セルゲイ・スタニスラーヴォヴィチ・レブロフ(ウクライナ語: Сергій Станіславович Ребров セルヒーイ・スタニスラーヴォヴィチュ・レブローウ;セルゲーイ・スタニスラーヴァヴィチ・リブローフ;ラテン文字転写の例:Serhii Rebrov、Serhiy Rebrov、1974年6月3日 - )は、ウクライナ・ドネツィク州出身の元サッカー選手(FW)、サッカー指導者である。ウクライナ生まれのウクライナ人で、元ウクライナ代表。
経歴
選手時代
セルゲイは、ソ連時代の1974年にドネツィク州のホールリウカで生まれた。
現役最後のクラブ、ルビン・カザン時代
1990年にウクライ・プレミアリーグ・シャフタール・ドネツクでキャリアをスタート。ウクライナが独立するとディナモ・キーウに移籍し、アンドリー・シェフチェンコとともに活躍した。1996年と1998年にはウクライナ年間最優秀選手に選出されている。またUEFAチャンピオンズリーグでも1997-98シーズンにベスト8、1998-99シーズンにはベスト4に導くなど、ヨーロッパでの評価を次第に上げていく。
その活躍が認められて2000年にクラブ史上最高額の移籍金でプレミアリーグ・トッテナム・ホットスパーへ移籍。しかしプレミアリーグでは実力を発揮できず、トルコサッカーリーグ・フェネルバフチェへ移籍。その後移籍したイングランドではウェストハム・ユナイテッドのプレミアリーグ昇格へ貢献。2005年より古巣ディナモ・キエフでプレー。2008年にはルビン・カザンに移籍して現役を終えた。
ウクライナ代表としては1992年6月27日のアメリカ戦でデビューを果たし、長らくFWの軸としてシェフチェンコらと活躍した。2006 FIFAワールドカップでも代表に選出され、グループリーグのサウジアラビア戦でミドルシュートを放ち1得点をあげた。
引退後
2009年7月20日から古巣のディナモ・キエフのリザーブチームのコーチに就任。2014年から2017年までは監督を務めた。
2017年6月22日、アル・アハリ・ジッダの監督に就任。以降、ハンガリーのフェレンツヴァーロシュや、UAEのアル・アインを指揮。
2023年6月、母国ウクライナの代表監督に就任[2]。
エピソード
- 彼は、UT5UDX (ウクライナ) 、M0SDX (イングランド) 、TA2ZF (トルコ) 、UT0U (ウクライナ) 局のコールサインを持つ熱心なアマチュア無線家である。「ラジオ頭」の愛称もこれに因む[3]。
脚注
外部リンク
- Profile at Dynamo Kyiv official website (fcdynamo.kiev.ua)
- Profile at Football Ukraine website (fanatukr.com)