三島光産(みしまこうさん、英: Mishima Kosan Co.,Ltd.)は、福岡県北九州市八幡東区に本社を置く三島グループの中核企業である。
金型・樹脂成形、自動車製造ラインエンジニアリング、設備工事メンテナンスなどから人材サービス、製造設備、ITインフラ、部品製造等を担う、三島グループの中核企業。
本社はJR枝光駅の隣にあり、創業は1916年(大正5年)。
長年にわたり多角的経営を進め、現在では医療用装置や介護施設、保育園等の医療・福祉分野にも進出している。グループ企業は国内外に10社。国内は東京から沖縄まで29拠点(グループ計)があり、海外は香港、中国、インドに拠点を構える。各企業は独立した形にはなっているが、グループ内の連携は強い。
ニッチな分野に強く、国内有数のシェアを誇る製品を複数送り出している技術開発型企業。歴史的に日本製鉄やAGCとの関係が深いが資本関係はない独立系企業である。近年はトヨタ、日産等の自動車関連企業との取引も厚い。創業から100年以上、赤字になったのはリーマン・ショック時の1回だけで、堅固な経営体質を有している。
最近ではグループ会社のミシマOAシステムが開発したサイバーフィジカルシステムが産学官から注目を集めており、積極的にスマート工場の分野に進出している。
1949年12月、三島組を株式会社に改組したとき、三島光産と命名された。「光産」は「興産」と書かれるのが一般的だが、当時の社長の三島恵三が、「会社を産業界で光り輝くものにする」という思いを込め、「光」という字を使った社名となった。 常に社会に認められる立派な仕事をして世界に雄飛し、天地とともにいつまでも栄える「ミシマ」にしたいという願いが込められている。
「いきいきとたのしく わたしたち自身のために そして、社会のために」
従業員の幸せを最初に考えるという特徴のある基本理念が、半世紀を超えて継承されている。最初の経営理念は1961年に制定された「わが社は企業を通じて社会に貢献し、会社即(すなわち)全従業員の繁栄と幸福の理想郷をつくる。これがため、企業第一主義のもとに人格主義的人間関係を尊重し、独創性にあふれた科学的経営を行う」というものであったが、文体が古臭くわかりにくいとの意見があがり、1991年に人(従業員)を大切にする基本理念を引き継ぎながら、平易で簡潔な言葉を使って、現在の経営理念に改められた。
日本国内
海外
2002年、当時、鉄鋼君津事業本部に所属していた飯島和彦がダイエーホークス(現:ソフトバンクホークス)にドラフト6位で投手として入団している。杉内俊哉、寺原隼人と同期。
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