リアルシャダイ (Real Shadai、1979年5月27日 - 2004年5月26日) は、アメリカ合衆国で生産されたサラブレッド競走馬、種牡馬。
1981年から1982年までフランスで競走生活を送り、G2競走のドーヴィル大賞典に優勝した。ほかジョッキークラブ賞(フランスダービー)、サンクルー大賞でそれぞれ2着の成績がある。通算8戦2勝。競走馬引退後の1984年より日本で種牡馬となり、桜花賞優勝馬シャダイカグラ、阪神3歳ステークス優勝馬イブキマイカグラ、GI競走3勝を挙げたライスシャワーなどを輩出した。1993年度日本リーディングサイアー。長距離向きの馬を数多く輩出する種牡馬としても知られた。
経歴
生い立ち
1979年、アメリカ合衆国ケンタッキー州レキシントンのノースリッジファームによる生産[1]。父ロベルトはヨーロッパで走り、1972年のダービーステークスなどG1競走を3勝、母デザートヴィクスンもベルデイムステークスでのレコード勝ちなど数々の大競走を制し、本馬が誕生した年にはアメリカ競馬の殿堂に加えられた[2]名牝馬であった。祖母デザートトライアルも12勝を挙げており、その他の近親にも数々のステークス優勝馬がいた[3]。
1歳時の1980年7月、キーンランドで行われたセリ市に上場され、日本から参加していた競走馬生産者の吉田善哉に36万ドルで落札された[1]。将来の日本での種牡馬入りを前提とした落札であり、特に吉田の経営になる社台グループの主力種牡馬・ノーザンテーストを父に持つ牝馬との配合を見越したものだった[4]。本馬の祖父・ヘイルトゥリーズンから連なる系統の種牡馬は、ノーザンテーストの父・ノーザンダンサーの血を受けた牝馬との和合性の高さを示して勢力を伸ばしたが[5]、本馬の場合、血統の相性以上に重視されたのが繋(つなぎ[注 1])の形であった。本馬は繋が硬く、極端に立った形をしており、逆に寝た形が多く、ときに柔らかすぎる繋を持つ馬も出していたノーザンテーストの欠点を中和すると考えられたのである[4]。
競走馬時代
競走年齢の2歳に達した1981年11月にフランスへ送られ、ノーザンテーストの競走馬時代も手掛けたジョン・カニントン・ジュニア厩舎へ入る[3]。2歳時は2戦したが勝利を挙げることなく、休養を挿んだ翌1982年4月にマロニエ賞で初勝利を挙げた[3]。続くオカール賞では直線で鋭い伸び脚を見せて3着となり、G1競走初出走のジョッキークラブ賞(フランスダービー)では3番人気に支持された[3]。レースでは先行策から最後の直線で先頭に立ったが、残り200メートルでアサートにかわされ、同馬から3馬身差の2着となった[3]。続くサンクルー大賞も先行策から3着と敗れるが、秋に出走したドーヴィル大賞典では後方待機策から最後の直線で鋭く伸び、2着ノーアテンションに1馬身半差をつけて重賞初勝利を挙げた[3]。なお、ノーアテンションも後に種牡馬として日本へ輸出され、GI競走3勝のスーパークリークなどを輩出した。
フランス競馬の最高峰・凱旋門賞では3歳牝馬アキーダの5着と敗れたが、1番人気に推されたアサートやオールアロングなどに先着している[3]。のちリアルシャダイはアメリカへ戻されチャーリー・ウィッティンガムの管理下へ移ったが、アメリカでは一度も出走することなく、1983年11月に種牡馬入りのため日本へ送られた[3]。
種牡馬として
社台ファーム早来(のち社台スタリオンステーション)で繋養されたリアルシャダイは、初年度産駒からミュゲロワイヤル、フリートークといった重賞勝利馬を輩出、1989年には2年目の産駒シャダイカグラが桜花賞に優勝し、産駒のGI競走初勝利を挙げた。その後も数々の活躍馬を輩出し、1993年には日本リーディングサイアーとなった[4]。吉田が交配を見越していたノーザンテースト牝馬からも阪神3歳ステークスの優勝馬イブキマイカグラなど数々の活躍馬が生まれた[4]。
代表産駒[4]ライスシャワー
母親に似た仔を出す傾向があったが、自身からも発達した後躯を伝える特徴があり、産駒が備えた鋭い瞬発力の源になっていたともされる[5]。他方、前述の硬く立った繋が強く遺伝した場合には大きな故障が増え、GI競走で3勝を挙げながら競走中の故障で安楽死処分となったライスシャワーなど、産駒に「悲劇の名馬」「未完の大器」といった類が続出する原因ともなった[4]。
また特筆されるのは長距離競走での強さである[4]。1991年から1996年8月まで集計されたリアルシャダイ産駒による2300メートル以上での成績は、勝率が全種牡馬平均の8.8パーセントに対し17.1パーセント、全勝利に占める2300メートル以上の割合は同3.2パーセントに対し、14.2パーセントであった[4]。勝った3つのGIがすべて長距離競走だったライスシャワーは「最後のステイヤー[注 2]」とも称された。また、リアルシャダイを母の父に持つイングランディーレ、アドマイヤジュピタもそれぞれ長距離GI競走の天皇賞(春)を制しているが、この「母の父リアルシャダイ」は長距離GIにおける「定番」の血統ともなっていた[6]。
リアルシャダイは2000年の種付けを最後に種牡馬生活から退き、以後は社台スタリオンステーションで功労馬として余生を送った[7]。2004年5月26日、右後脚に発症していた蹄葉炎により衰弱し死亡[7]。25歳没。死後の2009年、社台スタリオンステーションにノーザンテーストと共に馬像が建立された[8]。
吉田善哉と親しかった山野浩一は、リアルシャダイの訃報に接して自身のブログに次のように綴った[9]。
おそらく吉田善哉さんにとって最も思い入れの深い馬の1頭だっただろう。この馬を買うとすぐにフランスに入厩させ、あえてシャダイの
冠ネームを使った。凱旋門賞に向けて着実に成長し続け、人気馬の1頭となったが、近づくと「山野さん、応援に来てくけれないだろうか」と善哉さんからの電話を受け渋っていると「勝てそうなんだ」と念を押す。むろん私も行きたがったが、そのような高価な招待を受けるわけにはいかないので「自費でよろしければ」と参加することにした。凱旋門賞は初めてで、私にもすばらしい経験となった。リアルシャダイは好走して四着
<ママ>となったものの、善哉さんにはかなり無念だったようだ。種牡馬となってからもノーザンテーストと首位を争うようになり、「見ていなさい、すぐに入れ替わるから」とノーザンテーストを目の敵にするほどだった。リアルシャダイはついにリーディングサイヤーとなったが、なぜか善哉さんの死とともにほとんど活躍馬を出さなくなり、まるで善哉さんのためにのみ活躍馬を出し続けたかのようだった。
年度別競走成績
年 |
馬齢 |
出走 |
1着 |
2着 |
3着 |
4着以下 |
主な実績
|
1981年 |
3歳 |
2 |
0 |
1 |
0 |
1 |
|
1982年 |
4歳 |
6 |
2 |
1 |
2 |
1 |
1着 - ドーヴィル大賞典(G2) 2着 - ジョッキークラブ賞(G1) 3着 - サンクルー大賞(G1)、オカール賞(G2)
|
計 |
|
8 |
2 |
2 |
2 |
2
|
種牡馬成績
出典:JBISサーチ リアルシヤダイ(USA)種牡馬情報各ページ
- サラブレッド系総合成績
年 |
出走 |
勝利 |
順位 |
AEI |
収得賞金
|
頭数 |
回数 |
頭数 |
回数
|
1987年 |
22 |
64 |
14 |
15 |
158 |
1.47 |
1億2163万9200円
|
1988年 |
60 |
296 |
28 |
49 |
21 |
2.44 |
5億8873万8200円
|
1989年 |
87 |
446 |
40 |
62 |
8 |
2.84 |
10億6188万5600円
|
1990年 |
96 |
575 |
44 |
72 |
9 |
2.23 |
9億6079万4800円
|
1991年 |
121 |
620 |
48 |
79 |
7 |
1.95 |
10億9645万5600円
|
1992年 |
134 |
766 |
68 |
106 |
3 |
1.97 |
12億4329万0000円
|
1993年 |
144 |
822 |
62 |
95 |
1 |
2.70 |
17億2271万3000円
|
1994年 |
159 |
848 |
58 |
90 |
2 |
2.25 |
14億8930万8000円
|
1995年 |
146 |
862 |
51 |
80 |
5 |
2.11 |
12億6184万4500円
|
1996年 |
131 |
832 |
51 |
94 |
9 |
1.84 |
9億9786万8000円
|
1997年 |
142 |
969 |
64 |
93 |
10 |
1.61 |
9億6286万6000円
|
1998年 |
168 |
1104 |
62 |
120 |
6 |
1.88 |
13億5877万7000円
|
1999年 |
161 |
1128 |
67 |
119 |
14 |
1.44 |
9億8408万6000円
|
2000年 |
135 |
1018 |
52 |
93 |
27 |
1.21 |
6億9697万5000円
|
2001年 |
122 |
963 |
47 |
88 |
42 |
1.08 |
5億3721万3000円
|
2002年 |
124 |
911 |
44 |
91 |
55 |
0.92 |
4億3585万2000円
|
2003年 |
95 |
863 |
33 |
53 |
82 |
0.72 |
2億5949万1500円
|
2004年 |
60 |
646 |
31 |
62 |
71 |
1.27 |
2億8463万0500円
|
2005年 |
33 |
271 |
12 |
20 |
141 |
0.92 |
1億1099万2000円
|
2006年 |
18 |
177 |
5 |
13 |
174 |
1.01 |
6926万6000円
|
2007年 |
6 |
42 |
0 |
0 |
502 |
0.18 |
411万7000円
|
2008年 |
2 |
19 |
0 |
0 |
497 |
0.42 |
332万0000円
|
2009年 |
1 |
6 |
1 |
1 |
661 |
0.08 |
23万7000円
|
主な産駒
※括弧内は各馬の優勝競走。
GI競走優勝馬
中央競馬および中央・地方統一重賞競走優勝馬
- 1985年産
- 1986年産
- 1988年産
- 1990年産
- 1994年産
- 1996年産
- 1998年産
- サンライズジェガー(2002年アルゼンチン共和国杯)
地方競馬重賞競走優勝馬
母の父としての主な産駒
※太字はGI・JpnI競走。
- 1995年産
- 1996年産
- 1997年産
- 1999年産
- 2001年産
- 2002年産
- 2003年産
- 2005年産
- 2007年産
- 2009年産
血統表
脚注
注釈
- ^ 蹄と球節の間のくるぶしにあたる部分。
- ^ ステイヤー=長距離得意の馬を表す競馬用語。
出典
参考文献
- 『優駿』1988年5月号(日本中央競馬会)
- 『優駿』1992年5月号(日本中央競馬会)
- 吉沢譲治「わかりやすい日本の種牡馬 - '92春GI競走有力馬たちの父系」
- 『優駿』1996年9月号(日本中央競馬会)
- 後藤正俊「サラブレッド 新しい日本の血統 - 世界最高レベルに達した日本の種牡馬の個性を掴む」
外部リンク
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1920年代 | |
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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