コシツェ(Košice [ˈkɔʂitse], ハンガリー語:Kassa, ドイツ語:Kaschau [ˈkaʃaʊ̯] ( 音声ファイル), ラテン語:Cassovia)とはスロバキア第2の都市。2013年にはフランスのマルセイユとともに欧州文化首都であった。
スロバキア東部に位置する代表的な工業都市。ホルナート川沿いに位置する。ハンガリー国境まで約20キロ、ウクライナの国境まで80キロ程度。近隣の都市としては、約30キロ北にプレショフ、75キロ南西にハンガリーのミシュコルツ、80キロ東にウクライナのウジホロドが位置している。
1290年、ハンガリー王国のもとで都市として認められた。交易路の要衝に位置したため、中世より商工業が発展した。1369年、ラヨシュ1世によりヨーロッパ最古の市章が制定された。現在のコシツェ市章は、この当時の市章にいくつかの変更を加えたものである。[1]
第一次世界大戦後、1918年にはトリアノン条約によってチェコスロバキア領となるが、1938年11月の第一次ウィーン裁定によりハンガリーに編入された[2]。第二次世界大戦末期にはコシツェ臨時政府が建てられ、一時的にチェコスロバキア第三共和国の最初の首都となり[3]、第二次世界大戦後における社会主義政権の方針を定めた「コシツェ政府綱領」が出された。
1993年のチェコ・スロバキア分離にともない、スロバキア領となり、現在に至る。
コシツェは2006年12月の調査で235,596人の人口がある。2001年調査によれば、人口の89.1%がスロバキア人、3.8%がハンガリー人、2.1%がロマ人、1.2%がチェコ人、0.5%がルシン人、0.5%がウクライナ人である。信仰は、58.3%がカトリック教会、19.4%が無宗教、7.%が東方典礼カトリック教会、4.1%がルーテル教会である[4]。
この項目は、中央ヨーロッパに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト 中央ヨーロッパ / ポータル ヨーロッパ)。