ディヴィジオン・ナシヨナル1933-1934はフランスのプロサッカーリーグ1部、シャンピオナ・ドゥ・フランス・ドゥ・フットボールの第2回目のシーズンである。
FCセトが初優勝を決めた[1]。セトはクープ・ドゥ・フランス1933-1934も制覇し、フランス初のリーグ・カップ2冠を達成している。
フォーマット
14クラブによるホーム・アンド・アウェー総当たり・全26節のリーグ戦である。1位は優勝、下位2クラブは自動降格する。
出場クラブ
順位表
昇降格
(この節の出典:[2])
来シーズンからディヴィジオン・ナシヨナルは16クラブ制となるため、4クラブがディヴィジオン・アンタルレジオナールから昇格した。
得点ランキング
データ
- 最多得点:オランピック・リロワ (70得点)
- 最少失点:SCフィヴ (26失点)
- 最少得点:ASカンヌとOGCニース (42得点)
- 最多失点:CAパリ (90失点)
シーズンハイライト
スポーツ紙L'Autoは優勝争いが終盤に入った1934年4月30日、オランピック・ドゥ・マルセイユが最後に優勝する可能性が濃厚と予想した。それというのも、首位FCセトは2位マルセイユをわずか勝ち点1上回っていたものの得失点率で劣っており、しかも先に全日程を終えてしまっていた。未消化試合を3試合残している上に得失点率でリードするマルセイユは、たった1試合引き分けるだけで優勝できたのだ。この予想は世間一般の常識であった。
リーグ全日程を終えたFCセトは、ほかならぬマルセイユを決勝で破りクープ・ドゥ・フランス1933-1934優勝を決めた後、北アフリカでの興行ツアーに出かけていた。5月20日、セトの選手たちがカサブランカのカフェに入ったとき、そこで思いがけないニュースを知らされた。「マルセイユ3連敗、FCセト優勝決定」[3]。未消化試合2連敗の後、マルセイユは1万人が集まった本拠地リュヴォーヌで第24節順延試合エクセルシオールACルーベ戦に臨んだが、これに2-4で敗れ最後のチャンスを逃した[4]。
その他の話題としては、ソショーとラシンが昨季に続いて期待外れの下位低迷、そして13位で降格したOGCニースがプロライセンスを失ったことなどである[5]
。
脚注
注釈
出典
- ^ “PALMARÈS LIGUE 1: TOUS LES CHAMPIONS” (フランス語). フランスサッカー連盟 (2021年2月2日). 2023年4月14日閲覧。
- ^ “Saison 1933/34” (フランス語). paris-et-gagne.com. 2023年4月24日閲覧。
- ^ 100 ans de football en France, Atlas, pp. 131-132
- ^ “Le Football-Club de Sète est Champion de France professionnell” (フランス語). Le Petit Parisien (1934年5月21日). 2023年4月27日閲覧。
- ^ Le Football professionnel français, (1961), pp. 143
関連項目
外部リンク
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ディヴィジオン・ナシヨナル (1932–1972) | |
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ディヴィジオン・アン (1972–2002) | |
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リーグ・アン (2002–) | |
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