アンテケーラ

Antequera

  


 アンダルシーア州
 マラガ県
面積 749.34 km²
標高 575m
人口 41,141 人 (2015年)
人口密度 54.9 人/km²
住民呼称 antequerano, -na
Antequeraの位置(スペイン内)
Antequera
Antequera
スペイン内アンテケーラの位置
Antequeraの位置(マラガ県内)
Antequera
Antequera
マラガ県内アンテケーラの位置

北緯37度01分06秒 西経04度33分35秒 / 北緯37.01833度 西経4.55972度 / 37.01833; -4.55972座標: 北緯37度01分06秒 西経04度33分35秒 / 北緯37.01833度 西経4.55972度 / 37.01833; -4.55972

アンテケーラスペイン語: Antequera: スペイン語発音: [an̪teˈkeɾa])は、スペインアンダルシア州マラガ県ムニシピオ(基礎自治体)。アンダルシア州のマラガグラナダコルドバセビリアの4都市を結ぶ四角形の中央付近にあり、「アンダルシアの心臓」「アンダルシアの交差点」[1]と呼ばれる。

アンテケーラ近郊のエル・トルカルはヨーロッパ有数のカルスト地形を形成しており、自然保護区に指定されている[2]メンガ遺跡ビエラ遺跡エル・ロメラル遺跡の各ドルメンに代表される考古学遺跡を有し[3]、また多くの教会・修道院・宮殿などの建築学的遺産を有する[4]。2016年の第40回世界遺産委員会では「アンテケーラのドルメン遺跡」が世界遺産文化遺産)に登録された[5]

地理

フエンテ・デ・ピエドラ湖
恋人たちの岩

面積は749.34km2であり、市街地の標高は575mである。2011年の人口は41,854人であり、人口密度は55.85人/km2である。マラガ県はコスタ・デル・ソルと呼ばれる観光地の沿岸部に人口が偏っており、アンテケーラはマラガ県内陸部でもっとも人口の多い自治体である。マラガ県でもっとも面積の大きな自治体であり、スペイン全土では23番目に面積の大きな自治体である[6]。マラガから45km、コルドバから115kmの距離にあり、両都市とは高速鉄道AVEの南回廊線や高規格道路のA-45号線で結ばれている。セビリアから160km、グラナダから102kmの距離にあり、鉄道路線や高規格道路のA-92号線で結ばれている。

マラガ=コスタ・デル・ソル空港グラナダ空港セビリア空港コルドバ空港英語版の4空港から自動車で約1時間の距離にあり、スペインの重要港湾であるアルヘシラス港英語版からも鉄道で1時間の距離にあるため、アンテケーラ近郊にはいくつかの工業団地やアンダルシア物流センターが建設されている[7]グアダルオルセ川英語版が形成した堆積盆地のアンテケーラ盆地英語版は肥沃な農業地域でもあり、穀物、オリーブオイル用のオリーブ、野菜などを生産している[8]

郊外北西部には塩水のフエンテ・デ・ピエドラ湖英語版があり、この湖はヨーロッパに数少ないオオフラミンゴの営巣地である。郊外南部にあるエル・トルカルは石灰岩で形成されており、よく知られたクライミングスポットでもある。 郊外北東部には恋人たちの岩英語版(インディアンの横顔)とよばれる山があり、敵対する部族出身の若いムーア人のカップルが岩から身を投げた伝説に因んで名づけられている。庫のロマンティックな伝説は、イギリスのロマン派詩人ロバート・サウジーによって脚色され、イスラーム教徒の少女とキリスト教徒の奴隷が主人公の『Laila and Manuel』が書かれた。

歴史

先史時代

メンガ遺跡

北部郊外には青銅器時代の埋葬地(ドルメン)であるメンガ遺跡ビエラ遺跡があり、それぞれ紀元前3000年-紀元前2000年に遡るとされる[9]。これらの遺跡はヨーロッパ有数の規模である。紀元前1800年に遡るエル・ロメラル遺跡は、メンガ遺跡やビエラ遺跡より小さな石が使用されている。現在の市街地から数km北には青銅器時代の集落であるロス・シリージョス遺跡英語版がある[10]。紀元前7世紀以降にはこの地域にイベリア人が定住した。

2016年にトルコのイスタンブールで開催された第40回世界遺産委員会では、「アンテケーラのドルメン遺跡」が世界遺産文化遺産)に登録された[5]。構成要素には恋人たちの岩やエル・トルカルも含まれている[11]

古代・中世

古代ローマ時代にはヒスパニア・バエティカ属州の一部となり、アンティカリア(AnticariaまたはAntiquaria)という名称で知られていた[12]ローマ帝国の崩壊後、アンティカリアは410年にヴァンダル族の手に渡り、その後西ゴート王国に支配された。

711年にはイスラーム教徒がイベリア半島に侵入し、716年頃にはアンテケーラが征服されてウマイヤ朝に組み込まれ、イスラーム支配下ではメディーナ・アンタキラ(Medina Antaquira)という名称で呼ばれた。ある時期からはグラナダ王国最北端の町のひとつとなり、カトリック軍からグラナダ王国を守るためにアルカサバ英語版(要塞)が建設された。アンテケーラは約200年間にわたってキリスト教徒の攻撃を受け、1410年9月16日にアラゴン王フェルナンド1世の軍隊によって征服された。フェルナンド1世はアンテケーラ領主の称号を手にし、「フェルナンド・デ・アンテケーラ」と呼ばれることもある。今日のアンテケーラの中心通りはインファンテ・ドン・フェルナンド通りと名付けられている。

アルカサバ(左)と恋人たちの岩(中央奥)

近世

アンテケーラがカスティーリャ王国の一部となると、イスラーム教徒は追放された。アンテケーラはグラナダ王国に対するカトリックの要塞となり、その後も続くレコンキスタの基地となった。1492年にグラナダがキリスト教徒の手に陥落すると、アンテケーラの人口はわずか20年間で2,000人から約15,000人に増加した。

スペイン王国の下でアンテケーラは重要な商業都市となった。その地理的状況に加えて、農業や工芸が栄えていたことから、16世紀初頭には早くも「アンダルシアの心臓」と呼ばれている。モスクやイスラーム教徒の邸宅が取り壊され、カトリック教会やキリスト教徒の邸宅が建設された。アンテケーラ最古の教会はサン・フランシスコ教会であり、1500年頃に後期ゴシック様式で建設された。

1504年にはサンタ・マリア・ラ・マジョール王立学院というルネサンス・ユマニスム英語版の大学が設立され、スペインのルネサンス期における主要な作家や学者の社交場となった。16世紀中には詩作の教室が開講され、ペドロ・エスピノサスペイン語版ルイス・マルティン・デ・ラ・プラサスペイン語版クリストバリーナ・フェルナンデス・デ・アラルコンスペイン語版などを輩出した。彫刻の教室を巣立った学生は、セビリア、マラガ、コルドバやその周辺地域で多くの教会などを建設した。この時期に建設された教会にはサン・セバスティアン教会やサンタ・マリア教会などがある。

近現代

17世紀末から18世紀初頭には繁栄の時代が終わった。18世紀中にはさらに多くの教会が建設されており、今日には計32の教会が存在する。アンテケーラはアンダルシア民族主義英語版の台頭に重要な役割を果たしており、1883年にはこの地でアンテケーラ連邦憲法の草案が作成された。民主化後の1978年にはアンテケーラ自治協定が締結され、アンダルシア自治州の成立につながった[13]。アンテケーラにアンダルシア州政府が置かれる可能性もあったが、結局州政府はセビリアに置かれている[14]

経済

マラガ県のオリーブ畑

歴史的にこの地域の経済は農作物(オリーブ・穀物・羊毛)の生産や加工、そして家具製造だった。19世紀中頃にはフランネル・紙製品・皮革製品・絹製品・石鹸の製造を行い、穀物・果物・オリーブオイル・地元産大理石の交易を大規模に行っていた[12]。1890年には巨大な製糖工場が設立された[15]第一次世界大戦までにアンテケーラのボバディーリャ駅スペイン語版グラナダを結ぶ鉄道路線が開通[15]。20世紀初頭の主産業も農業であり、穀物・果物・オリーブオイル・スペインワインを生産していた[15]。今日の主産業は観光業であり、スペイン国外からの観光客が増加している。

交通

アンテケーラ=サンタ・アナ駅

アンダルシア州の4大都市であるセビリアマラガコルドバグラナダを結んだ菱形の中央部にアンテケーラが位置する。このため、マラガとコルドバを結ぶA-45号線、セビリアとグラナダを結ぶA-92号線は、アンテケーラ近郊で交わっている。

アンテケーラの自治体域には3つの鉄道駅がある。中心集落にあるアンテケーラ駅スペイン語版、中心集落から16km西のボバディージャ集落スペイン語版にあるボバディージャ駅スペイン語版、中心集落から20km西のコロニア・デ・サンタ・アナ集落にあるアンテケーラ=サンタ・アナ駅スペイン語版である。アンテケーラ=サンタ・アナ駅は高速鉄道AVEの南回廊線の駅でもある[16][17]。AVEの南回廊線はコルドバマラガを結んでおり、途中駅はプエンテ・ヘニルにある駅とアンテケーラ=サンタ・アナ駅の2駅である[18]。ボバディージャ駅は長距離路線のアルコなどに使用されており、バルセロナとマラガを結ぶ路線、ビルバオビルバオ=アバンド駅とマラガを結ぶ路線などがボバディージャ駅に発着する。

人口

アンテケーラの人口推移 1900-2010
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[19]、1996年 - [20]

政治

首長一覧(1979-)
任期 首長名 政党
1979–1983 José María González Bermúdez 無所属
1983–1987 Pedro de Rojas Tapia スペイン社会労働党(PSOE)
1987–1991 Paulino Plata Cánovas スペイン社会労働党(PSOE)
1991–1995 Paulino Plata Cánovas(-1994)
Jesús Romero Benítez(1994-)
スペイン社会労働党(PSOE)
スペイン社会労働党(PSOE)
1995–1999 Jesús Romero Benítez スペイン社会労働党(PSOE)
1999–2003 Jesús Romero Benítez スペイン社会労働党(PSOE)
2003–2007 Ricardo Millán Gómez スペイン社会労働党(PSOE)
2007–2011 Ricardo Millán Gómez スペイン社会労働党(PSOE)
2011–2015 Manuel Jesús Barón Ríos 国民党(PP)
2015–2019 Manuel Jesús Barón Ríos 国民党(PP)
2019–2023 n/d n/d
2023– n/d n/d

見どころ

アンテケーラ闘牛場
旧市街
アルメニージャス展望台から見たアンテケーラ市街地

出身者

姉妹都市

脚注

  1. ^ Antequera Andalucia.com
  2. ^ “El Torcal, paisaje kárstico más importante de Europa”. La Opinión de Málaga. (28 October 2009). http://www.laopiniondemalaga.es/municipios/2009/10/28/torcal-paisaje-karstico-importante-europa/298880.html 24 May 2012閲覧。 
  3. ^ Antequera Dolmens Site”. UNESCO. 2017年2月19日閲覧。
  4. ^ Histórico del BOJA”. アンダルシア州政府. 24 May 2012閲覧。
  5. ^ a b World Heritage Centre (2016), Nominations to the World Heritage List, https://whc.unesco.org/archive/2016/whc16-40com-8B-en.pdf pp.29, 47
  6. ^ Tabla de Datos geográficos municipios de España con más de 20.000 habitantes”. スペイン国立地理学研究所. 24 May 2012閲覧。
  7. ^ “Antequera pone en marcha el Centro Logístico de Andalucía”. Diaro Córdoba. (30 August 2003). http://www.diariocordoba.com/noticias/cordobaandalucia/antequera-pone-en-marcha-centro-logistico-de-andalucia_76223.html 24 May 2012閲覧。 
  8. ^ Sánchez, Lola (5 November 2008). “Antequera, la gran despensa de patata de la provincia”. La Opinión de Málaga. http://www.laopiniondemalaga.es/secciones/noticia.jsp?pRef=2008110500_4_215627__Municipios-Antequera-gran-despensa-patata-provincia 24 May 2012閲覧。 
  9. ^ ANTEQUERA "CROSSROADS OF ANDALUCIA"”. Andalucia.com. 2017年2月14日閲覧。
  10. ^ C. Michael Hogan, Los Silillos, the Megaltihic Portal, ed. Andy Burnham
  11. ^ “Antequera dolmens continue World Heritage status bid” (Spanish). Spanish News Today. (September 21, 2015). オリジナルのJanuary 15, 2016時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160115035959/http://spanishnewstoday.com/antequera-dolmens-continue-world-heritage-status-bid_26824-a.html 
  12. ^ a b Baynes, T. S., ed. (1878). "Antequera". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. II (9th ed.). New York: Charles Scribner's Sons. p. 102.
  13. ^ “Chaves destaca la "austeridad" del pleno de Antequera y critica que los políticos "abrimos debates que son inútiles"”. Europa Press. (12 December 2008). http://www.europapress.es/andalucia/noticia-chaves-destaca-austeridad-pleno-antequera-critica-politicos-abrimos-debates-son-inutiles-20081204153549.html 24 May 2012閲覧。 
  14. ^ “La Cámara andaluza volverá a Antequera a los 30 años del pacto autonómico”. La Opinión de Málaga. (2 December 2008). http://www.laopiniondemalaga.es/secciones/noticia.jsp?pRef=2008120200_6_221619__Andalucia-Camara-andaluza-volvera-Antequera-pacto-autonomico 24 May 2012閲覧。 
  15. ^ a b c Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Antequera". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 2 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 93.
  16. ^ Estaciones de tren de Antequera”. Web Malaga. 2010年4月16日閲覧。
  17. ^ El AVE hasta Antequera se abre hoy tras una inversión de 1.000 millones”. Diario Sur (2006年12月16日). 2010年4月16日閲覧。
  18. ^ El ave llega a Málaga - Estaciones”. Diario Sur (2007年12月25日). 2010年4月16日閲覧。
  19. ^ Poblaciones de hecho desde 1900 hasta 1991. Cifras oficiales de los Censos respectivos.
  20. ^ Cifras oficiales de población resultantes de la revisión del Padrón municipal a 1 de enero.
  21. ^ Guide to Antequera”. Ideal Spain. 2017年2月19日閲覧。
  22. ^ Spanish local corporations twinned with Europe”. スペイン自治体・県連盟. October 30, 2009閲覧。
  23. ^ Bustamante Vasconcelos Alberto”. Casa de la Cultura Oaxaqueña. October 30, 2009閲覧。

関連項目

外部リンク


Strategi Solo vs Squad di Free Fire: Cara Menang Mudah!