十三塚(じゅうさんづか、Thirteen Mounds)は日本列島各地に分布する、民間信仰による土木構造物である。一般には13基の塚(マウンド)から構成される。また地名となっているところもある。本来は十三仏に由来するとされているが、それぞれの塚の伝承では必ずしもそうなってはおらず、数も13に限定されていない。
概要
典型的な例の場合、親塚1基とそれ以外の子塚12基からなる。すべてが直径10メートル以下であることが多い。塚の上には板碑などなんらかの石造物が置かれることがある。埋葬施設はなく、地下施設もない。築造時期は中世である。全国的に分布しており、岩手県から鹿児島県まで300箇所以上存在していたが、古墳などと異なり文化財として残されることは少なく、一部例外を除けば開発によって姿を消しつつある。
村境や峠道に多くみられる[2][3]。地方により十三坊塚、十三本塚、十三人塚、十三壇、十三森などと名付けられていることもある[4]。
主な伝承
- 戦死者、落武者ら13人の供養塚ないし墳墓として造られた。
- 埋蔵金の隠し場所として造られた。
- 12匹の猫と1匹の大ネズミの墓とする昔話がある[5][6]。
- 昔、その地にあった寺に夜な夜な正体不明の化け物が出るようになり、住職を恐れさせた。ある日、12匹の猫を連れた旅人が寺に宿泊を求める。住職は化け物が出る事を話したが、近所に他の家もなく、旅人は猫たちと共に寺に宿を取った。その夜、現われた化け物に12匹の猫が立ち向かい、一晩死闘が続く。夜明けとともに静かになり、住職と旅人が様子を見ると、大犬ほどもあるネズミ1匹と12匹の猫の死体があった。住職は12匹の猫の塚を造って手厚く供養し、それに大ネズミの塚を加えて十三塚と呼ぶようになった。
起源
学術的に本来の築造理由として考えられるものは以下の通りである。
史料に乏しく、発掘調査によっても埋納品が少ないことから(銭などの表面採集が多い)、まだ解明は進んでいない。また地元での呼称が十三塚でなくとも小塚が多数あって、実体は十三塚であるものもある(千葉県千葉市中央区の七天王塚や神奈川県横浜市旭区の六ツ塚など)。
主な遺跡
- 東北地方
- 関東地方
- 中部地方
- 近畿地方
- 九州地方
地名
「十三塚」の文字を含む地名は、秋田県横手市、宮城県宮城郡利府町、福島県石川郡石川町、岐阜県関市・瑞浪市、愛知県犬山市・一宮市・刈谷市・豊田市・豊明市・西尾市・瀬戸市・半田市・春日井市、香川県高松市・観音寺市・綾歌郡綾川町、宮崎県小林市、鹿児島県鹿屋市などにもみられる。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
- 十三本塚の話(保土ヶ谷郷土史:保土ヶ谷の十三本塚, 大畠洋一)