ドライバー背後のエンジンスペースは、前年に導入されたコヴェントリー・クライマックスの1,494 cc (91.2 cu in)のFWMV V8エンジンが収容可能であった。シャシーの一部は、エンジンが狭いシャシーに収まるように取り外し可能であった[3]。このエンジンは1962年の仕様で約157 bhp (117 kW)を発揮し、1963年には約190 bhp (142 kW)に増加した[1]。トランスミッションはアルフ・フランシスが設計したコロッティの6速ギアボックスを介して接続され、技術的には進歩していたが幾分脆弱であることが判明し、BT3のアキレス腱となった[2]。車輪は4輪が完全に独立したダブルウィッシュボーン式サスペンションを採用し、通常の13インチホイールよりも小さい物を着用した。ブレーキは当初各車輪に9 in (23 cm)のディスクブレーキを装備したが、これらは不十分であることが判明し、第2戦ではフロントが10.5 in (27 cm)に拡大した。そのため15インチの前輪を必要としたが、これはハンドリングに悪影響を及ぼした[4]。
FWMVを搭載したBT3シャシーのF1仕様はF1-1-62と名付けられた。この設計はインターコンチネンタル・フォーミュラ及びタスマンシリーズ仕様のBT4に流用され、それらには2.5リッターおよび2.7リッターのクライマックスFPF直列4気筒エンジンが搭載された。FPFエンジン、小型の燃料タンク、従来の15 in (38 cm)ホイールへの切り替えに対応するために、BT3からBT4への変更では僅かなエンジンベイの改造のみが行われた。BT4はオーストラリアとニュージーランドにおいてカスタマーマシンとして好評を得、1963年シーズンにスクーデリア・ヴェローチェとビブ・スティルウェルに販売された。レックス・ディヴィソンは後にワークスマシンのBT4も購入した。
BT3は後継マシンのブラバム・BT7開発のためのプロトタイプとして使用され、1963年シーズン前に行われた変更は、シャシーの引き下げ、55 lb (25 kg)の軽量化、塗色の変更(ダークグリーンとゴールド)が含まれた[1]。1963年シーズンが終了すると、BT3はブライトンに拠点を置くプライベーターのイアン・レイビーに売却され、クライマックス製エンジンに変えてBRMのV8エンジンが搭載された。レイビーは1965年にBT3をデヴィッド・ヘップワースに売却し、エンジンは4.7 L (287 cu in)のシボレーV8エンジンが搭載された。このBT3はフォーミュラ・リブレで使用され、1966年に行われたいくつかのヒルクライムイベントにも参加した。このBT3は後にオリジナルの1962年のF1仕様に復元され、ターコイズとゴールドの塗色も復元、長い間ドニントングランプリエキシビジョンミュージアムのコレクションに収められていた。
^Blunsden, John (September 1962). “Brittiska Grand Prix - trakigt pa Aintree! [British Grand Prix: boring at Aintree!]” (Swedish). Illustrerad Motor Sport (Lerum, Sweden) (9): 32-33.
^Whitelock, Mark (2006). 1?-litre Grand Prix Racing 1961-1965: Low Power, High Tech. Veloce Publishing Inc.. pp. 336. ISBN1-84584-016-X