「俺ら東京さ行ぐだ 」(おらとうきょうさいぐだ)[注 1] は、シンガーソングライター・吉幾三 が1984年 (昭和 59年)11月25日 に発表した楽曲である。
作詞・作曲とも吉幾三自身が手掛けた。主人公が生まれ育った「無い物尽くし」の田舎が嫌になり、東京 へ出ようとする歌詞である。
本項では、映画『俺ら東京さ行ぐだ』についても記述する。
背景
吉は1977年 (昭和52年)に最初のヒット曲「俺はぜったい!プレスリー」を発表した後、ヒット作に恵まれない低迷期が続いていた。そのような中、アメリカ合衆国 へ移住した知人から贈られたLPレコードでラップ音楽 に触れ、そこから着想を得て作ったのが本曲である[2] 。当初の仮タイトルは「離村者」であった[3] 。
「ラップに着想を得て本曲を作った」とする記述は、2000年代以降にマスメディアの取材に対して吉が答えたものだが、本曲リリース当時は営業上のギミック もあってそのような言及は見当たらず、『週刊ポスト 』1985年3月15日号の取材では「ビートルズ もGS も知らず、演歌 と民謡 で育った」と話している[4] 。
本曲を各レコード会社に売り込むも、すべて断られてしまう。最終的に千昌夫 が数百万円で吉から原版権を買い取り、千の支援によって1984年 (昭和59年)11月25日 にリリースされた。
本曲は当時のオリコンシングルチャート では演歌 チャートではなく「フォーク 、ニューミュージック 」チャートでランクインしていた。これ以前にもスネークマンショー や小林克也 、山田邦子 らがラップテイストの強い曲を発表しているが、本曲ではラップ音楽の特徴であるプロテストソング を(自虐的ではあるが)盛り込んだところに特徴がある[5] 。
本曲のジャケット写真は北海道 増毛郡 増毛町 で撮影された。NHK札幌放送局 「穴場ハンター 」2016年4月15日放送回で撮影時のエピソードが紹介されたほか、番組スタッフの探し当てたジャケット撮影地で猪飼雄一 アナウンサーがジャケット写真を再現した写真が紹介された[6] [7] [8] [9] 。
1985年 のオリコンシングルチャートでは年間21位を記録した。オリコン発表の売上枚数は35.1万枚。また、1985年8月31日現在の徳間ジャパンによる公称売上はシングルが70万枚、本楽曲を収録したアルバム『俺らの唄を聴け 』がLPとテープの合計で25万枚・本[10] 。
日本音楽著作権協会 (JASRAC)の著作権使用料分配額(国内作品)ランキングでは、2019年 度の年間9位[11] を獲得した。
反響
1975年 頃の青森県 五所川原市 中心市街地。「車もそれほど走っていない」のは1950年 〜1960年代 とされる。「俺らの村には電気が無い」実態としては、東北の山間部では1950年代まで未電化(無点灯地区)である事が珍しくなく[12] 、岩手県 の既存集落では1962年 まで葛巻町 、開拓部落 では1988年 まで川井村タイマグラ地区 が無点灯地区として残り続けていた実例がある[13] 。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス の空中写真を基に作成
賛否両論の大反響
吉が後日語ったところによると、歌詞の「テレビ もラジオ も電話 もガス も電気 も無い」など自虐的な部分が、発売当初は出身地である青森県 北津軽郡 金木町 (現:五所川原市 )から「うちはそんなに田舎 じゃない」と猛抗議 を受けたという。また、日本中の小さな農村から「ふざけるな」「私たちの村 を馬鹿 にしてるのか」と大量のクレーム が押し寄せてきたとも語っている。しかし、彼自身の幼少期である1950年 - 1960年代 における生活は、歌詞の内容と近いものであったという[5] 。
レーザーディスク の宣伝
歌詞に「レーザーディスクは何者だ」という文言があり、後日製造元のパイオニア (ホームAV機器 事業部。現:オンキヨーテクノロジー 〈製造元〉/ティアック 〈販売元〉)から「レーザーディスクの宣伝になった」ということで、吉にレーザーディスクの再生装置と一部の映像ソフトが贈られた[14] 。その後しばらくの間「レーザーディスクは化け物 だ」と歌詞を変えて歌っていたという逸話もある。また、『夜も一生けんめい。 』でゲスト出演していた吉が同曲を披露した時には、番組の提供スポンサーでもあるパイオニアにちなんで「レーザーディスクはパイオニア」と歌っている。
歌番組
この曲がラジオ で流れたところ人気が急上昇し、生放送の番組である『ザ・ベストテン 』(TBS系列 )の「今週のスポットライト」コーナーに登場することになった。しかし、吉本人が緊張のあまり途中で歌えなくなってしまい、再度歌い直すというハプニングが起きた[15] 。また、本番中に本物の牛 を演出のためにスタジオに持ち込み、エンディングの絶妙なタイミングでこの牛が鳴いている[15] [注 2] 。
『ザ・トップテン 』(日本テレビ系列 )では、吉の地元の北津軽郡金木町にある金木駅 から地元の人達が見守る中、生中継で歌ったこともある。
1985年 (昭和60年)4月10日 放送の『夜のヒットスタジオDELUXE 』(フジテレビ系列 )では、スタジオに集合した金木町民をバックに歌っている。青森県では、この年の4月から青森放送 で番組ネットが始まったばかりであった。
紅白歌合戦
1985年屈指の注目曲であり、「NHK紅白歌合戦 」出場も有力視されていたが、第36回NHK紅白歌合戦 の出演はなかった。
その他
この曲が有線 を中心にヒットチャートを上り始めたことに注目した徳間ジャパン は、1984年 にプロモーションの一環として、吉本人主演によるビデオシネマ 『俺ら東京さ行ぐだ 〜純情篇〜』を製作。1985年5月25日 にビデオ、同年7月25日 にレーザーディスクが発売された[注 3] 。2018年5月に歌謡ポップスチャンネル にてテレビ初放送[16] 。
作品発表から24年が経過した2008年 (平成 20年)にはこの楽曲がきっかけで、インターネット 上において「IKZOブーム 」(後述)が起こった[5] 。同年10月1日 には同曲へのアンサーソング と位置付けたシングル『NDA![んだ!] 』をリリース。こちらはレゲエ 調のアレンジがされ、15歳になって上京してきた主人公が田舎の大人から受けた「東京生活での注意」を思い出す内容となっている。
アレンジ曲
1985年 12月21日、ハード・コア・ボーイズ[17] [18] が「俺ら東京さ行ぐだ」のリミックス 版である「ほうらいわんこっちゃねえMIX」をリリースする。同曲は日本のヒップホップ の草創期の一曲であるとも分類されるが[19] 、余りにもプロテストソング としての色彩の濃い歌詞であった事から[20] [21] 、正式リリースはされず(発禁 )少数の見本盤がプレスされるに留まった[22] 。
本作発表から6年後の1990年 、吉は同じメロディーで歌詞の違う「これが本当のゴルフ だ!!」を発表した(『吉幾三全曲集〜酔歌』(1990年8月25日発売、徳間ジャパン、TKCL-30129)収録)。こちらはゴルフが下手な人を主人公としている。
1999年、テクノユニットのレオパルドン が本作をサンプリングした「No Disco City」を7インチレコード『田舎 EP』に収録した[23] 。2001年発売のCD『Cake or Girl』、2009年発売のCD『レオパルドンのびっくり音楽せいぞろい』にも収録されている。
2008年8月23日、ユーロビート 製作集団の秋葉工房に所属するDJ Command が、本作をリミックスした「俺ら東京さ行ぐだ [Super Euro Mix]」をニコニコ動画 に公開。同年12月24日にドリーミュージック が発売した「スーパー★アニメ☆リミックス 峠 〜痛車ダンスミーティング〜」(MUCD-1198)にDJ KAZMAの演奏で収録された。
2016年、クルーズ 「SHOPLIST 」のCMに替え歌が起用され、吉が歌唱参加している[24] 。
2019年、JR東日本 「TYO By Shinkansen」のCMに替え歌が起用され、武田玲奈 ら出演者が劇中で歌唱している[25] 。
2019年、SoftBank のCM「ギガ国物語 カラオケ編」で替え歌「俺らギガが無ェだ」が起用され、岡田准一 ・土屋太鳳 ・白石麻衣 ・北村匠海 が振り付きで歌っている[26] 。
2019年、現地オプショナルツアー予約サイトベルトラ が名古屋・福岡地区限定のCMにて替え歌「俺らこんな旅いやだ 女子旅篇」として起用。CMの最後には、本人も出演している[27] 。
2021年、カプコン 「バイオハザード ヴィレッジ 」のイメージソングとして替え歌「俺らこんな村いやだLv.100」が起用され、吉本人がミュージックビデオに出演し「吉VILLAGE幾三」名義で作詞も担当している[28] 。
2024年、雪印メグミルク 「乳酸菌ヘルベヨーグルト ドリンクタイプ」のイメージソングとして「俺らこんな春いやだ篇」として大野りりあな が替え歌を歌いながら出演している[29] 。
収録曲
7インチシングル盤 全作詞・作曲: 吉幾三、全編曲: 野村豊。 # タイトル 作詞 作曲・編曲 1. 「俺ら東京さ行ぐだ 」 吉幾三 吉幾三 2. 「故郷 」 吉幾三 吉幾三
カバー
2003年5月21日、Daカルロス喜田造 が「俺ら東京さ来ただ」のタイトルでカバー(シングル「TOKIO」(Wea 、WPC6-10251)収録)。こちらは、上京した主人公が故郷の田舎へ帰ろうとする歌詞。
2006年8月9日、NO BOTTOM! がダンスミュージックでカバーしたシングル「俺ら東京さいぐだ (I'LL GO TO TOKYO!)」(GUHROOVY 、DDCG-3004)が吉の公認でリリースされている。後にコナミ のPlayStation 2 用音楽ゲームソフト『pop'n music 12いろは』に版権曲として収録されている。
2009年10月28日、仙台貨物 がアルバム『凸〜デコ〜』(CANNON BALL PROJECT、VPCC-80644/VPCC-81649)でカバー。
2011年11月30日、元・光GENJI の諸星和己 が「俺らなんにもね〜」(BOLD RECORDS/PINK A ROCK RECORDS、BOLD-0201)のタイトルで現代風にアレンジカバー。この曲は「俺ら東京さ行ぐだ」の続編という位置づけで、都会の荒波に飲み込まれ自分を見失ってしまった田舎者の悲哀を歌っている。作詞は諸星が手がけ、歌うにあたって諸星が吉を7年がかりで口説いたという。シングルのカップリングには同曲の英語版「.I a'int got」が収録されている。
2016年11月25日、同レーベルに所属する女性アイドルユニット、FES☆TIVE が配信限定でカバー。楽曲はヒゲドライバー によるリミックス[30] 。レコチョク で配信されたジャケットデザインはオリジナル盤を想起させるデザインとなっている。このカバーを聞いた吉は「妙なトコに目を付けましたねぇ」と述べた[31] 。
2019年4月3日、元りんご娘 のほのかりんご のデビューシングルとして「『俺ら東京さ行ぐだ』〜わぁ青森が好ぎだver.〜」[32] の曲名で、一部の歌詞を変更してカバーした[33] 。
2019年10月16日にリリースされたコナミアミューズメント の音楽ゲーム、『beatmania IIDX 27 HEROIC VERSE』にて、「すわひでお & uno(IOSYS )」のカバー曲として収録。
映画
1985年8月3日、この楽曲をモチーフにした映画が松竹 の製作・配給により公開された[34]
。東京でカメラマンの助手として働く息子と、その生活ぶりに落胆する両親との確執を描いた人情コメディで、ストーリーと歌詞の内容に直接の関連は薄い。吉自身もタクシー 運転手役で出演している[注 4] 。同時上映は『男はつらいよ 寅次郎恋愛塾 』。
1990年代 に「スーダラ伝説」による植木等再評価ブームに乗りテレビ放送がなされた。また2024年 にBS松竹東急 で放送された。上映後にビデオが発売されたが廃盤となり、DVDも未発売である。
キャスト
スタッフ
挿入歌
吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」
新藤栄作「ワッショイ -最後の楽園-」「青春小説」
柏原芳恵「太陽は知っている 」
IKZOブーム
2008年 4月頃から、ニコニコ動画 やYouTube など動画共有サイト を中心に、他のアーティストの楽曲とこの曲のマッシュアップ や、この曲自体のリミックス やパラパラ がブームとなった[5] 。これをきっかけに、ニコニコ動画内ではIKZO (IKUZO) の愛称が自然と定着し、これはのちに公式の愛称となった。その後もMADムービー の題材として多数のマッシュアップ作品がアップロードされている。
これらのアレンジは個人が非公式で作成したものであったが、吉はこのブームについて「温故知新。私の曲に限らず昔の曲が注目されるのは音楽業界にとって喜ばしいことだ」「ジャンルは違うが音楽の基本は底辺で共通する部分が沢山ある。私の昔の楽曲との間にたまたま同調する部分があったのではないか」とコメントし、好意的に受け止める姿勢を見せた[35] 。
その後、吉から2008年7月4日 に開かれたニコニコ動画の公式イベント『ニコニコ大会議 2008』に花が送られた[36] 。同月にはこのブームがきっかけで、ドワンゴ (ニコニコ動画を運営するニワンゴ の親会社)が運営する携帯電話向けコンテンツ「dwango.jp」で本人の肉声ボイスが配信されることになり、ニコニコ動画でそのレコーディング風景が公式の動画として配信された[37] 。7月28日にはドワンゴのプロデュースでニコニコ動画上に本人自身が出演した「IKZO(本人ver.)」がリリースされるに至った[38] 。
同年10月1日には「上京した主人公が、親に忠告された言葉を思いだす」という設定で書かれた、吉自身の作詞作曲によるアンサーソング 「NDA![んだ!]」(徳間ジャパン 、TKCA-73354)が発売された。さらに同年11月19日には、ブームのきっかけとなったマッシュアップの作者と吉自身による完全新規レコーディング曲を収録したマキシシングル「IKZO CHANNEL 441.93」(徳間ジャパン、TKCA-73386。「441.93」は「よしいくぞう」の語呂合わせ。)も発売され、吉本人もIKZO名義でプロモーション活動を積極的に行った。
しかしその一方で、一連のブームが一段落した2010年の歌ネット のインタビューでは「(IKZOブームは)全くわからん。何やってんだか。『どうなってるか』っていう説明も受けたくない」など、自身の曲を改変されることに困惑している旨の発言もしている[39] 。ただし、歌ネット及び2015年の読売新聞のインタビューでも、「若い世代が自身の楽曲に親しんでくれる事自体は良い事」という、2008年時点の基本姿勢には変化はなかった[40] 。
2019年9月12日、吉は音楽配信 にて全編津軽弁 の歌詞のラップ「TSUGARU 」をリリースした[41] 。同曲は「俺ら東京さ行ぐだ」の流れを直接汲んだ楽曲であると認知されている[42] 。Youtubeで公開された公式MV[43] が2週間で200万再生を超えるなど好評だった事から、同年10月30日にはCDリリースも行われた[44] 。
脚注
注釈
^ 「行くだ」は誤りであり、正しくは「行ぐ だ」である。
^ 1985年2月7日放送回のこと。
^ 監督:後藤秀司 、脚本:高梨安英、樽見弘紀 、出演:吉幾三 、新井今日子 、鈴木正幸 。収録曲:「俺ら東京さ行ぐだ」、「ヨイ・ヨイ・ヨイ」、「故郷」、「酒もって来い!」、「津軽平野 」
^ オープニングでそのタクシー運転手とは別人の吉幾三本人役でも出演している(ただし、出身地は「横浜」としている)。
出典
参考文献
シングル アルバム
テレビ ラジオ 弟子 関連項目
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