シンボリ牧場(シンボリぼくじょう、正式名称・シンボリ牧場有限会社)は、千葉県成田市にある競走馬の生産牧場及び馬主(オーナーブリーダー)である。
馬主としてはシンボリ牧場名義で登録しており、勝負服は緑・白襷・袖赤一本輪。冠名には「シンボリ」を用いるが、牝馬にはかつては基礎繁殖牝馬の一頭、Sweet Sixteen(日本での登録名:スヰート)にちなんだ「スイート」の冠名を使用していた[注 1]。「シンボリ」の英語スペルは、「シンボル」とも引っ掛けた「symboli」である。
シンボリ牧場の勝負服
歴史
シンボリ牧場の礎を築いた種牡馬パーソロンの像
シンボリルドルフ
1921年、初代の和田孝一郎が千葉県に前身となる「新堀牧場」を開場。新堀命名の由来は以下諸説がある。
- 佐倉牧に享保期以降に築かれた野馬土手が新堀と呼ばれたため、成田市駒井野のほか旧本大須賀村に当る成田市吉岡等にも字新堀が点在する[1]。したがって、どの新堀に因むかは明確ではないが、開設地近くの新堀が牧場名の由来になった説。
- 孝一郎が生まれ育った島根県安濃郡川合村大字川合[2]の数キロメートル南にもバス停「新堀」が存在し、その出身地名に因む説。
1935年に香取郡本大須賀村(昭栄村→大栄町→現: 成田市)新堀牧場名義でサラブレッドの生産開始[3]。1940年の第2回 桜花賞(当時の競走名は中山四歳牝馬特別)にて、牝馬のタイレイで初のクラシック制覇。
二代目を継いだ子息・共弘の時代では、現行の「シンボリ牧場」として生産規模も拡大。特に競走馬スピードシンボリや[4]、種牡馬パーソロンのブリーダーとして成功し、同産駒の七冠馬シンボリルドルフといった著名な競走馬を輩出した[5]。
シンボリクリスエス(中央)
1994年にオーナー和田共弘が亡くなると、息子・孝弘が三代目の代表に就任。2000年代前半に年度代表馬シンボリクリスエスを輩出し、シンボリルドルフ以来の大きな足跡を刻む[6]。
2019年、オーナー和田孝弘が死去。長男・吉弘が四代目の代表に就任した[7]。
代表者
- 和田 孝一郎(わだ こういちろう)
- 和田 共弘(わだ ともひろ)- 1922年8月1日生。昭和期を代表する競走馬生産者の一人として知られる。1994年4月29日に死去。71歳没。
- 和田 孝弘(わだ たかひろ)- 2019年4月25日に死去。66歳没。
- 和田 吉弘 (わだ よしひろ)- 現代表。
以上の4人のうち、吉弘以外は日本中央競馬会 (JRA) に登録されている馬主であった。勝負服はいずれも緑・白襷。
本場以外の施設・関連会社
主な生産馬
千葉県産
日高町産
新冠町産
旧日高シンボリ牧場名義
新ひだか町産
岩手県産
外国産
Takahiro Wada,T.WadaまたはSymboli Stud名義
主な所有馬
和田孝一郎名義
和田共弘名義
主な繋養馬
繁殖牝馬
過去に繋養されていた繁殖牝馬
過去に繋養されていた種牡馬
北海道・門別町富川のシンボリスタリオンステーションに繋養されていた主な種牡馬。
功労馬
脚注
注釈
- ^ 2013年産からは牡馬と同じく「シンボリ」を使用。
- ^ シンボリスタリオンに繋養されていた種牡馬とは別の馬
出典
外部リンク