今村 義朗(いまむら よしろう、英:IMAMURA Yoshiro、1977年〈昭和52年〉3月5日 - )は、愛知県出身のサッカー審判員。プロフェッショナルレフェリー、VARおよびAVAR担当審判員。
来歴
尾西市立第一中学校(現・一宮市立尾西第一中学校)で本格的にサッカーを始め[1]、木曽川高校からルネス学園甲賀健康医療専門学校(現・ルネス紅葉スポーツ柔整専門学校)に進み、同校のサッカー専攻で結成されるルネス学園甲賀サッカークラブでプレー。卒業後は滋賀県社会人サッカーリーグ所属の東レサッカー部で活動した[1]。現役時代のポジションはディフェンダーで、滋賀県代表DFとして大阪国体・神奈川国体と二度の国体に出場し、専門学校時代には天皇杯にも出場した。
2002年に現役引退後は審判員の道を目指し、2004年12月に1級審判員に登録される。翌年の2005年にはJリーグ担当副審となり、開幕戦の柏レイソルVS川崎フロンターレの試合でJリーグ初担当となる。2006年にはJFLの試合を担当し、2007年からは主にJ2を中心に主審を務めており、2010年からはJ1主審に昇格し、更に活動の場を広げている。2011年秋には日本サッカー協会 (JFA) の審判交流プログラムの一環として家本政明と共にフットボール・アソシエーション(FA、イングランドサッカー協会)に派遣され、U-19国際親善試合・U-19イングランド代表対U-19デンマーク代表の主審を担当した[2]。
2020年2月1日より主審の福島孝一郎、副審の西橋勲・野村修と共に、新たにプロフェッショナルレフェリー契約を締結した[1]。
経歴
議論となった判定
- 2023年8月19日 J1第24節 ヴィッセル神戸vs柏レイソル(ノエビアスタジアム神戸)
- 前半22分、神戸MF齊藤未月がFKからの流れでこぼれ球をシュート。これはDFにブロックされるが、こぼれ球をさらに蹴りに行った際、左から柏DFのジエゴ・ジャラ・ロドリゲスがの、右からMF戸嶋祥郎のそれぞれタックルを受けて交錯し、齊藤は転倒。これにより齊藤は左膝が曲がったままピッチに倒れ込み、即座にプレー不可能となり、担架で搬送され退場した。このプレーについて、主審を務めていた今村を含む審判団はノーファールの判断とし、PKや一発退場の可能性によるVARによる介入も行われなかった。
- 齊藤はその後の診断の結果、膝関節脱臼、左膝複合靱帯損傷(前十字靭帯断裂、外側側副靭帯断裂、大腿二頭筋腱付着部断裂、膝窩筋腱損傷、内側側副靭帯損傷、後十字靭帯損傷)、内外側半月板損傷で全治約1年の選手生命を脅かしかねない重傷を負った。神戸会長の三木谷浩史はSNS投稿で「この選手を守らないで、なんのためのサッカーか、なんのためのヴィッセルかと僕は思う」「これをそのままにするほうが危険だと思う。故意か否かではなく、このような危険なプレーを防ぐためにレッドカードがあるのだと僕は思う。足裏でサンドイッチ。JFAに睨まれようと、なんと言われようとこれはうちのクラブとしては放置はできません」と怒りを露わにし、対応を糾弾した。クラブ側も「選手が安心、安全に全力でプレーできる環境整備」が必要不可欠として、日本協会審判員会に意見書を提出した。
- 同年8月28日、JFAは東京都内でのレフェリーブリーフィングで本プレイを取り上げ、扇谷健司審判委員会委員長は「あのシーンについていろいろと議論を重ねた。審判委員会の見解はレッドカード。本当にこういったところで正しいジャッジができなかったことを申し訳なく思っている」と審判団の対応に不適切な面があったことを認め、謝罪した。VARが行われなかった理由として「(画像が不鮮明で)ポイント・オブ・コンタクトがわからなかった」ことを理由にあげつつも、齊藤の左膝に大きなダメージがあったことからも、ポイント・オブ・コンタクトとみられる場面は「一度しかない」ため、当該シーンが大怪我につながった接触だとみられるという点も踏まえ、ジエゴの足が齊藤の左膝に接触していたと判断することが可能だと結論づけた。このため、扇谷委員長はジエゴの足が上がっている点を指摘し、ジエゴについてレッドカード、戸嶋についてはノーファウルの見解を示した。扇谷委員長は今回の判定に関与した主審の今村は今後一定期間の試合割り当て停止とし、研修期間を設けることを明らかにした[4][5][6][7]。
出場記録
国内大会個人成績 |
年度 |
J1 |
J2 |
J3 |
リーグ杯 |
天皇杯 |
主審 | 副審 |
主審 | 副審 |
主審 | 副審 |
主審 | 副審 |
主審 | 副審 |
2005 |
0 |
2 |
0 |
6 |
- |
0 |
0 |
0 |
0
|
2006 |
- |
- |
- |
- |
2 |
0
|
2007 |
0 |
0 |
5 |
0 |
- |
0 |
0 |
2 |
0
|
2008 |
0 |
0 |
14 |
0 |
- |
0 |
0 |
1 |
0
|
2009 |
0 |
0 |
23 |
0 |
- |
0 |
0 |
1 |
0
|
2010 |
6 |
0 |
18 |
0 |
- |
2 |
0 |
3 |
0
|
2011 |
13 |
0 |
8 |
0 |
- |
1 |
0 |
3 |
0
|
2012 |
17 |
0 |
8 |
0 |
- |
1 |
0 |
3 |
0
|
2013 |
14 |
0 |
12 |
0 |
- |
0 |
0 |
3 |
0
|
2014 |
17 |
0 |
6 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
2 |
0
|
2015 |
13 |
0 |
8 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
4 |
0
|
2016 |
8 |
0 |
19 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
2 |
0
|
2017 |
10 |
0 |
14 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
3 |
0
|
2018 |
12 |
0 |
8 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
2 |
0
|
2019 |
11 |
0 |
9 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
2 |
0
|
2020 |
15 |
0 |
8 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0
|
2021 |
25 |
0 |
5 |
0 |
0 |
0 |
5 |
0 |
1 |
0
|
2022 |
18 |
0 |
5 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
3 |
0
|
2023 |
17 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0 |
3 |
0
|
通算
|
196 |
2 |
174 |
6 |
0 |
0 |
29 |
0 |
40 |
0
|
- その他の国内公式戦
- 全国高等学校サッカー選手権 (2007、2009、2011)
- 富士ゼロックススーパーカップ (2020)
決勝担当
出典