アンテケーラ (スペイン語 : Antequera : スペイン語発音: [an̪teˈkeɾa] )は、スペイン ・アンダルシア州 マラガ県 のムニシピオ (基礎自治体)。アンダルシア州のマラガ 、グラナダ 、コルドバ 、セビリア の4都市を結ぶ四角形の中央付近にあり、「アンダルシアの心臓」「アンダルシアの交差点」[ 1] と呼ばれる。
アンテケーラ近郊のエル・トルカル はヨーロッパ有数のカルスト地形 を形成しており、自然保護区に指定されている[ 2] 。メンガ遺跡 、ビエラ遺跡 、エル・ロメラル遺跡 の各ドルメン に代表される考古学遺跡を有し[ 3] 、また多くの教会・修道院・宮殿などの建築学的遺産を有する[ 4] 。2016年の第40回世界遺産委員会 では「アンテケーラのドルメン遺跡」が世界遺産 (文化遺産 )に登録された[ 5] 。
地理
フエンテ・デ・ピエドラ湖
恋人たちの岩
面積は749.34km2 であり、市街地の標高は575mである。2011年の人口は41,854人であり、人口密度は55.85人/km2 である。マラガ県はコスタ・デル・ソル と呼ばれる観光地の沿岸部に人口が偏っており、アンテケーラはマラガ県内陸部でもっとも人口の多い自治体である。マラガ県でもっとも面積の大きな自治体であり、スペイン全土では23番目に面積の大きな自治体である[ 6] 。マラガから45km、コルドバから115kmの距離にあり、両都市とは高速鉄道AVE の南回廊線や高規格道路のA-45号線で結ばれている。セビリアから160km、グラナダから102kmの距離にあり、鉄道路線や高規格道路のA-92号線で結ばれている。
マラガ=コスタ・デル・ソル空港 、グラナダ空港 、セビリア空港 、コルドバ空港 (英語版 ) の4空港から自動車で約1時間の距離にあり、スペインの重要港湾であるアルヘシラス港 (英語版 ) からも鉄道で1時間の距離にあるため、アンテケーラ近郊にはいくつかの工業団地やアンダルシア物流センターが建設されている[ 7] 。グアダルオルセ川 (英語版 ) が形成した堆積盆地のアンテケーラ盆地 (英語版 ) は肥沃な農業地域でもあり、穀物、オリーブオイル 用のオリーブ、野菜などを生産している[ 8] 。
郊外北西部には塩水のフエンテ・デ・ピエドラ湖 (英語版 ) があり、この湖はヨーロッパに数少ないオオフラミンゴ の営巣地である。郊外南部にあるエル・トルカルは石灰岩で形成されており、よく知られたクライミングスポットでもある。
郊外北東部には恋人たちの岩 (英語版 ) (インディアンの横顔)とよばれる山があり、敵対する部族出身の若いムーア人 のカップルが岩から身を投げた伝説に因んで名づけられている。庫のロマンティックな伝説は、イギリスのロマン派詩人ロバート・サウジー によって脚色され、イスラーム教徒の少女とキリスト教徒の奴隷が主人公の『Laila and Manuel』が書かれた。
歴史
先史時代
メンガ遺跡
北部郊外には青銅器時代 の埋葬地(ドルメン )であるメンガ遺跡 とビエラ遺跡 があり、それぞれ紀元前3000年-紀元前2000年に遡るとされる[ 9] 。これらの遺跡はヨーロッパ有数の規模である。紀元前1800年に遡るエル・ロメラル遺跡 は、メンガ遺跡やビエラ遺跡より小さな石が使用されている。現在の市街地から数km北には青銅器時代の集落であるロス・シリージョス遺跡 (英語版 ) がある[ 10] 。紀元前7世紀以降にはこの地域にイベリア人 が定住した。
2016年にトルコのイスタンブール で開催された第40回世界遺産委員会 では、「アンテケーラのドルメン遺跡」が世界遺産 (文化遺産 )に登録された[ 5] 。構成要素には恋人たちの岩やエル・トルカル も含まれている[ 11] 。
古代・中世
古代ローマ時代にはヒスパニア・バエティカ 属州の一部となり、アンティカリア(AnticariaまたはAntiquaria)という名称で知られていた[ 12] 。ローマ帝国 の崩壊後、アンティカリアは410年にヴァンダル族 の手に渡り、その後西ゴート王国 に支配された。
711年にはイスラーム教徒がイベリア半島に侵入し、716年頃にはアンテケーラが征服されてウマイヤ朝 に組み込まれ、イスラーム支配下ではメディーナ・アンタキラ(Medina Antaquira)という名称で呼ばれた。ある時期からはグラナダ王国 最北端の町のひとつとなり、カトリック軍からグラナダ王国を守るためにアルカサバ (英語版 ) (要塞)が建設された。アンテケーラは約200年間にわたってキリスト教徒の攻撃を受け、1410年9月16日にアラゴン王フェルナンド1世 の軍隊によって征服された。フェルナンド1世はアンテケーラ領主の称号を手にし、「フェルナンド・デ・アンテケーラ」と呼ばれることもある。今日のアンテケーラの中心通りはインファンテ・ドン・フェルナンド通りと名付けられている。
近世
アンテケーラがカスティーリャ王国 の一部となると、イスラーム教徒は追放された。アンテケーラはグラナダ王国 に対するカトリックの要塞となり、その後も続くレコンキスタの基地となった。1492年にグラナダがキリスト教徒の手に陥落すると、アンテケーラの人口はわずか20年間で2,000人から約15,000人に増加した。
スペイン王国 の下でアンテケーラは重要な商業都市となった。その地理的状況に加えて、農業や工芸が栄えていたことから、16世紀初頭には早くも「アンダルシアの心臓」と呼ばれている。モスク やイスラーム教徒の邸宅が取り壊され、カトリック教会 やキリスト教徒の邸宅が建設された。アンテケーラ最古の教会はサン・フランシスコ教会であり、1500年頃に後期ゴシック様式で建設された。
1504年にはサンタ・マリア・ラ・マジョール王立学院というルネサンス・ユマニスム (英語版 ) の大学が設立され、スペインのルネサンス 期における主要な作家や学者の社交場となった。16世紀中には詩作の教室が開講され、ペドロ・エスピノサ (スペイン語版 ) 、ルイス・マルティン・デ・ラ・プラサ (スペイン語版 ) 、クリストバリーナ・フェルナンデス・デ・アラルコン (スペイン語版 ) などを輩出した。彫刻の教室を巣立った学生は、セビリア、マラガ、コルドバやその周辺地域で多くの教会などを建設した。この時期に建設された教会にはサン・セバスティアン教会やサンタ・マリア教会などがある。
近現代
17世紀末から18世紀初頭には繁栄の時代が終わった。18世紀中にはさらに多くの教会が建設されており、今日には計32の教会が存在する。アンテケーラはアンダルシア民族主義 (英語版 ) の台頭に重要な役割を果たしており、1883年にはこの地でアンテケーラ連邦憲法の草案が作成された。民主化後の1978年にはアンテケーラ自治協定が締結され、アンダルシア自治州 の成立につながった[ 13] 。アンテケーラにアンダルシア州政府が置かれる可能性もあったが、結局州政府はセビリア に置かれている[ 14] 。
経済
マラガ県のオリーブ畑
歴史的にこの地域の経済は農作物(オリーブ ・穀物・羊毛)の生産や加工、そして家具製造だった。19世紀中頃にはフランネル ・紙製品・皮革製品・絹製品・石鹸の製造を行い、穀物・果物・オリーブオイル ・地元産大理石 の交易を大規模に行っていた[ 12] 。1890年には巨大な製糖工場が設立された[ 15] 。第一次世界大戦 までにアンテケーラのボバディーリャ駅 (スペイン語版 ) とグラナダ を結ぶ鉄道路線が開通[ 15] 。20世紀初頭の主産業も農業であり、穀物・果物・オリーブオイル・スペインワイン を生産していた[ 15] 。今日の主産業は観光業であり、スペイン国外からの観光客が増加している。
交通
アンテケーラ=サンタ・アナ駅
アンダルシア州の4大都市であるセビリア 、マラガ 、コルドバ 、グラナダ を結んだ菱形の中央部にアンテケーラが位置する。このため、マラガとコルドバを結ぶA-45号線、セビリアとグラナダを結ぶA-92号線は、アンテケーラ近郊で交わっている。
アンテケーラの自治体域には3つの鉄道駅がある。中心集落にあるアンテケーラ駅 (スペイン語版 ) 、中心集落から16km西のボバディージャ集落 (スペイン語版 ) にあるボバディージャ駅 (スペイン語版 ) 、中心集落から20km西のコロニア・デ・サンタ・アナ集落にあるアンテケーラ=サンタ・アナ駅 (スペイン語版 ) である。アンテケーラ=サンタ・アナ駅は高速鉄道AVE の南回廊線の駅でもある[ 16] [ 17] 。AVEの南回廊線はコルドバ とマラガ を結んでおり、途中駅はプエンテ・ヘニル にある駅とアンテケーラ=サンタ・アナ駅の2駅である[ 18] 。ボバディージャ駅は長距離路線のアルコ などに使用されており、バルセロナ とマラガを結ぶ路線、ビルバオ のビルバオ=アバンド駅 とマラガを結ぶ路線などがボバディージャ駅に発着する。
人口
政治
首長一覧(1979-)
任期
首長名
政党
1979–1983
José María González Bermúdez
無所属
1983–1987
Pedro de Rojas Tapia
スペイン社会労働党 (PSOE)
1987–1991
Paulino Plata Cánovas
スペイン社会労働党 (PSOE)
1991–1995
Paulino Plata Cánovas(-1994) Jesús Romero Benítez(1994-)
スペイン社会労働党 (PSOE)スペイン社会労働党 (PSOE)
1995–1999
Jesús Romero Benítez
スペイン社会労働党 (PSOE)
1999–2003
Jesús Romero Benítez
スペイン社会労働党 (PSOE)
2003–2007
Ricardo Millán Gómez
スペイン社会労働党 (PSOE)
2007–2011
Ricardo Millán Gómez
スペイン社会労働党 (PSOE)
2011–2015
Manuel Jesús Barón Ríos
国民党 (PP)
2015–2019
Manuel Jesús Barón Ríos
国民党 (PP)
2019–2023
n/d
n/d
2023–
n/d
n/d
見どころ
アンテケーラ闘牛場
旧市街
出身者
姉妹都市
脚注
^ Antequera Andalucia.com
^ “El Torcal, paisaje kárstico más importante de Europa” . La Opinión de Málaga . (28 October 2009). http://www.laopiniondemalaga.es/municipios/2009/10/28/torcal-paisaje-karstico-importante-europa/298880.html 24 May 2012 閲覧。
^ “Antequera Dolmens Site ”. UNESCO . 2017年2月19日 閲覧。
^ “Histórico del BOJA ”. アンダルシア州政府 . 24 May 2012 閲覧。
^ a b World Heritage Centre (2016), Nominations to the World Heritage List , https://whc.unesco.org/archive/2016/whc16-40com-8B-en.pdf pp.29, 47
^ “Tabla de Datos geográficos municipios de España con más de 20.000 habitantes ”. スペイン国立地理学研究所 . 24 May 2012 閲覧。
^ “Antequera pone en marcha el Centro Logístico de Andalucía” . Diaro Córdoba . (30 August 2003). http://www.diariocordoba.com/noticias/cordobaandalucia/antequera-pone-en-marcha-centro-logistico-de-andalucia_76223.html 24 May 2012 閲覧。
^ Sánchez, Lola (5 November 2008). “Antequera, la gran despensa de patata de la provincia” . La Opinión de Málaga . http://www.laopiniondemalaga.es/secciones/noticia.jsp?pRef=2008110500_4_215627__Municipios-Antequera-gran-despensa-patata-provincia 24 May 2012 閲覧。
^ “ANTEQUERA "CROSSROADS OF ANDALUCIA" ”. Andalucia.com . 2017年2月14日 閲覧。
^ C. Michael Hogan, Los Silillos , the Megaltihic Portal, ed. Andy Burnham
^ “Antequera dolmens continue World Heritage status bid” (Spanish). Spanish News Today . (September 21, 2015). オリジナル のJanuary 15, 2016時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160115035959/http://spanishnewstoday.com/antequera-dolmens-continue-world-heritage-status-bid_26824-a.html
^ a b Baynes, T. S., ed. (1878). "Antequera ". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. II (9th ed.). New York: Charles Scribner's Sons. p. 102.
^ “Chaves destaca la "austeridad" del pleno de Antequera y critica que los políticos "abrimos debates que son inútiles"” . Europa Press . (12 December 2008). http://www.europapress.es/andalucia/noticia-chaves-destaca-austeridad-pleno-antequera-critica-politicos-abrimos-debates-son-inutiles-20081204153549.html 24 May 2012 閲覧。
^ “La Cámara andaluza volverá a Antequera a los 30 años del pacto autonómico” . La Opinión de Málaga . (2 December 2008). http://www.laopiniondemalaga.es/secciones/noticia.jsp?pRef=2008120200_6_221619__Andalucia-Camara-andaluza-volvera-Antequera-pacto-autonomico 24 May 2012 閲覧。
^ a b c Chisholm, Hugh , ed. (1911). "Antequera ". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 2 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 93.
^ “Estaciones de tren de Antequera ”. Web Malaga . 2010年4月16日 閲覧。
^ “El AVE hasta Antequera se abre hoy tras una inversión de 1.000 millones ”. Diario Sur (2006年12月16日). 2010年4月16日 閲覧。
^ “El ave llega a Málaga - Estaciones ”. Diario Sur (2007年12月25日). 2010年4月16日 閲覧。
^ Poblaciones de hecho desde 1900 hasta 1991. Cifras oficiales de los Censos respectivos.
^ Cifras oficiales de población resultantes de la revisión del Padrón municipal a 1 de enero.
^ “Guide to Antequera ”. Ideal Spain . 2017年2月19日 閲覧。
^ “Spanish local corporations twinned with Europe ”. スペイン自治体・県連盟. October 30, 2009 閲覧。
^ “Bustamante Vasconcelos Alberto ”. Casa de la Cultura Oaxaqueña. October 30, 2009 閲覧。
関連項目
外部リンク
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