エドワード・バルデス
Edward Valdez
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基本情報 |
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国籍 |
ドミニカ共和国 |
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出身地 |
ペラビア州ニザオ(英語版) |
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生年月日 |
(1980-02-08) 1980年2月8日(44歳) |
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身長 体重 |
193 cm 95 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
1999年 アマチュアFA |
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初出場 |
NPB / 2010年3月28日 |
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最終出場 |
NPB / 2010年6月9日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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エドワード・エンリケ・バルデス(Edward Enrique Valdez、1980年2月8日 - )は、ドミニカ共和国ペラビア州出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴
プロ入りとレッズ傘下時代
1999年10月にシンシナティ・レッズと契約を結んだ[1]。
2000年と2001年はドミニカン・サマーリーグのDSLレッズ(英語版)でプレー[1]。
2002年は、ルーキー級ガルフ・コーストリーグのGCLレッズ(英語版)で10試合登板、6勝2敗、防御率2.04の成績を挙げ、AA級チャタヌーガ・ルックアウツでも1試合に登板した[1]。
2003年は、A級デイトン・ドラゴンズで19試合登板、11勝3敗、防御率3.72の成績を残した[1]。
2006年は、AA級チャタヌーガで29試合に登板し、7勝10敗、防御率3.89の成績を残したが、10月15日にFAとなった[1]。
ナショナルズ傘下時代
2007年3月にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[1]。この年はAA級ハリスバーグ・セネターズで3試合に登板し、0勝0敗1セーブ、防御率0.00、AAA級コロンバス・クリッパーズで43試合に登板し、2勝5敗2セーブ、防御率4.74の成績を残した[1]。10月29日にFAとなった[1]。
ロッキーズ傘下時代
2007年12月21日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ[1]。
2008年はAA級タルサ・ドリラーズで46試合、AAA級コロラドスプリングス・スカイソックスで4試合に登板し、2球団合計で5勝4敗、防御率4.62の成績を残した[1]。12月3日にFAとなった。
中日時代
2009年はマイナー球団には所属せず、ドミニカ国内のアマチュアリーグでプレーした。秋からドミニカ・ウィンターリーグ(LIDOM)に参加中に、視察に訪れた中日ドラゴンズヘッドコーチの森繁和の目に留まり、中日ドラゴンズと契約した。
2010年は8試合に登板したが、1勝3敗、防御率4.91という成績に終わり、10月3日にディオニス・セサルと共に来年度契約を結ばないことが発表され、12日に自由契約公示された[2]。
中日退団後
2011年3月17日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのメキシコシティ・レッドデビルズと契約したが[3]、4月5日に自由契約となった[3]。その後は独立リーグ・ノース・アメリカン・リーグのカルガリー・ヴァイパーズに所属し、14試合登板、6勝3敗、防御率7.23の成績を挙げた。
その後は2015年までリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルでプレーし、冬季にはドミニカン・ウィンターリーグでもプレー。
2016年以降はウィンターリーグに専念し、2017年-2018年シーズンを最後に現役を引退した。
プレースタイル
最速140km/h台後半を記録するストレートはカットボールのような変化を伴う。変化球は、スライダーを軸にカットボール・チェンジアップなどを投げ分ける。中でもカットボールは「バルカット」と呼ばれ、かつて同じドミニカ出身のルイス・ポローニャ(英語版)のバットを折ったことが自慢[4]。
詳細情報
年度別投手成績
記録
- NPB
背番号
脚注
関連項目
外部リンク