佐々木 成子(ささき さだこ、1919年(大正8年)5月27日[1] - 2017年(平成29年)5月15日[2])は、日本の声楽家(メゾソプラノ)、歌手、オペラ歌手、音楽教育者。二期会の結成メンバーの一人。本名: 内田 成(うちだ さだ)[3]。
東京府(現: 東京都)出身[3]。東京音楽学校(現: 東京藝術大学音楽学部)卒業[3]。ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事[4]。卒業後まもなく大量のSPレコードの吹込みを行なう。
戦後は、マーラー交響曲第8番の日本初演のソロを務めるなど、第一線のクラシックの声楽家として活躍している。
1952年(昭和27年)2月15日に二期会結成披露・基金募集の「ヴォーカル・コンサート」が行われた。プログラムには、2月現在の会員として以下の16人の名前が記されている。三宅春恵、大熊文子、朝倉万紀子、柴田喜代子、荒牧規子、川崎靜子、佐々木成子、木下保、柴田睦陸、渡邊高之助、中山悌一、秋元清一、関忠亮、石津憲一、畑中良輔、伊藤亘行[5][6]。同年2月25日から28日にかけて、日比谷公会堂でプッチーニ『ラ・ボエーム』を訳詞で、マンフレート・グルリット指揮の東京交響楽団演奏で初演する(ただし佐々木は出演していない)。
ウィーンへ音楽留学した日本人の草分けである[2]。
1970年以来、歌曲に重きを置き、リサイタルをはじめとしたコンサートで、歌曲ピアノ専門のドイツ人ピアニスト、ライナー・ホフマンとの共演を続けた。モーツァルトやシューベルトなどのドイツ歌曲、中田喜直の日本歌曲の作品の名演など、詩の響きを大切にする味わい深い歌唱は多くのファンを魅了した[3]。日本で、オペラではなくリート(歌曲)歌手としての地位を確立し、歌曲におけるピアノパートの重要性を長年にわたって開拓したのも初めてと評価されている[2]。80歳を過ぎても独唱会を開き、精力的に活動した[3]。
早くから文化交流にも尽力し、日本人初のオーストリア共和国芸術・科学名誉十字勲章を受章している[2]。
武蔵野音楽大学や京都市立芸術大学で数多くの後進の指導にも当たった[3]。門下生に、木村宏子[7]、菅英三子[8]、三井ツヤ子[9]、黒田博[10]、中辻邦子[11]、宇野徹哉[12]、榎水枝[13]、山岸茂人[14]、舟橋美穂[13]、藤本保江[15]、筧聰子[16]、田島茂代[17]、笈沼甲子[18]、岡嵜智恵子[19]、附田恵里子[20]、木下泰子[21]、石黒伸吾[22]、八代緑[23]、糸井博己[24]、木下泰子[25]、桑原妙子[26]、井上しほみ[27]、田代和久[28]、志村年子[29]、灘井誠[30]、辻宥子[30]、渡邊高之助[30]、奥田和[31]、田島英子[32]、鈴木美登里[33]、伊藤晶子[34]、島サチコ[35]、谷めぐみ[36]、鈴木操[37]、植田友章[38]、橋爪圭子[39]、安念千重子[40]、本山秀毅[41]などがいる。
2017年(平成29年)5月15日、老衰のため死去。97歳没。喪主は甥の戸塚亮一(とつか りょういち[3]: 株式会社ベヒシュタイン・ジャパン代表取締役会長[42])。
没後、全日本学生音楽コンクール全国大会特別賞として、第74回(2020年)から声楽部門の各部1位入賞者に贈る「佐々木成子賞」が設立された[43]。また、2020年度(令和2年度)に、東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業見込の学生のうち、優秀な成績を修めた者に対して給付する「佐々木成子奨学金」が遺贈により設立された[44]。
戦前の音源については国立国会図書館歴史的音源による[52]。