ワイルドアゲイン (Wild Again) はアメリカ合衆国の競走馬、種牡馬。競走馬時代の1984年に第1回ブリーダーズカップ・クラシックに優勝、種牡馬としても10頭以上のG1競走優勝馬を輩出する成功を収めた。
経歴
2歳となった1982年に、ルイジアナ州のルイジアナダウンズ競馬場でデビューした。初戦は2着だったが、次の競走で初勝利を得ている。続く3戦目も連勝するが、以後は順調に勝ち上がることができず、更に3歳シーズンを全て休養に費やしたこともあって出世は遅かった。
しかし4歳に戦列復帰後、4戦2勝と調子を上げて出走したニューオリンズハンデキャップ (G2) で重賞競走初勝利を挙げる。その後、オークローンハンデキャップ (G2) をレコードタイムで優勝、9月にはメドウランズカップハンデキャップに優勝し、G1競走初勝利を挙げた。
そして一般戦での3着を経て、11月10日にハリウッドパーク競馬場で行われた第1回ブリーダーズカップ・クラシックに出走した。騎手はパット・デイ。この年すでに15戦を消化、成績が安定していないこともあり8頭立ての6番人気と非常に低い評価だった。しかし、スタート直後から先頭を切って逃げを打つと、最後の直線では馬体を接してきたスルーオゴールド、さらに外から追い込んできたゲートダンサーとの激しい競り合いを制し勝利[1]、クラシックの初代優勝馬となった。
翌 1985年は4戦したが未勝利に終わり、競走馬を引退して種牡馬となった。当時の流行血統をほとんど持たない異系の血統だったが、初年度からG1競走2勝を挙げたアワイルドライドを送り出すと、以降も毎年のようにG1優勝産駒を輩出し、種牡馬としても大きな成功を収めた。日本でもナリタキングオーなど数頭の重賞優勝馬を輩出している。また、アメリカでG1競走2勝を挙げた産駒ワイルドラッシュが2004年より種牡馬として日本に導入されている。
2004年に種牡馬を引退。種牡馬生活を過ごしたケンタッキー州のスリーチムニーズファームで功労馬として余生を過ごしていたが、老衰により2008年12月5日に安楽死措置が取られた[2]。
競走成績
主な産駒
※日本調教馬(カナ表記)以外はG1競走優勝馬のみ記載。括弧内にとくに記載されているものはG1競走。
血統表
父はノーザンダンサーを介さないニアークティック系種牡馬の代表格。本馬のほかにクレヴァートリックなどを輩出している。母は重賞のシネマハンデキャップなど8勝を挙げた活躍馬。牝系は日本とも縁が深く、3代母クローヴリーから連なる系統の活躍馬には1969年の 啓衆社賞最優秀3歳牡馬アローエクスプレス、1982年の東京優駿優勝馬バンブーアトラスなど、また、クローヴリーの甥には日本で7度のリーディングサイアーを獲得したヒンドスタンがいる。4代母ウダイプールは1932年の エプソムオークス優勝馬である。
脚注
外部リンク