一色 次郎(いっしき じろう、本名:大屋典一(すけかつ)、1916年5月1日[1] - 1988年5月25日)は、日本の小説家。
鹿児島県沖永良部島出身[1]。幼少期に父が無実の罪で獄死[2]、加古川市に出稼ぎ移住の経験もある[3]。1936年に鹿児島朝日新聞(現・南日本新聞)で「隠密薩摩相」の連載小説を執筆。同年上京する[1]。佐佐木茂索に師事、はじめは本名で執筆活動を行った。1945年西日本新聞東京支社に入社[1]。1949年「冬の旅」で直木賞候補、1955年に児童読物で一色次郎の筆名を用いる。1961年「孤雁」で再度直木賞候補。
1967年に『青幻記』で太宰治賞を受賞し[1]、同作品は1973年に映画化された[2]。その後は一色次郎を筆名として定着させ、主に戦争をテーマとした小説を書き、1973年『東京大空襲・戦災誌』で菊池寛賞を受賞[1]。1975年『サンゴしょうにとびだせ』でサンケイ児童出版文化賞を受賞[1]。
その他の作品には、1984年に読売テレビによってテレビドラマ化された『魔性』などがある。死刑廃止運動もおこなった[1]。水上勉は古くからの文学仲間だった。
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