三宅 春恵(みやけ はるえ、旧字体:三宅 春惠、旧姓:豊田、1918年〈大正7年〉3月13日 - 2005年〈平成17年〉12月9日)は、日本の声楽家(ソプラノ)・オペラ歌手・音楽教育者。二期会の創設者の一人。夫はピアニストでフェリス女学院短期大学教授兼学長[1]の三宅洋一郎。
福岡市生まれ。父は英文学者・九州帝国大学教授の豊田実。1939年(昭和14年)東京音楽学校を卒業する。ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事[2]。
実質的なデビューは1939年(昭和14年)12月の新交響楽団(現: NHK交響楽団)定期演奏会のベートーヴェン『フィデリオ』マルツェリーネである[3]。
戦時中の1945年(昭和20年)1月においても新交響楽団の演奏会に出演しているのが確認できる[4]。
1951年(昭和26年)1月27日に日比谷公会堂で文部省芸術祭参加作品として、ベルリオーズ『ファウストの劫罰』の訳詞を演奏会形式で2公演、舞台として9公演を行い、これをNHKラジオが収録して放送している。 芸術祭後にソプラノの三宅、アルトの川崎靜子、テノールの柴田睦陸、バリトンの中山悌一の4名が中心となり[5]、「先人のオペラ活動を第1期に自らは第2期の中心として気概を新たに」という趣旨から「二期会」を結成し、1952年(昭和27年)2月15日に結成披露・基金募集の「ヴォーカル・コンサート」が行われた。プログラムには、2月現在の二期会会員として以下の16人の名前が記されている。三宅春恵、大熊文子、朝倉万紀子、柴田喜代子、荒牧規子、川崎靜子、佐々木成子、木下保、柴田睦陸、渡邊高之助、中山悌一、秋元清一、関忠亮、石津憲一、畑中良輔、伊藤亘行[6][7]。同年2月25日から28日にかけて、日比谷公会堂でプッチーニ『ラ・ボエーム』を訳詞で、マンフレート・グルリット指揮の東京交響楽団演奏で初演する。三宅は柴田喜代子とのダブルキャストでミミを務めた[8]。
1953年(昭和28年)から2年間、西ドイツのケルンおよびオーストリアのウィーンに留学する。
帰国後は二期会の主力歌手して数多くのオペラで活躍する傍ら、1960年代になると宗教音楽やドイツ歌曲で新境地を見いだし、半世紀以上にわたり、ソプラノ歌手として活躍[9]。
一方でフェリス女学院短期大学の教授として、後進の指導にあたった。のち、名誉教授となる。門下生に枝野朝子[10]、大庭照子[11]、藤野美智代[12]、佐藤ゆり[13]、工藤ななえ[13]、佐藤望[13]、大須賀鬨雄[14]、中田幸子(中田喜直夫人)[15]、米良美一[16]、横井説子[17]、奥村淑子[18]、大橋多美子[19]、谷一三子[20]、安部まり[21]、悳潤子[22]、稲葉祐三[23]、江口元子[24]、澤田昴英[25]、稲村麻衣子[26]、有賀喜見子[27]、笠井キミ子[28]などがいる。
1998年(平成10年)には80歳を記念したリサイタルを開催した[9]。
2005年(平成17年)12月9日に老衰のため横浜市で死去。87歳没。
1954年以前の音源は国立国会図書館デジタルコレクションによる[85]。
国立国会図書館デジタルコレクションによる[85]。