メイ・ルイーズ・サグス(Mae Louise Suggs、1923年9月7日 – 2015年8月7日)は、米国人女子プロゴルファーで、LPGA ツアー創設者の一人でありまた現代女子ゴルフの始祖[1]。
アトランタ生まれで十代から華々しいアマチュアキャリアを持つ。1940年には16歳でジョージア州アマチュア選手権に優勝し、さらに1942年の同大会でも優勝した[2]。また、1941年と1947年のサザンアマチュア[3]、1942、1946、1948年のノースアンドサウス女子アマチュア[4]、1946年と1947年の女子ウェスタンアマチュア[5]、1946年と1947年の女子ウェスタンオープン(この大会は LPGA 創設後にメジャー大会と認定されている)にも優勝した[6]。1946年にはタイトルホルダーズ選手権にも優勝したが、この大会もメジャー大会の一つに認定されている。1947年の全米女子アマ優勝に続き翌年の全英女子アマにも優勝。1948年のカーチスカップの全米代表として出場したのがアマチュアキャリアの最後となった[7]。
1948年にプロに転向し、最終的には58勝をあげ、その中には11のメジャー大会優勝が含まれている。1950年から1960年にかけて年間賞金獲得額でトップ3に入らなかったのは1度だけという事実が彼女の才能を表している。
サグスは1967年に創設された LPGAツアー殿堂の初めのメンバーの一人となり、さらに1979年には世界ゴルフ殿堂入りした。ジョージアスポーツ殿堂には1966年に入った[8]。
1950年のLPGA設立時には、当時ライバルだったパティー・バーグ、ベーブ・ザハリアスらとともに共同設立者の一人となった。1955年から1957年にかけては会長も務めた。
LPGAツアーにおいて最も優秀な初年度プレーヤーに授与されるルイーズサグス ロレックスルーキーオブザイヤー賞は彼女の名誉にちなんで命名された。2006年、サグスはゴルフ分野での卓越したスポーツマンシップが認められ、USGA から2007年度ボブジョーンズ賞の受賞者に選ばれた。2015年2月にはセントアンドリュースロイヤルアンドエンシェントゴルフクラブ (R&A) の最初の女性メンバーの一人になった[9]。
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