ガーター騎士団 員13代ウォリック伯 リチャード・ド・ビーチャムの紋章
第13代ウォリック伯爵 リチャード・ド・ビーチャム (英語 : Richard de Beauchamp, 13th Earl of Warwick , KG , KB 、1382年 1月25日 か28日 - 1439年 4月30日 )は、イングランド の貴族、軍人。
百年戦争 におけるイングランド軍の指揮官の一人。
経歴
ウォリック ・聖メアリー教会 (英語版 ) に安置される金メッキされた青銅のウォリック伯の彫像
1382年1月25日か28日、第12代ウォリック伯爵トマス・ド・ビーチャム とその妻マーガレット(第3代グロービーのフェラーズ男爵 (英語版 ) ウィリアム・フェラーズ の娘)の長男としてウスターシャー ・サルワープ (英語版 ) に生まれる[ 1] [ 2] [ 3] 。
1399年 のヘンリー4世 の戴冠式の際、19歳にしてバス騎士団(勲章) ナイト(KB)に叙された[ 1] 。1401年 4月8日 に父が死去し、第13代ウォリック伯位を継承した[ 2] 。所領はウスターシャー・ウォリックシャー を中心に18州にも及ぶ広大な領土だった上、2度の結婚で更に領土を増やし大貴族としての地位を確立した。
青年時代から一貫してランカスター 王家のために行動した。1403年 のシュルーズベリーの戦い (英語版 ) でヘンリー・パーシー (ホットスパー)軍と戦い、国王軍の勝利に貢献した。さらにウェールズ に転戦して反乱 を起こしていたオワイン・グリンドゥール 軍の掃討作戦にも参加した。
1403年にガーター騎士団(勲章) ナイト(KG)に叙せられたといわれているが、彼のガーター騎士叙任年には異論もある(遅く見積もっても1416年 までには叙されている)[ 1] 。1408年 にはヨーロッパ 各地やエルサレム の聖地巡礼を行った。パリ にも訪問し、シャルル6世 の歓待を受けた。
1414年 にはロラード派 の反乱の鎮圧に参加している。
1413年 にヘンリー5世 が即位するとその側近となる。1415年 から再開された百年戦争でもヘンリー5世に従ってフランスに出陣し、指揮権を任されてフランス軍に対して連勝を重ねた。1420年 のトロワ条約 締結に至る環境作りに大きく貢献した。
1427年 には婿のジョン・タルボット らと共にモンタルジ への出兵の指揮を執っているがフランス軍に敗退している。1428年 から開始されたオルレアン包囲戦 は、主戦派のウォリック伯と第4代ソールズベリー伯 トマス・モンタキュート が摂政ベッドフォード公 ジョン にゴリ押しした作戦だったという。しかし、11月にソールズベリー伯が戦死して包囲戦は停滞、翌1429年 にジャンヌ・ダルク の活躍で包囲網が崩壊して作戦は失敗した。
1427年 以来、ルーアン の総督を務めており、捕虜になったジャンヌが1430年 12月23日 にルーアンに連行されてきた際には、ブーヴルイユ城で彼女と対面した。ジャンヌとウォリック伯の関係はわからないが、ジャンヌはこの城で囚人扱いを受けており、それを命じたのがウォリック伯であることに疑問の余地はない。一方、ジャンヌの処刑から2ヶ月後の1431年 8月11日 にジャン・ポトン・ド・ザントライユ もブーヴルイユ城へ収容されたが、こちらはタルボットとの捕虜交換の目論見があったため優遇している。
1428年 には幼王ヘンリー6世 の教育係に任命されている。1437年 にはノルマンディー 及びフランスの総督に任命されたが、1439年4月30日にルーアンで死去した[ 2] 。遺体はイングランドへ搬送され、ウォリックの教会に葬られた。
ウォリック伯位は後妻との間の息子ヘンリー に受け継がれ、1445年 にヘンリーは公爵に昇叙されたが翌1446年 に急死、孫娘でウォリック伯位を継いだアン も1449年 に死亡、伯位は同名の叔母でヘンリーの妹アン・ビーチャム の夫リチャード・ネヴィル に受け継がれていった。
栄典
爵位
1401年 4月8日 に父から以下の爵位を継承した[ 2] 。
(1088年 の議会招集令状 (英語版 ) で創設されたイングランド貴族 爵位)
勲章
家族
1397年 にイギリス一の資産家の女子相続人であるエリザベス・ド・バークリー (英語版 ) (1385年 - 1422年)と結婚した。彼女は第5代バークリー男爵 (英語版 ) トマス・ド・バークリー (英語版 ) (1353年 - 1417年)と第3代リール女男爵 (英語版 ) マーガレット・ド・リール (1360年 - 1392年)の間の娘であり、母から第4代リール女男爵位、父から第6代バークリー女男爵位を継承した[ 18] 。彼女との間に以下の三女を儲けたが[ 18] [ 3] 、そのためにエリザベスの保有する2つの男爵位は誰にも継承させられず、彼女の死とともに停止 状態(abeyance)となった[ 18] [ 注釈 1]
エリザベスと死別した後の1423年 にグロスター伯トマス・ル・ディスペンサー の娘で第5代バーグハーシュ女男爵 (英語版 ) イザベル・ル・ディスペンサー (1400年 - 1439年)と結婚した[ 2] 。彼女も資産家である。彼女との間に以下の1男1女を儲ける[ 2] [ 3] 。
ウォリック伯を演じた人物
俳優
声優
脚注
注釈
^ 議会召集令状(writ of summons )によって創設された爵位は男子がない場合に女子・女系の継承が可能であるが、姉妹間では継承順位が同じであるため(男子がなく娘が複数いたときは娘全員が継承順位一位となる)、継承順位一位の人物が一人になるまで誰も爵位を称することができない。この状態は abeyance と呼ばれる。
出典
^ a b c d e Gairdner, James (1885). "Beauchamp, Richard de (1382-1439)" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 4. London: Smith, Elder & Co .
^ a b c d e f Heraldic Media Limited. “Warwick, Earl of (E, 1088 - 1446) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2015年11月19日 閲覧。
^ a b c Lundy, Darryl. “Richard Beauchamp, 13th Earl of Warwick ” (英語). thepeerage.com . 2015年11月19日 閲覧。
^ a b c Heraldic Media Limited. “Berkeley, Baron (E, 1295 - abeyant 1422) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2015年11月19日 閲覧。
参考文献