円満院(えんまんいん、旧字体:圓滿院、新旧混用:圓満院)は、滋賀県大津市園城寺町にある天台宗系単立の寺院。山号は長等山。本尊は不動明王。門跡寺院。近畿三十六不動尊第25番札所。かつては天台宗寺門派(天台寺門宗)三門跡の一つであった。
寺内には本堂や宸殿のほか、宿坊・三密殿と大津絵美術館が併設されている。
寛和3年(987年)に村上天皇の皇子悟円法親王により京都岡崎に「平等院」として創建されたと伝わるが、平安時代中期の参議・藤原資房の日記『春記』には、園城寺の明尊大僧正が長久元年(1040年)に後朱雀天皇の支援を受けて岡崎の地に新しい寺を創建し「圓滿院」と命名したという消息が記されている[2]。悟円の子である永円が初代院主となった[3]。
永承7年(1052年)、関白藤原頼通が父の道長の別荘であった宇治殿を寺院に改めて、平等院の明尊大僧正をこの新寺院の開山とした。その際に平等院の名称をこの宇治の新寺院の名称として譲り、当院はあらたに明尊大僧正によって円満院と名付けられたとする[3]。
悟円法親王入寺以降も当院は歴代皇族の入室する門跡寺院として、また天台宗寺門派(天台寺門宗)の三門跡の一つとして隆盛を誇った。また、通称として室町時代後期までは三井平等院とも桜井の宮とも呼ばれていた。
江戸時代の初期に現在地に移転し、正保4年(1647年)には寝殿が明正天皇より下賜されている。
1869年(明治2年)1月、大津県(現・滋賀県)庁が当院の宸殿に置かれるが、1888年(明治21年)6月、新たな県庁舎(旧滋賀県庁)が出来、移転していった。
1947年(昭和22年)、天台寺門宗から独立する。
2009年(平成21年)5月、重要文化財に指定されている宸殿など建物9棟と庭園など土地約1万4000平方メートルが大津地方裁判所によって競売にかけられ、約10億6700万円で滋賀県甲賀市内の宗教法人大岡寺に落札されていたことが判明した[4]。この競売にともない、同年8月20日には円満院の所有権をこの宗教法人に移転する法的な手続きが完了した。文化庁は「異例の事態」とコメントしている[5]。
以下の文化財は第二次世界大戦後に円満院の所蔵を離れたものである[8]。
※円満院の所有権が別の宗教法人に移った後も、重文の宸殿や庭園などの拝観は引き続き可能である。
※カッコ内は30名以上の団体割引料金
円満院の護摩法要は、御本尊の不動明王の前に護摩壇を設け、護摩木と呼ばれる特製の薪に祈願者が自ら願文や氏名などを記し、これを護摩壇で焼くことで心の迷いや煩悩も焼き尽くし、願いをより清浄されたものとすることでその高揚を引き出し、これによって祈願成就を祈る法要である。円満院では毎月第2日曜日と28日の両日を「お不動さんの日」として、圓満院に伝わる秘仏金色不動明王の力で運を開き願いを叶える護摩供を厳修している。誰でも参加できる。
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