神性は単数形では deus または divinitas だが、特定の力に細分された場合は複数形で dei となる[7]。そのような個々の力をラテン語でゲニウスと呼んだ。これはギリシアのダイモーンと同一視された。神性はその力を示すことで知ることができるとされた。物理的エネルギーの概念がなかったため、古代人にとっては何らかの現象を引き起こす力は全て神性の証だった。神性はその力の現れ方によって区別された。海の神はネプトゥーヌス、火の神はウゥルカーヌスといった具合である。名前のついた神話内の神々は、全て何らかのゲニウスだった。しかしさらに、個々の人間が持つ理性的な力と能力はその魂に起因するものとされ、それもゲニウスとされた[8]。個々の場所にもゲニウス(ゲニウス・ロキ)があり、それゆえ火山などの力の溢れるものがあるとされた。この概念はさらに拡張されていき、劇場のゲニウス、ブドウ畑のゲニウス、祭りのゲニウスといったものが考案された。これらのゲニウスはそれぞれ上演の成功、ブドウの実り、祭りの成功を司るとされた。古代ローマ人にとって、何か大きなことを成し遂げようというとき、対応するゲニウスをなだめることが非常に重要だった。
家庭内の祭壇であるララリウムは、ポンペイの数百の家(ドムス)で見つかっており、主に煙を外に逃がす開口部が天井にあるアトリウムの周辺にあった。ララリウムには常に同じ主題のフレスコ画があった。左右にラレースが描かれ、中央にその家族のゲニウス(1体または男女2体)が描かれている。そして、その下にゲニウスに向かって這っている1匹か2匹の蛇が描かれている。カンパニア州やカラブリア州には、ゲニウスとの関連で、幸運をもたらす蛇を飼う習慣が保持されていた[12]。ララリウムとは別のフレスコ画 (Casa dei Centenario) では、ヴェスヴィオ山の下に草地の蛇が描かれ、アガトダイモーン(よいダイモーン)だと記してある。ダイモーンはギリシア版ゲニウスとみなされていた。
帝国期の現存する数百の献納や奉納や墓碑銘から、ゲニウス信仰が存在した範囲がわかる。決まり文句には次のような省略形があった。GPRは genio populi Romani(ローマ市民のゲニウス)、GHLは genio huius loci(この場所のゲニウス)、GDNは genio domini nostri(我々の主人のゲニウス)などである。テオドシウス1世はキリスト教を国教とし、紀元392年にゲニウスとラレースとペナーテースを信仰したら反逆とみなすという法律を制定し、公式にはこれらの信仰は行われなくなった[21]。ゲニウスの概念は、天使や精霊など異なる名前で様々な修正を加えられて生き残っていった。
ゲニウスの姿については、そのゲニウスが表す力や統一体を象徴するという以外決まりごとはなかった。ゲニウスは、カメオや沈み彫りなどの樹脂、彫像、帯状彫刻装飾、硬貨、記念碑、建築物、フレスコ画、花瓶の絵など様々なものに描かれている。例えば、ゲニウス・アウグスティはアウグストゥスを単に理想化しただけではなく、コルヌコピアを持つなど、彼の慈善的な力の象徴を伴っている。ゲニウスには翼があることが多い。ゲニウスは古代から現代まで常に何らかの形で描かれてきており、現在もそれが続いている。英語ではゲニウスの代わりに spirit という語を使うことが多い。例えばチャールズ・リンドバーグは自身の飛行機を "Spirit of St. Louis" と名付けたが、これはゲニウス・ロキに近い考え方が根底にあると思われる。チャールズ・ディケンズは『クリスマス・キャロル』で過去・現在・未来の「クリスマスの霊」を登場させているが、これもゲニウスに近い考え方である。
硬貨
古代の硬貨の浮き彫りには、それを発行する国や地方のゲニウスが描かれたものが多い。紀元76年ごろのスペインのデナリウス貨の表面には GPR(ローマ市民のゲニウス)の胸像が描かれている[23]。紀元270年から275年、クロアチアのシサクで発行された金貨(アウレウス)の裏面には GENIUS ILLVR の立像が描かれていた[24]。これは Genius Exercitus Illyriciani[25](イリュリア人軍隊のゲニウス)である。紀元134年から138年に発行されたローマのアウレウスでは、裏面に若者がコルヌコピアとパテラ(献酒皿)を持った姿が描かれ、GENIOPR という文字が刻まれていた。これは genio populi Romani(ローマ市民のゲニウス)を意味する[26]。
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^St. Augustine. “VII.13”. In Dyson, R.W. The City of God against the Pagans. p. 284. "Varro says that a 'genius' is the rational soul of each man ... and that the soul of the world itself is a universal 'genius', and that this is what they call Jupiter."
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^*gen- には様々な意味がある。(g)natura(自然)は「生産された」または「生まれた」ものであり、生得な何かを意味する。冒頭の定義にあるように、共和政後期や帝国期のローマ人はそのように考え、あらゆるものに神性が宿るとしていた。別の見方は次の書籍に頻繁に出てくる。
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