平沢 政輝(ひらさわ まさき、1969年4月25日 -)は、日本出身の元サッカー選手。ポジションはFW(センターフォワード)。東京都大田区出身。
経歴
父親の転勤もあって小学時代は埼玉県浦和市(現在のさいたま市)、中学時代は広島県といったサッカー王国と呼ばれた地域で過ごし、小学時代はFC浦和[2] の一員として全日本少年サッカー大会3位入賞と優秀選手に選出。中学時代はさいたま市立大谷口中学校に進学、父親の転勤にともない途中転校しクラブチームの大河FC[3] でサッカーを学んだ。
高校進学の際には静岡県の東海大一高校へ越境入学。ポジショニングが良く、左足とヘディングを得意とした。2年時の1986年に沢登正朗やアデミール・サントスらと共に高校サッカー選手権に初出場し優勝。3年時にはエースストライカーとして県予選で11得点を上げ得点王、本大会でも7得点を上げ得点王となり準優勝に導いた[4]。
卒業後の1988年に日本サッカーリーグ2部のトヨタ自動車サッカー部(現在の名古屋グランパス)へ入部。トヨタでは背番号10番を与えられ、1991年10月19日のマツダ戦で2得点を記録したが、JSL1部通算ではこの2得点に留まっている。
Jリーグ開幕の際には複数のクラブからオファーを受けた[5] が、これを固辞しジャパンフットボールリーグのトヨタ自動車東富士FCでプレーを続けた。現在はトヨタ自動車東富士研究所に勤務している。
所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
脚注
- ^ a b 『1991-1992JSLイヤーブック』p
- ^ 浦和市(現在のさいたま市浦和区、南区、緑区、西区)の選抜チーム。全日本少年サッカー大会優勝4回、3位入賞4回の強豪として知られる。過去に池田伸康、内舘秀樹、阿部敏之らを輩出している。
- ^ 過去に木村和司、田坂和昭、森島寛晃らを輩出している。
- ^ マスコミからは、かつての高校サッカーの人気選手武田修宏に準えて「武田二世」、「サッカー界のマッチ」、「未来の日本代表FW」等と称され、女性ファンの人気を獲得した。
- ^ プロ入りに対しては関心が薄く、近年のインタビュー(『週刊サッカーマガジン』2007年1月2日号)でもその辺の事情を淡々と語っている。
参考文献