マンスフィールド (Mansfield)は、アメリカ合衆国 オハイオ州 の都市。リッチランド郡 の郡庁所在地である。人口は4万7534人(2020年)。アルゲイニー台地 の西縁、州都コロンバス とクリーブランド のほぼ中間に位置する。マンスフィールド都市圏 はリッチランド郡全体に及んでいる。
マンスフィールドは1808年に創設され、市名は北西部領土測量隊長ジャレッド・マンスフィールドにちなんでつけられた。一帯は郡名のリッチランドが示すように肥沃な土地に恵まれ、農地が広がったが、やがて19世紀 も後半に入ると、鉄道交通の発展に伴い、工業都市として成長した。しかし、1970年代 以降、ラストベルト の多くの工業都市と同様に、この地域における重工業が衰退に向かい、人口は減少傾向にある。そのため、地域経済は多角化、特に重工業依存からの脱却と第三次産業 への転換を進めている。
歴史
創設年の「1808」が描かれたウェルカム・サイン
マンスフィールドは1808年 6月、北西部領土測量隊長ジャレッド・マンスフィールドの指揮の下、ジェームズ・ヘッジズ、ジョス・ラーウェル、およびジェイコブ・ニューマンによって創設された。入植地の名であるマンスフィールドはこの指揮官、ジャレッド・マンスフィールドにちなんでつけられた。もともとは、パブリック・スクエアと呼ばれる広場(現在のセントラル・パーク)を中心として、入植地は正方形に区画されていた。やがて、最初の入植者となったサミュエル・マーティンが、この入植地で最初の、そして1808年中に建てられた唯一の建物となった丸太小屋を区画97に建てた[1] 。マーティンはこの小屋で冬を越し、先住民にウイスキー を売っていた。しかし、この行為は違法とされ、マーティンは郡外への逃亡を余儀なくされた。翌1809年 、マーティンが去った後のこの小屋にジェームズ・カニンハムが入居した[2] 。やがて1812年 、米英戦争 の最中、先住民の攻撃から入植地を防衛するため、2棟の方形小要塞がパブリック・スクエアに建てられた[1] 。これらの小要塞は一晩にして建てられたものであった[3] 。終戦と前後して、これらの小要塞のうちの1棟が初代の郡地方裁判所庁舎、および監獄に転用された[1] 。
マンスフィールドは1828年 2月24日、オハイオ州議会 の議決により、正式に村として法人化された。その後、1857年 には、マンスフィールドは人口5,121人を数え、市制を施行した[4] 。
19世紀 中盤に入ると、各地で鉄道 の整備が進み、マンスフィールドにも鉄道が次々と開通した。マンスフィールドに初めて開通した鉄道は、1846年 、マンスフィールドとエリー湖 岸のサンダスキー とを結ぶ、全長87kmのマンスフィールド・アンド・サンダスキー・シティ鉄道(後にボルチモア・アンド・オハイオ鉄道 の一部)であった。この鉄道は、その後1850年 にニューアーク まで延伸された[5] 。その後、1850年にはピッツバーグ・アンド・フォートウェイン鉄道(後にペンシルバニア鉄道 の一部)が、1863年 にはアトランティック・アンド・グレート・ウェスタン鉄道(後にエリー鉄道 の一部)がそれぞれ開通した。しかし、1870年 に計画されたマンスフィールド・コールドウォーター・アンド・レイク・ミシガン鉄道は、マンスフィールドまで開通することは無かった[6] 。
マンスフィールドのダウンタウン(1908年 )
1880年代 、これらの鉄道の存在によって、マンスフィールドは州中北部における工業と通商の中心地として発展を遂げて行くようになった。この頃、マンスフィールドでは扉 、真鍮 加工品、亜麻仁油 、サスペンダー 、紙箱などが生産されていた。マンスフィールド最大の雇用主はたばこ 製造会社のホーツェンローダー社で、1888年時点で285人を雇用していた[7] 。19世紀末には、マンスフィールドのダウンタウンにはビクトリア建築 様式の建物が建ち並ぶようになった[8] 。1913年 には、アメリカ合衆国初の大陸横断ハイウェイであるリンカーン・ハイウェイ がマンスフィールドを通り、さらなる経済発展がもたらされた[9] 。その後、20世紀 初頭から中盤に至るまで、マンスフィールドは成長し続けた[8] 。1970年 には、マンスフィールドの人口は55,047人を数え、ピークに達した。
しかし、1970年前後以降、ダウンタウンの活力は次第に失われていった。1969年 には、マンスフィールドの西に隣接するオンタリオ に郊外型のショッピングモール ができ、ダウンタウンのデパート は閉店するか、周縁部へと移転していった[8] 。1970年代 後半から1980年代 にかけては、重工業が労働力の安いアメリカ合衆国外へと流出したことにより、ラストベルト の多くの他都市と同様、マンスフィールドにおける工業は衰退し、市の中心部は荒廃 していった。市内の建物は次々と空き家になり、窓ガラスは割れ、犯罪、売春 や麻薬 が横行するようになった[10] 。特に荒廃が酷かったのは、セントラル・パークから北へ2ブロック、4thストリートとメイン・ストリートの交差点周辺であった[8] 。
1990年代 に入ると、ダウンタウンの立て直しが行われた。1991年 に、4thストリートとメイン・ストリートの南西角にリッチランド・カルーセル・パークが開園すると、その周辺には再び各種小売店や飲食店、オフィスが建ち並ぶようになった。1999年 には、カルーセル・パーク周辺地域の入居率は100%になった。また、建物の修復だけではなく、景観やレンガ、さらには鉄製の装飾も用いて、ダウンタウンの美観を回復した[8] 。
2000年代 後半の世界金融危機 がもたらした不況はマンスフィールドの財政にも打撃を与えた。2008 -09年 にかけて、マンスフィールドの財政は急激に悪化し、財政緊縮策に失敗したこともあって、市は380万ドル もの赤字を出した。これにより、2010年 8月19日、州の監査局はマンスフィールドを「財政危機」にあると宣言した[11] 。2014年 7月9日、市は財政危機を脱した[12] 。
地理
マンスフィールド・アシュランド・ビューサイラス広域都市圏 マンスフィールド都市圏
アシュランド小都市圏
ビューサイラス・ガリオン小都市圏
マンスフィールドは北緯40度45分17秒 西経82度31分22秒 / 北緯40.75472度 西経82.52278度 / 40.75472; -82.52278 に位置している。市はオハイオ州 の3大都市を結ぶ州間高速道路 I-71 の沿線にあり、州都コロンバス から北東へ約100km、クリーブランド からは南西へ約120kmである。
アメリカ合衆国国勢調査局 によると、マンスフィールド市は総面積80.08km2 (30.92mi2 )である。そのうち79.95km2 (30.87mi2 )が陸地で0.13km2 (0.05mi2 )が水域である。総面積の0.16%が水域となっている。市域はアルゲイニー台地 の西縁に広がっており、市域はやや起伏に富み、オハイオ州の都市の中では標高の高い部類に入る。市中心部の標高は378mであるが、市の最高点である市南西部の地下貯水池、ウッドランド貯水池では標高455mである。
マンスフィールドの都市圏は、マンスフィールドに郡庁を置くリッチランド郡のみで成っている。広域都市圏は、この都市圏にアシュランド小都市圏(アシュランド郡 )およびビューサイラス・ガリオン小都市圏(クロフォード郡 )を加えた3郡から成っている。
気候
マンスフィールド
雨温図 (説明 )
インペリアル 換算
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
気温(°F )
総降水量(in)
マンスフィールドの気候は四季がはっきりしており、特に冬の厳しい寒さと降雪に特徴付けられる、大陸性の気候である。最も暑い7月の平均気温は約22℃、最高気温の平均は約28℃で、日中32℃を超えることは平年で月に1-2日程度である。最も寒い1月の平均気温は氷点下4℃、最低気温の平均は氷点下8℃で、月のほとんどの日は気温が氷点下に下がる。降水量は春から夏、4月から8月にかけてはやや多く、月間100-120mm程度、一方秋から冬、9月から3月にかけてはやや少なく、月間60-100mm程度である。年間降水量は1,120mm程度である。また、冬季の12月から3月にかけての月間降雪量は20-35cm、年間降雪量は123cmに達する[13] 。ケッペンの気候区分 では、マンスフィールドは中西部 の大部分に分布する亜寒帯湿潤気候 (Dfb )に属する。
マンスフィールドの気候 [13]
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
年
平均気温(℃ )
-3.6
-2.0
2.8
9.3
14.8
19.8
21.9
21.1
17.2
10.9
5.2
-1.3
9.7
降水量(mm )
73.7
61.0
86.4
104.1
114.3
121.9
111.8
111.8
83.8
73.7
96.5
83.8
1,122.8
降雪量(cm )
33.8
29.0
19.8
6.6
-
-
-
-
-
1.2
5.6
26.7
122.7
都市概観と建築物
セントラル・パークのバスバインダー噴水
チェース・タワー
マンスフィールドの街路はダウンタウンでは比較的整然と区画されている。ダウンタウンの中心となっているのは、ノース・パーク・ストリート、サウス・パーク・ストリート、メイン・ストリート、およびダイアモンド・ストリートに囲まれた、2エーカー (8,094m2 )のセントラル・パークである[14] 。南北に通る通りは、セントラル・パークを突っ切るパーク・アベニューを境に南(S)と北(N)に分かれている。また、東西に通る通りは、メイン・ストリートを境に東(E)と西(W)に分かれている。
マンスフィールドのダウンタウンに建つ建物はほとんどが中低層のものである。市で最も高い建物は、セントラル・パークから西へ2ブロック、パーク・アベニューとウォルナット・ストリートの北西角に建つチェース・タワーである。この12階建て、高さ48mのライムストーン 造、アール・デコ 様式のビルは、1929年 に建てられたものである[15] 。
政治
マンスフィールド市庁舎
マンスフィールドは市長制 を採っている。市長は市の行政の最高責任者であり、市政府各局の監督および管理に責任を負う。また、市長は市の治安の首席保全者であり、全ての法令や条例が完全に遵守され、施行されることに責任を負う。市長は市の儀礼的な長でもある。このほか、市長は 1) オハイオ州憲法、およびオハイオ州法の定めにより与えられた司法権を行使する、 2) 市議会での議論に参加し、その検討事項に対して提案をする、および 3) マンスフィールド市憲章、条約、議決、もしくはオハイオ州法で認められた、もしくは義務付けられた権限、任務、および機能を果たす、の3点に対しても責任を負う。市長は全市から選出され、その任期は4年である[16] [17] 。
市の立法機関である市議会は議長および8人の議員から成っている。8人の市議員のうち、6人は市を6つに分けた選挙区から1人ずつ選出され、残りの2人は全市から選出される。市議員の任期は4年で、2年ごとに半数を改選する[18] 。市議会議長は市長および市議員とは別に全市から選出され、その任期は4年である[19] 。
経済
マンスフィールドがまだ工業都市として栄えていた頃、タッパン・ストーブはマンスフィールドに本社を置き[20] 、またウェスティングハウス・エレクトリック は買収したコープマン電気ストーブ会社をマンスフィールドに置く[21] など、市は特に家電機器 およびストーブ の製造で知られていた。
AKスチールのマンスフィールド工場
しかし、1970年代 の鉄鋼不況に始まって、製造業のアメリカ合衆国外への流出、労働争議 の長期化、そして工場設備の老朽化によって、ラストベルト の他の多くの工業都市と同様、マンスフィールドの地域経済を支えていた重工業は大きく衰退し、工業都市としての地位は大きく低下した。マンスフィールド・タイヤ・アンド・ラバー、オハイオ・ブラス、ウェスティングハウス、タッパンなど、マンスフィールドに本社もしくは重要拠点を置いていた会社は次々と買収されるか、移転されるか、あるいは閉鎖された。さらに、2009年 にゼネラルモーターズ が経営破綻し、連邦倒産法第11章 の適用を申請すると、翌2010年 6月、再建の一環としてオンタリオ にあった同社のプレス 工場、マンスフィールド・オンタリオ・メタル・センターが閉鎖された[22] 。こうして、マンスフィールドに残った重工業は、シンシナティ 郊外に本社を置くAKスチールのマンスフィールド工場のみとなった。
重工業の衰退は商業にも影響を与えた。加えて、オンタリオにショッピングモール ができ、チェーン の大型スーパーマーケット やレストラン も相次いで開業して客を奪った。その結果、1960年代 までマンスフィールド中心部に建ち並んでいた小売店は次々と閉店に追い込まれた。
ゴーマン・ラップ本社
こうした背景から、マンスフィールドの地域経済は多角化を進め、重工業への依存度を減らしてきている。現在マンスフィールドに残っている製造業としては、前述のAKスチールのほか、三恵技研工業 の北アメリカ法人で、本田技研工業 の現地法人に部品を供給している自動車 部品メーカーのニューマン・テクノロジー[23] [24] 、発電機 メーカーのヒュンダイ・アイディアル・エレクトリック[25] 、エマソン・エレクトリック 傘下のサーモスタット メーカーのサーモディスク[26] 、ポンプ メーカーのゴーマン・ラップ[27] 、配管 メーカーのクレーン・プランビング[28] 、メリーゴーラウンド メーカーのカルーセル・ワークス[29] 、学校用品メーカーのスクール・スペシャリティ[30] 、および各種部品メーカーのマンスフィールド・エンジニアード・コンポーネンツ[31] が挙げられる。
メドセントラル・マンスフィールド病院
一方、マンスフィールドのみならず、リッチランド郡最大の雇用主となっているのは、保健産業に属するメドセントラル・ヘルス・システムである[32] 。同システムのマンスフィールド病院は、326床のベッドを有し、レベルIIの救急医療センターとして年間で救急患者46,000人以上の治療を行い、13,000人以上の入院患者を受け入れ、8,000症例以上の手術を行い、1,300人以上の新生児を誕生させている[33] 。
また、マンスフィールドは3社の有名食品会社ゆかりの地でもある。 What would you do for a Klondike Bar? のキャッチコピーで知られたクロンダイクバー を1920年代 に開発したアイサリー・デイリーは、マンスフィールドに本社を置いている。クロンダイクバーは、その後1993年 にユニリーバ に売却され、同社のブランドとなっている[34] 。全米に60店舗を展開するレストランチェーン、スチュワーツ・レストランズは、もともとは1924年 に、フランク・スチュワートがルートビア のスタンドとしてマンスフィールドで創業したものであった[35] 。 Jones' のブランド名で知られるポテトチップス 製造専門会社のジョーンズ・ポテト・チップは、1945年 にマンスフィールドで創業し、現在もマンスフィールドに本社を置いている[36] 。
交通
マンスフィールド・ラム地域空港に駐機中の、オハイオ空軍州兵第179空輸航空団のC-27J スパルタン
マンスフィールドに最も近い商業空港は、コロンバス のダウンタウンの東11km[37] に立地するポート・コロンバス国際空港 (IATA : CMH )、もしくはクリーブランド のダウンタウンの南西17km[38] に立地するクリーブランド・ホプキンス国際空港 (IATA: CLE )で、いずれもマンスフィールドのダウンタウンからは約100kmである。市域北端、ダウンタウンの北5.5km[39] に立地するマンスフィールド・ラム地域空港(IATA: MFD )は、ゼネラル・アビエーション と呼ばれる、自家用機等の発着が主となっている規模の小さい空港で、定期旅客便は発着していない。また、このマンスフィールド・ラム地域空港には、オハイオ航空州兵 の第179空輸航空団が本拠を置いている[40] 。
マンスフィールド市内を通る国道30号線
州間高速道路 I-71 は市の南東を南西-北東に通っている。I-71はクリーブランドとルイビル とを結ぶ高速道路で、州間高速道路としては短いものの、オハイオ州内においてはクリーブランドから、コロンバス、シンシナティ へと、州の3大都市を結ぶ、最も重要な道路である。また、市北部を通る国道30号線 も、I-71以西、インディアナ州 との州境近くまで高速道路規格となっている。国道30号線は、西へはビューサイラス やライマ 都市圏へ、また東へは一般道路規格となるものの、ウースター やカントン へと通じている。
19世紀 後半、マンスフィールドに工業都市としての成長と繁栄をもたらした鉄道は、現在ではペンシルバニア鉄道 の流れをくむノーフォーク・サザン鉄道 、およびボルチモア・アンド・オハイオ鉄道 とエリー鉄道 のうち、この地域にわずかに残った路線をつなげて、マンスフィールドからアシュランド を経由してウェストセーラム へと至るようにしたアシュランド鉄道の2路線のみになってしまった。これらの鉄道は専ら貨物輸送のみに用いられており、マンスフィールドにはアムトラック の駅は無い。
グレイハウンド のバスストップは市の南端、I-71と州道13号線とのインターチェンジ近くのセブンイレブン に併設されている[41] [42] 。このバスストップには、コロンバスとクリーブランドとを結ぶグレイハウンドのバスが北行、南行とも1日各1便、またコロンバスとアクロン とを結ぶバロン・バスのバスが北行、南行とも1日各1便停車する。
市内の公共交通機関としては、リッチランド郡交通局(RCT)が路線バス 網を運営している。同局はマンスフィールド市内、およびオンタリオ を中心に、14路線を運行しており、そのうち1路線は北西郊のシェルビー にも至る。しかし、運行頻度は少なく、ほとんどの路線は1-2時間に1便の頻度である[43] 。
教育
オハイオ州立大学マンスフィールドキャンパス
オハイオ州立大学 は4つある地方キャンパスのうちの1つをマンスフィールドに置いている[44] 。640エーカー(2,590,000m2 )のマンスフィールドキャンパスはダウンタウンから北西へ7.5km、市域北西端の森の中に立地している[45] 。同学の学生はマンスフィールドキャンパス単体でも9つの学士 、および教育学 とソーシャルワーク の2つの修士 専攻プログラムの中から専攻を選び、修了・卒業することができるが、マンスフィールドキャンパスで科目を取り始め、最終的には学部に170以上の専攻プログラムを有するコロンバスの本校で修了・卒業することもできる[46] 。
オハイオ州立大学マンスフィールドキャンパスは地元のコミュニティ・カレッジ 、ノースセントラル州立カレッジのメインキャンパスも兼ねている(ただし科目および教職員は別個である)。同学は60以上の準学士 専攻プログラムを有し、3,100人の学生を抱えている[47] 。同学はメインキャンパスのほか、シェルビー、アシュランド、ビューサイラス、およびマンスフィールドのダウンタウンにも分校を持っている[48] 。
アシュランドにメインキャンパスを構えるブレズレン 系私立のアシュランド大学 は、ダウンタウンの南西4km、マリオン・アベニューとサウス・トリンブル・ロードの南西角に看護・保健学部の看護実習施設を置いている[49] 。
マンスフィールド・リッチランド郡公立図書館本館
マンスフィールドにおけるK-12 課程は主にマンスフィールド市学区の管轄下にある公立学校によってまかなわれている。同学区は小学校(就学前・1-3年生)3校、スペイン語 イマージョン 校1校、中等小学校(4-6年生)1校、中学校(7-8年生)1校、高校(9-12年生)1校、およびオルタナティブ教育 校1校を有し、約4,600人の児童・生徒を抱えている[50] 。なお、市の東部はマンスフィールド市学区ではなく、マンスフィールドを取り囲むマディソン郡区に本部を置くマディソン地域学区の管轄下に属している。 また、マンスフィールドをその管轄下に置くカトリック のトレド司教区は、マンスフィールドに2校のカトリック系私立学校を置いている[51] 。このほか、マンスフィールドには超教派 のキリスト教 系学校[52] や、国際バカロレア 候補校もある。
マンスフィールドには1855年 から公立図書館があったが、マンスフィールド・リッチランド郡公立図書館の歴史は1887年 にさかのぼる[53] 。同館はダウンタウンに立地する本館のほか、郡内8ヶ所に支館を置いている[54] 。
文化
歴史的建築物と博物館
オーク・ヒル・コテージ
オーク・ヒル・コテージはダウンタウンの北、かつて市の経済を支えた工業地区の中に立地している。ゴシック・リバイバル 様式の煉瓦 造のこの家屋は、1847年 にマンスフィールド・アンド・サンダスキー・シティ鉄道の職長 であったジョン・ロビンソンが建てたものである。1864年 に地元の眼科・耳鼻科医、ヨハネス・ジョーンズがこの家屋を購入すると、その後100年にわたってジョーンズ一族が住み続けたが、1965年 にリッチランド郡歴史協会に家屋・家具ともに売却され、修復・保全されることになった[55] 。1969年 には、オーク・ヒル・コテージは国家歴史登録財 に指定された[56] 。現在では、オーク・ヒル・コテージは博物館として一般公開されている。展示されている家具はジョーンズ一家が購入したもので、そのほとんどはニューヨーク からマンスフィールドまで鉄道で運ばれたものである[55] 。
市北部、リッチランド更生施設の南隣には旧オハイオ州立矯正院が立地している。城塞を思わせるこの監獄は、1886年 にクリーブランドの建築家が設計したもので、ビクトリアン・ゴシック、ロマネスク 、およびクイーン・アン の3つの様式を組み合わせている。この監獄は1990年 まで本来の目的に使用されていたが、その後は一般に公開され、秋にはハロウィン のイベントにも使われている[57] 。旧オハイオ州立矯正院は、1983年 に国家歴史登録財に指定された[56] 。
マンスフィールド記念博物館
ダウンタウンに立地するマンスフィールド記念博物館は、1889年 に陸海軍人記念館として一般に公開されたもので、リッチランド郡最古の博物館である。同館は古代のネイティブ・アメリカンから、アフリカ系・アジア系に至るまでの、軍事史および自然史に関する事物を展示している。同館の代表的な展示物としては、航空史を物語る約600機の航空機が挙げられる。また、1939年 のニューヨーク万国博覧会 に出品された、ウェスティングハウス製のロボット も同館で保存・展示されている[58] 。陸海軍人記念館は、1980年 に国家歴史登録財に指定された[56] 。
市西部、ミルズボロ・イースト・ロードとマリオン・ロードの南西角の森の中にはマンスフィールド芸術センターが立地している。同館は美術館として、作品の展示を通じて地域住民向けに美術作品に触れる機会を提供しているほか、美術教育を提供し、また地域の芸術家のサポートも行っている[59] 。
リッチランド更生施設および旧オハイオ州立矯正院のすぐ東には、ダイアモンド・ヒル大聖堂に併設された、オハイオ州唯一の蝋人形 博物館であるバイブルウォークが立地している。同館は聖書 に描かれている70シーンを再現する、300体以上の蝋人形を展示している[60] 。また、同館は教会員が寄付した宝飾品や、1500年代 まで遡る各国の珍しい聖書なども展示している[61] 。
演技芸術
ルネサンス・シアター
ダウンタウンに立地するルネサンス・シアターは、もともとはオハイオ・シアターという映画館 として1928年 に建てられたものであった。オハイオ・シアターは1940年代 までは繁盛していたが、その後はテレビ の普及もあって経営難に陥り、1979年 にはポルノ映画 館へと転換した。同館が「ディープ・スロート 」を放映した際には、地元の活動家によって営業停止へと追い込まれた。しかし、1980年 にミス・オハイオ(後述)がオハイオ・シアターに戻ってきたのをきっかけに、地元の博愛主義者がオハイオ・シアターを買い上げ、1984年 に225万ドルの寄付を集めて翌1985年 に改修、名もルネサンス・シアターに改められ、劇場として復活した[62] 。1997年 には、1930年 :から続く地元オーケストラ 、マンスフィールド交響曲団と経営統合した[63] 。ルネサンス・シアターは、1983年 に国家歴史登録財に指定された[56] 。
イベント
ミス・アメリカ のオハイオ州予選であるミス・オハイオはマンスフィールドで開かれている。マンスフィールドが初めてミス・オハイオの開催都市となったのは1959年 であった。1963年 にミス・オハイオの会場はサンダスキー のシダーポイント に移されたものの、1975年 にマンスフィールドに戻り、1980年 からはルネサンス・シアターで開催されている[64] 。
リッチランド・カウンティ・フェアは市の北西部に立地する、106エーカー(430,000m2 )のフェアグラウンドで開催される[65] 。マンスフィールドは1849年 以来、リッチランド・カウンティ・フェアの開催地であった。また、1872 -73年 には、マンスフィールドは(通常は州都コロンバス で開催される)オハイオ・ステート・フェアの開催地にもなった[66] 。
スポーツ
南西郊のレキシントン の近く、モロー郡 トロイ郡区にはミッドオハイオ・スポーツカーコース が立地している[67] 。このサーキット は、もともとは1962年 に週末のスポーツカーレース 用に造られたものであったが、1981年 にレッド・ルーフ・イン 創業者のジム・トゥルーマンが買収すると、野外劇場型の客席や車庫を設け、コース自体も再舗装や拡幅、安全性の向上など、大規模な改修が行われた[68] 。1周2.258マイル(3.634km)のこのコースでは、インディカー・シリーズ のホンダ200[69] や、NASCAR エクスフィニティ・シリーズ のネイションワイド小児病院200[70] が開催される。また、このサーキットには、プロドライバーの養成から運転免許取りたての10代のドライバーに対する安全運転講習まで、様々なレベルの講座を提供する自動車学校、ミッドオハイオ・スクールも併設されている[71] 。
公園とレクリエーション
マンスフィールドは市内に大小33の公園を有している[72] 。そのうち最大のものであるサウス・パークには、1812年 にもともと市の中心部、現在のセントラル・パークに建てられた小要塞のうちの1棟が、1900年代 にここに移設されて残っている[73] 。
リッチランド・カルーセル・パーク
ダウンタウンに立地するリッチランド・カルーセル・パークは、1991年 にダウンタウン再生の一環として開園したものである[8] 。同園はアメリカ合衆国内では1930年代 以降見られなくなっていた、手彫りの木製の、屋内のメリーゴーラウンド である。メリーゴーラウンドを構成する52頭の動物(うち馬は30頭)はすべて、設計から、彫刻、塗装に至るまで、マンスフィールド市内のカルーセル・ワークス社によるものである。また、メリーゴーラウンドの音楽は、州内のベルファウンテン にあるスティンソン・パイプオルガン社製のオルガン で奏でられている[74] 。
キングウッド・センター
ダウンタウンの西約2kmに立地するキングウッド・センターは、もともとは1926年 に建てられた、オハイオ・ブラスの電気技術者から社長に昇り詰めたチャールズ・ケリー・キングの豪邸であった。キングの死後、1953年 に豪邸とその47エーカー(190,000m2 )の敷地は一般に公開された[75] 。その際、キングの遺志に従って、豪邸は図書館および管理事務所に[76] 、また庭園は植物園 へと転用された[77] 。キングウッド・センターは、1976年 に国家歴史登録財に指定された[56] 。
マラバー農場州立公園
南東郊のモンロー郡区(住所はルーカス )に立地するマラバー農場州立公園は、もともとはマンスフィールド出身のピューリッツァー賞 作家、ルイス・ブロムフィールド が1939年 に購入した3つの農場、および自宅であった[78] 。現在では、この875エーカー(354ha)の農場は観光農場、またハイキングコース、レストラン、キャンプ場も備える州立公園となっており、年間30万人(うち2/3はオハイオ州内から)の観光客が訪れる[79] 。マラバー農場は、1973年 に国家歴史登録財に指定された[56] 。
市の南に広がる標高450mの小高い丘は、スノー・トレイルズというスキー場になっている。スノー・トレイルズは標高差91m、最も長いコースでも長さ610mという小規模なスキー場であるが、1961年 に開場した、オハイオ州最古のスキー場であり、現在オハイオ州内で営業している数少ないスキー場の1つである[80] 。
ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道 は1986年 にこの地の路線を廃止したが、線路跡はその後リッチランド郡公園局に買い取られ、リッチランド・B・アンド・O・トレイルという自転車道になっている。全長29.6kmのこの自転車道は、南東郊のバトラー を起点とし、ベルビル やレキシントンを経由してマンスフィールド市域に入り、ダウンタウンの北西に立地するノース・レイク・パークを終点とする[81] 。
映画
数多くの映画が撮影された旧オハイオ州立矯正院
旧オハイオ州立矯正院はまだ現役であった1970年代 から、ハリウッド 映画をはじめとする数々の映画 の撮影に使われてきた。旧オハイオ州立矯正院で撮影された主な作品には、「ニューヨーク一獲千金 」(1976年 、マーク・ライデル 監督、ジェームズ・カーン 主演)、「デッドフォール 」(1989年 、アンドレイ・コンチャロフスキー 監督、シルヴェスター・スタローン 主演)、「ショーシャンクの空に 」(1994年 、フランク・ダラボン 監督、ティム・ロビンス 主演)、「エアフォース・ワン 」(1997年 、ウォルフガング・ペーターゼン 監督、ハリソン・フォード 主演)などが挙げられる。加えて、2000年代 以降には、ゴッドスマック の Awake (2000年 )、リル・ウェイン の Go D.J. (2004年 )や、アンタイ・フラッグ の This is the New Sound (2012年 )など、ミュージック・ビデオ の撮影にも使われている[82] 。
また、1950 -60年代 にかけては、マンスフィールドは脅迫的な交通教育映画製作で悪名高かったハイウェイ安全財団が本部を置き、その撮影の大半を行っていた地であった。また、同財団の制作した映画の中には、交通安全とは関係の無い(そしてより悪名高い)、例えば公共便所に設置された防犯カメラで同性愛者の性行為をとらえた Camera Surveillance (1964年 )や、少女への性的虐待・殺害を題材とした The Child Molester (1964年)といったものまであった[83] 。
メディア
ダウンタウンに立地するマンスフィールド・ニュース・ジャーナル本社
マンスフィールドの新聞紙は、USAトゥデイ なども所有するガネット社 傘下の[84] 、マンスフィールド・ニュース・ジャーナル1紙のみである。同社は、1885年 創立のマンスフィールド・デイリー・ニュース社と1930年 創立のマンスフィールド・ジャーナル社が1932年 に合併してできた新聞社で、2000年 にガネット社傘下に入った[85] 。
テレビおよびラジオのメディア市場においては、マンスフィールドはクリーブランド圏に入るものの、コロンバスにも物理的に近いことから、住民はコロンバスの放送局の地上波 も受信できる。マンスフィールドにはABC 、CBS 、NBC といった全米ネットワーク の支局は置かれていないが、独立系テレビ局のWMFD-TVおよびWOHZ-CDがある。また、オハイオ州立大学 が所有するWOSUラジオは、コロンバスの本局(WOSA)のほかに4つある支局のうちの1つ、WOSVをマンスフィールドに置いている[86] 。
人口動態
都市圏人口
マンスフィールドの都市圏はリッチランド郡 1郡のみで形成されている。広域都市圏を形成する各郡の人口は以下の通りである(2010年国勢調査)[87] 。
マンスフィールド・アシュランド・ビューサイラス広域都市圏
都市圏/小都市圏
郡
州
人口
マンスフィールド都市圏
リッチランド郡
オハイオ州
124,475人
アシュランド小都市圏
アシュランド郡
オハイオ州
53,139人
ビューサイラス・ガリオン小都市圏
クロフォード郡
オハイオ州
43,784人
合計
221,398人
市域人口推移
以下にマンスフィールド市における1820年 から2010年 までの人口推移を表およびグラフでそれぞれ示す[88] 。
統計年
人口
1820年
288人
1830年
840人
1840年
1,328人
1850年
3,557人
1860年
4,581人
1870年
8,029人
1880年
9,859人
1890年
13,473人
1900年
17,640人
1910年
20,768人
1920年
27,824人
1930年
33,525人
1940年
37,154人
1950年
43,564人
1960年
47,325人
1970年
55,047人
1980年
53,927人
1990年
50,627人
2000年
49,346人
2010年
47,821人
姉妹都市
マンスフィールドは以下2都市と姉妹都市 提携を結んでいる。
註
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外部リンク
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