堀田 正順(ほった まさなり)は、江戸時代中期の大名。下総国佐倉藩2代藩主。官位は従四位下・侍従、大蔵大輔。正俊系堀田家6代。
佐倉藩初代藩主・堀田正亮の六男(五男とも)として誕生した。父の死去に伴い17歳で家督相続し、大坂城代、京都所司代などを務める。寛政4年(1792年)、佐倉宮小路に佐倉学問所、温古堂(成徳書院)を開設した。これは現在の佐倉高等学校の前身とされる。長男の正功が早世したため、弟の正時が家督を相続した。
正順の代で、甲州流の兵制に斟酌を加えて御家流と称し、それにもとづいて訓練するようになった[1]。
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