二村 昭雄(にむら てるお、1943年5月2日 - )は、京都府京都市右京区出身の元サッカー日本代表選手、サッカー指導者。
現役時代は、身体的には恵まれていないが、ポジションセンスと運動量の両方を伴ったMF。
中学校から大学時代まで一つ下の後輩の釜本邦茂とプレー。大西忠生、釜本と合わせて「京都三羽ガラス」として名を馳せた。
京都府立山城高等学校3年のときMFとして全日本ユース代表。その後早稲田大学第二政治経済学部へと進学。松本育夫、野村尊敬、桑田隆幸、森孝慈、釜本、大野毅らと同大学ア式蹴球部の黄金時代を創る。1963年日立本社(現柏レイソル)を3-0で破り、早稲田26年ぶりの天皇杯制覇に貢献。また、大学2年のときMFとして全日本ユース代表に選出されている。
その後、日本サッカーリーグ(JSL)所属の東洋工業(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)に進み、小城得達らとともに中盤でプレーし、東洋工業の黄金期を支えた。27歳で第6回アジア大会に出場。
現役引退後は1978年から札幌マツダ(のちのアンフィニ札幌。サンクFCくりやまも参照)、1981年から東洋工業/マツダ監督。
Jリーグが始まるとセレッソ大阪ユース総監督などを務めた。現在はJリーグマッチコミッショナーを務めている。
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