ディヴィジオン・アン1977-1978はフランスの最上位プロサッカーリーグ、シャンピオナ・ドゥ・フランス・ドゥ・フットボールの第40回目のシーズンである。ASモナコが3回目の優勝を決めた[1]。モナコは昇格1年目で優勝したが、これはFCジロンダン・ドゥ・ボルドー (1949-1950)とASサンテティエンヌ (1963-1964)に続いて史上3クラブ目かつ20世紀最後の快挙である。昨季王者のFCナントを勝ち点1差、同じ昇格組のRCストラスブールを勝ち点3差上回っての優勝だった。
残留争いでは昨季2位のRCランスが18位で自動降格、ASナンシー=ロレーヌ (クープ・ドゥ・フランス1977-1978優勝)のミシェル・プラティニによる1試合4ゴール等も特筆される。一方国際舞台では、SECバスティアがUEFAカップ1977-78で準優勝、サッカーフランス代表の1978 FIFAワールドカップ出場決定 (12年ぶり)といった明るい話題があった。
出場クラブ
[2]
順位表
出典:
Footballdatabase.eu順位の決定基準: 1) 勝ち点; 2) 得失点差; 3) 総得点
勝利: 勝ち点2, 引分け: 勝ち点1, 負け: 勝ち点0
(C) 優勝;
(R) 降格.
注釈:
昇格
ディヴィジオン・ドゥで各グループ1位となったリールOSCとアンジェSCO、両組2位同士のプレーオフに勝ったパリFCが昇格を決めた。
ASモナコFC (3回目)
得点ランキング
データ
シーズンハイライト
ASモナコFCの優勝は38試合79ゴールという得点力に支えられていた。そのうち、オニスとダルジェの2トップが47ゴールを挙げた。守備面では、本来の正GKイヴ・ショヴォーの負傷によって急遽レギュラーとなった21歳ジャン=リュック・エトリのデビューが特筆される。意外な形で抜擢されたエトリは正守護神としての初シーズンでリーグ優勝を飾り、そこからクラブ史上最多リーグ602試合出場を記録する栄光のキャリアを歩みだした。シーズン後の1978 FIFAワールドカップに出場するサッカーフランス代表メンバーには、MFのクリスティアン・ダルジェとジャン・プティの2人が選出されている。60歳のモナコの監督リュシアン・ルデュックは過去2回のリーグ優勝時も監督だった。マルセイユでの2回も含めて、20年間に5回のフランス制覇を成し遂げている[4]。
補強に関しては、DFのローラン・クルビスとベルナール・ガルドン、2部リーグでプレーしていたために知名度が低かった守備的MFのアラン・モワザン、マルセイユから獲得したアルゼンチン人の攻撃的MFラウール・ノゲス (既にある程度の高い評価を得ていた)の獲得が大きな戦力アップを齎した。この4人は開幕から不動のレギュラーに定着している。既存戦力のなかでは、やはり20世紀シャンピオナ・ドゥ・フランス史上最多得点記録を持ち、相手ゴール前で無類の得点力を発揮したデリオ・オニスの活躍ぶりが突出していた。
昨シーズンは中位に沈んでいたレ・モネガスクの優勝は、大方の予想を覆すものだった。しかし開幕戦でバスティアを下すと、敵地でボルドーを4-0 (ダルジェのハットトリック込み)で破り、RCストラスブール相手に0-2から3-2と逆転勝ちを飾った時には本拠地スタッド・ルイ=ドゥで開幕5連勝も達成した。スタートダッシュ時の勢いは次第に衰えて4位前後に後退したが、モナコは終盤に全力のスパートをかけた。ラスト5試合を全勝し、その中には敵地でのパリSGおよびFCメス (オニス4得点)に対する連続4-0勝利が含まれていた。FCナントを勝ち点1上回る首位として臨んだ最終節、追いかける2位ナントはニースを6-1で下したが、モナコもバスティアを2-1 (得点者はオニスとガルドン)で破って優勝を決めた。
脚注
注釈
出典
- ^ “PALMARÈS LIGUE 1: TOUS LES CHAMPIONS” (フランス語). フランスサッカー連盟 (2021年2月2日). 2023年4月24日閲覧。
- ^ “Ligue 1 1977/1978 Équipes” (フランス語). Mondefootball.fr. 2023年4月27日閲覧。
- ^ “Saison 1977/1978” (フランス語). paris-et-gagne. 2023年4月27日閲覧。
- ^ “Lucien Leduc” (フランス語). paris-et-gagne. 2023年4月27日閲覧。
関連項目
外部リンク
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ディヴィジオン・ナシヨナル (1932–1972) | |
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ディヴィジオン・アン (1972–2002) | |
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リーグ・アン (2002–) | |
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