日本のインド・ネパール料理店(にほんのインド・ネパールりょうりてん)通称「インネパ[注釈 1]」は、「ネパール人経営のインド料理店」、すなわち在日ネパール人が経営し「カレーとナン」を看板メニューとする料理店を指す。
「インネパ」は主にマニアが使う呼称である[9]。一般には、ネパール人以外の同種の店と区別されず「インド料理店[10]」「インドカレー店[11]」「インドカレー屋さん[12]」などと呼ばれる。
2000年代ごろから全国的に急増した。2024年時点で4000から5000店ほどあると言われる。
「インド人のインド料理店」の亜流に過ぎないとする声もあれば、日本・インド・ネパール三国の文化が合わさって生まれた独自文化とする声もあり[6]、愛好家もいる[9][16]。
特徴
メニュー
メニューに以下がある。
枝豆など日本の居酒屋料理や[22]、タイ料理など他のアジア料理[32]、チョウメンなどインド中華[37](ネパール中華)がある店もある。
ネパール料理がある店は少ない(理由後述)。あっても「モモ」など一品料理のみで[40][22]、「ダルバート」は滅多に無い[注釈 5][42]。
店員
- 「インド料理店」を名乗っていても、店員は大抵ネパール人である。まれにインド人・バングラデシュ人・パキスタン人・日本人などの場合もある。
- 店員は男性が多く、故郷の家族に仕送りしている場合もあれば、家族も来日している場合もある[注釈 6]。
- 店員の日本語能力は、簡単な接客や行政手続きができる程度である。まれに堪能な人もいる。英語能力は高い人が多い[注釈 7]。
- 「ナンおかわり無料」の店では、店員が「ナンおかわりどうですか?」と客席まで聞きに来る[11]。カレーが辛すぎないかを聞きに来ることもある[11]。
- 店員の態度は良い意味で「ゆるい」「適当」「おおらか」であり、そのぶん客も気楽でいられるのがインネパの良さとも言われる[20]。
内装
その他
背景・歴史
ネパール人が多い理由
在日ネパール人の約3分の1が、インド料理店員とその家族とされる(2022年時点)[注釈 11][66]。日本のインド料理店にネパール人が多い理由は複数あり、
- ネパールは国内産業が乏しく、国外への出稼ぎが多い[注釈 12]。
- 出稼ぎ先の定番に隣国インドの飲食業界があり[72]、また両国の文化的境界も曖昧であるため[73]、ネパール人がインド料理を作るのは自然だった。
- 日本政府は2000年代、外国人労働者の受入れ政策として、飲食業者のビザを取りやすくしている。
- 渡日したネパール人が後続の渡日を促す、という連鎖(移民連鎖(英語版))がある。
といった理由が挙げられる。
言い換えれば、「出稼ぎのため来日した」人が大半であり、「日本が好きだから来日した」という人はあまりいない。店が繁盛して日本に根付く人もいれば、軌道に乗らず日本をすぐ去る人もいる。
ネパールの中でもバグルン郡(英語版)出身者が特に多いとされる。バグルン郡は出稼ぎ者自体が多く、グルカ兵の輩出地としても知られる。
ネパール料理が少ない理由
インネパは「中国人がカリフォルニアロールを作るアメリカの寿司屋」あるいは「日本人の中華料理屋」に近いとも言われる[注釈 13]。というのも、「バターチキンカレー」や「ナン」はネパール料理ではなく、またインド料理としても実は一般的でなく、北インド料理の一種に過ぎない[注釈 14][22]。また大抵の店で、日本人の味覚に合わせた味付けがされている。
「ダルバート」などのネパール料理を出す店が少ない理由は、「日本では売れない」という固定観念を店主が抱いているため、また店主の大半が「ネパール文化を広める」よりも「家族を養う」ことを目的に来日しているため、とされる。それゆえネパール料理を出さず、堅実に売れる「カレーとナン」を出すとされる。ただし2020年代ごろから、ネパール料理を出すインネパが増えている、とも言われる[42][注釈 15]。
ネパール料理メインの店は「インネパ」でなく「ガチネパ」「純ネパ」と呼ばれ、新大久保のネパール人街などにある[注釈 16][52]。
どの店も似ている理由
どの店もメニューや内装が似ていることから、共通のコンサルタントが存在すると思われがちだが、存在しない。どの店も似ている理由は「暖簾分け」と「繁盛店の模倣」にあるとされる。
1990年代まで「カレーとナン」のインド料理店は、東京・愛知・福岡を中心に少数存在するのみだった[注釈 17]。2000年代ごろから、ネパール人の来日が多くなると、既存のインド料理店で働いた後、その店や繁盛店の特徴を模倣して独立する、というのが次第にパターン化した。こうして似た店が急増した。(詳細は小林 2022a、室橋 2024参照。)
まれに模倣でない新要素が生まれる場合もあり、ナンの変わり種などは当初はそうした新要素だった。
展望と課題
2020年代ごろからは、ネパール料理を出すインネパや[42][107]、元留学生[注釈 18]、在日ネパール人2世の店員が増加している[107]。一方で、コロナ禍・円安[52]・ビザの厳格化などにより、店舗数は減少に向かっているとも言われる。
インネパの裏側には複数の問題もあり、
- 過酷な労働やカルチャーショックにより、心身を患う店員が多いこと[23]
- 経営者や人材ブローカーによる、従業員に対する搾取が横行していること
- 店員の妻子が日本社会で疲弊・孤立しがちなこと
などが指摘されている。
影響
2005年、ビクターエンターテインメントが、音楽CD『インドカレー屋のBGM』を発売し、2020年までシリーズ化している[120]。2006年にはDVD『インドカレー屋のテレビ』も発売しており、みうらじゅん・大槻ケンヂ・江戸木純のオーディオコメンタリーを収録している[50]。
2020年、NHK福岡が福岡発地域ドラマ『となりのマサラ』を放映した。
2023年、理研ビタミンが、家庭用ドレッシング『インドカレー屋さんの謎ドレッシング』を発売すると、ヒット商品となりSNSでも反響を呼んだ[12]。
脚注
注釈
- ^ 「インネパ店」「インネパ系[6]」などとも。
- ^ 食べ残してもパック詰めして持ち帰らせてくれる。
- ^ チーズナンは日本人に人気だが、熟練コックでないと作るのが困難とされる[23]。
- ^ ビールを頼むとお通しでパパドを出してくれる場合もある[33]。
- ^ 「ネパールセット」「カナセット」(カナはネパール語で食事の意)などの名前でダルバートを出している場合もある。
- ^ 店員の子供がよく店内でくつろいでいる[46]。
- ^ ネパールはイギリスの保護国だった歴史があるため、また英語ができれば移住先の幅が広がるため。
- ^ ブッダの生誕地ルンビニはネパールにある。現代ネパール人の大半はヒンドゥー教徒だが、仏教徒もいる(ネパールの仏教)。
- ^ 「タンドール1個につきコック4人分のビザが取れる」というネット上の噂があるが、ウソとされる。
- ^ 店名は以下の6パターンに大別できるとされる。1.店主の母や子の名前。2.「ナマステ+所在地名」。3.「エベレスト」「マナカマナ(英語版)」などネパールの名所・地名。4.独立元の店名の借用。5.「ガネーシャ」などヒンドゥー教の神名。6.「グルン」「ネワール」など店主の氏族名。以上の6パターンに属さない店名も多い。
- ^ 在留資格は「技能」または「経営・管理」「家族滞在」に属する。
- ^ ネパール内戦(1996年-2006年)や、国外労働を促す法改正(2007年)、ネパール大地震(2015年)がこの傾向に拍車をかけた[68]。
- ^ または「日本の台湾料理店」、すなわち在日中国人が「台湾料理」と称して「天津飯」や「名古屋式台湾ラーメン」を出す店、に近いとも言われる[82]。この台湾料理店もインネパと同様に急増した。
- ^ 具体的には、1947年のインド独立ごろから、タージ系ホテルなどで外賓に出す「国民料理」として、北インドのパンジャーブ料理やムガル帝国の宮廷料理(ムグライ料理(英語版))をもとに創出された料理。インド現地では高級外食料理であるため、「来日するまでナンを食べたことが無かった」というインド人・ネパール人も多い。
- ^ この理由について、インドおよびネパール料理に詳しい小林真樹は、普段の食生活からかけ離れたものをめざす日本人が一定数存在することが一因だとみている[68]
- ^ 新大久保以外にも、蒲田[93]・小岩[94]・拝島[95]・名古屋ほか全国にある。
- ^ これら初期の店は、経営者はインド人が多かったが、コックはネパール人が多かった。経営者は日本人妻でコックはネパール人夫(国際結婚)というパターンもあった。2024年時点で現存する店もある。
- ^ ネパール人留学生は、2008年の「留学生30万人計画」以降徐々に増加した。ネパール側でも2010年代ごろから、留学斡旋業者や日本語教室が増加した。
出典
参考文献
関連項目