園池 公静(そのいけ きんしず)は、幕末の公家、明治期の内政官僚。第一次奈良県知事、子爵。
経歴
左近衛権中将[1]・園池実達の二男[2]として生まれる。嘉永3年1月(1850年)に元服し昇殿を許された。右京大夫を経て、元治元年6月(1864年)右近衛権少将に任官[2]。
慶応2年8月(1866年)朝廷刷新の二二卿建議(廷臣二十二卿列参事件)に加わり差控となる[2][3]。慶應4年1月5日(1868年1月29日)書記御用掛となる[4]。
慶応4年7月29日(1868年9月15日)奈良府知事に就任。明治2年7月17日(1869年8月24日)奈良府が奈良県に改称され引き続き同県知事を務めた[2][4]。明治3年8月19日(1870年9月14日)知事を免官[5]。同年9月17日(10月11日)侍従に就任[4]。以後、滋宮祗候・明宮祗候を務めた[2]。
1884年7月8日、子爵を叙爵した[6]。1915年4月15日に隠居し[7]、同月30日に長男実康が襲爵した[8]。
栄典
親族
脚注
- ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成』上巻、804-805頁。
- ^ a b c d e 『明治維新人名辞典』551頁。
- ^ 『幕末維新大人名事典』下巻、13頁。
- ^ a b c 『百官履歴 上巻』293頁。
- ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』104頁。
- ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
- ^ 『官報』第818号、大正4年4月27日。
- ^ 『官報』第822号、大正4年5月1日。
- ^ 『官報』第1351号「叙任及辞令」1887年12月28日。
- ^ 鷹司輔平の曾孫
参考文献
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
- 安岡昭男編『幕末維新大人名事典』上巻、新人物往来社、2010年。
- 修史局編『百官履歴 上巻』日本史籍協会、1928年。
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