]。別称は「黄山馬礁」。この環礁には太平島と同じく中華民国が実効支配している中洲島もある。
行政区画は台湾島にある高雄市旗津区中興里に属している[1]。中華民国にとっては、シーレーン防衛の要衝にあたり、警備のため海軍陸戦隊員や海巡署員が常駐している[1][3]。そのため通常、一般人の渡航は認められていない。ただし中華民国政府は2016年3月23日、海外メディアを初めて太平島に招いた。島には井戸水が湧いており、人間の居住や農業が可能であることをアピールした。島内にはこのほか原生林、太陽光発電施設、観音堂、病院があり、病院では外国人に対しても人道的見地から医療活動をしていると説明した[4]。
この取材に参加した日本の『読売新聞』によると、約200人が駐在し、灯台や1200メートルの滑走路を備えた飛行場、排水量3000トン級の船が接岸できる港湾がある[5]。それ以上の詳細にわたる軍事関係の施設・活動は依然機密扱いされており、この島の実態はよくわかっていない[3]。他の島と同様に中華民国、中華人民共和国、ベトナム、フィリピンが領有権を主張している[1]。
太平島を含む南沙諸島および東沙諸島全域は、中華民国においては海南特別行政区に所属していることになっていたため、国共内戦に敗れた中華民国が万山群島の領有権を喪失した1950年から、中華民国において太平島が高雄市に移管される1979年にかけては、大陸を追われた中華民国が実効支配している数少ない広東省の領土となっていた。なお太平島は、南シナ海の九段線以北にある島々のほとんどの領有権を主張する中華人民共和国においては海南省の三沙市に所属していることになっている。
太平島の名称は、1945年の日本の敗戦以降、1946年12月12日に中華民国海軍の軍艦「太平号」が現地に赴き、接収事務を行ったことによる[2]。中国語以外の名称としては、英語表記の"Itu Aba Island"(イトゥアバ島)がある。これはマレー語で「あれは何だ」という意味である。
この項目は、台湾に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:台湾 / P:アジア)。