太田 資次(おおた すけつぐ)は、遠江浜松藩の第2代藩主。大坂城代などの要職を務めた。掛川藩太田家2代。
生涯
寛永6年(1629年)12月1日、浜松藩の初代藩主・太田資宗の次男として生まれた。早くから第3代将軍の徳川家光に近侍した。兄の資政の廃嫡によって嫡子となり、慶安4年(1651年)12月28日に従五位下に叙位された。寛文11年(1671年)12月19日、父の隠居により家督を継いだ。この時、弟の資良に俵米3,000石並びに新田2,000石の合計5千石を分知したため、所領は3万5,000石から3万2,000石となった。
延宝元年(1673年)に奏者番に任じられた。延宝4年(1676年)7月26日に寺社奉行を拝命し、兼任した。延宝6年(1678年)6月19日、大坂城代に任じられ、2万石を加増された上で所領を摂津・河内・下総などに移されたため、浜松藩から去って畿内周辺に移封となった。
貞享元年(1684年)4月6日に死去。享年56。跡を次男の資直が継いだ。
系譜
父母
正室、継室
子女
脚注
太田家 浜松藩2代藩主(1671年 - 1678年) |
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桜井松平家 |
- 松平忠頼1601-1609
- 殺害され、養子も認められず改易
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水野家 | |
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高力家 | |
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大給松平家 | |
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太田家 | |
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青山家 | |
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本庄松平家 | |
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大河内松平家 | |
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本庄松平家 | |
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井上家 | |
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水野家 | |
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井上家 | |
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- 先代
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- 摂津・河内・下総国内
- 1678年 - 1684年
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- 次代
- 太田資直
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