ワルテル・ゼンガ(Walter Zenga, 1960年4月28日 - )は、イタリア・ロンバルディア州ミラノ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはゴールキーパー。
クラブ経歴
9歳の時、友人のクラウディオ・アンブ(英語版)にGKを探していたマカレージの練習に連れていかれたことから、GKとしてサッカーを始めた[1]。
1971年、11歳でインテルの下部組織に加入した[2]。1978年にサレルニターナ、1979年にサヴォーナ、1980年から2シーズンはサンベネデッテーゼへとそれぞれ貸し出された[1]。サンベネデッテーゼでの活躍により、1982-83シーズンからインテルへと複帰したが、このシーズンはイタリア代表GKであったイヴァノ・ボルドンの控えだった[1]。
1983-84シーズン、9月11日のサンプドリア戦でセリエAデビュー[1]。以降、不動の守護神として活躍[3]、スパイダーマンの異名を取るなど[2]、サポーターから人気を集めた。1988-1989シーズン、9年ぶりとなるスクデット獲得に貢献した。また1990-91シーズン、1993-94シーズンと2度UEFAカップを制した[2]。インテルでは通算471試合に出場[3]、2018年にはGKとして初のチーム殿堂入りを果たした[2]。
1994-95 シーズンに当時イタリア代表の正GKであった、ジャンルカ・パリュウカとトレードされる形でサンプドリアへ移籍した[4]。1995-96シーズン、十字靱帯断裂により殆どの試合を欠場した[1]。1996-97シーズン、セリエBのパドヴァでプレーしたのを最後にイタリアを離れた。
1997年から、創設されたばかりのアメリカのMLS、ニューイングランド・レボリューションでプレーし、2度MLSオールスターのメンバーに選出された。1999年に現役を引退した。
代表経歴
イタリア代表としては58試合に出場[2]、1986年のメキシコW杯では第3GK扱いで出場機会は無かった[1]。
アゼリオ・ビチーニ監督の下で正GKの座を掴み1988年の欧州選手権のベスト4、1990年のイタリアW杯では連続無失点記録(517分)を打ち立てるなど[2]3位入賞に貢献し、1990年のバロンドール投票では第12位となるなどの活躍を見せていた[2]。しかし大会中、準決勝のアルゼンチン戦では、ロングボールに対しての判断ミスもあって、クラウディオ・カニーヒアにゴールを許して同点とされ、PK戦の末敗戦した[5]。
1992年にアリゴ・サッキ監督が就任すると、1992年6月4日USカップのアイルランド戦への出場を最後に[6]、2度と代表に招集される事は無かった。
指導者歴
2015年6月4日、サンプドリアの監督に就任した[7]。
2016年7月30日、ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFCの監督に就任した。
2017年12月8日、FCクロトーネの監督に就任した。
その他
ユヴェントスのGKであったステファノ・タッコーニ とのライバル関係がよく知られているが、「それらはメディアが勝手につくりあげたものである。」と話した[1]。
タイトル
選手時代
- インテルナツィオナーレ・ミラノ
- 個人
監督時代
- FCステアウア・ブカレスト
- レッドスター・ベオグラード
栄誉
出典
外部リンク
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得点王 - 最優秀GK |