ユーコン準州のバーウォッシュ・ランディングとコイダーンの間100マイル (160 km) 程は特に、永久凍土層が融けて傷つきやすい植生に保護されていなかったので、1943年の5月と6月は事実上通行不能だった。その経路を修復する為に丸太道が作られたので、この地域の古い部分には今も丸太が埋っている。現代の建設法では、表面に砂利を盛るか、砂利で植生と地表面を置き換えるかで作られているので、永久凍土層が融けることはない。しかし、バーウォッシュ・ランディングとコイダーンの間はまだ問題があり、1990年代後半に新しい道路が建設されたが、まだ凍上が続いている。
経路
1942年に完成したばかりの道路はドーソンクリークからデルタ・ジャンクションまで約1,680マイル (2,688 km) あった。陸軍はワシントン州の公共道路管理局に管理を移管し、管理局が選別した区画の改良のために私企業の道路建設業者に契約を発注し始めた。これらの部分は不必要なカーブや険しい坂道を避ける形で改良された。現代の旅行者は公共道路管理局が承認した経路に沿ってある電話線を追えば改良された部分を識別できる。日本による侵略の恐れが無くなり、公共道路管理局は新しい契約の発注を止めた。1946年に道路をカナダに移管したとき、ドーソンクリークからデルタ・ジャンクションまでの総延長は1,422マイル (2,275 km) になっていた。
ブリティッシュコロンビア州政府はハイウェイの最初の82.6マイル (132 km) を所有しており、1960年代後半から1970年代にかけて唯一舗装されている部分になっていた。カナダ公共事業局はマイルストーン82.6から630までを維持している。ユーコン準州政府はマイルストーン630から1016(ワトソン湖からヘインズ・ジャンクションまで)を所有し、マイルストーン1221となるアメリカ・カナダ国境までを維持している。アラスカ州は州内のアラスカ・ハイウェイ(マイルストーン1221から1422)を所有している。
カナダ領内では広範に経路の再配置が行われ、1947年以降約の35マイル (56 km) はその大半が曲がりくねった場所を排除したり、住居地域を迂回するものだった。それ故に昔からのマイルストーンはもはや正確なものではないが、地元では位置識別のために今でも重要である。ハイウェイの古い区間の幾つかは地方道路として今でも使われているが、残りは廃れるに任され、ある場所では耕作されている。ホワイトホースの3箇所やフォートネルソンの1箇所は地元の生活道路となっており、ホワイトホース郊外では住民道路となっているところもある。ユーコン準州シャンパーニュでは2002年にバイパスが造られたが、古い道も新しい直線道路が建設されるまで地元社会に供されている。
マイルポストを辿るとハイウェイのカナダ側は約1,187マイル (1,899 km) で終わっているが、アラスカ州内の最初のマイルポストは1222となっている。アラスカ州内の実際の総延長は、カナダと同様距離を短縮する付け替えによってもはや明らかでないが、カナダと異なるのはアラスカ州内のマイルストーンが付け替えられていないことである。ブリティッシュコロンビア州とユーコン準州政府およびカナダ公共事業局はクルエーン湖南東岸の地点までキロメートルポストを調整した。ブリティッシュコロンビア州が行った最近の調整は1990年であり、ユーコン準州のそれは2002年と2005年である(ブリティッシュコロンビア州が1990年に行った調整の結果に基づく数値を使った)。
^ abcd“FAQ-Alaska Highway Facts”. The MILEPOST. 2007年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月25日閲覧。 “1,390 miles ... Alaska Route 2 and often treated as a natural extension of the Alaska Highway”
^The U.S. Army Center of Military History Book UNITED STATES ARMY IN WORLD WAR II - The Western Hemisphere - THE FRAMEWORK OF HEMISPHERE DEFENSE by Stetson Conn and Byron Fairchild - Chapter XIV. THE UNITED STATES AND CANADA: COPARTNERS IN DEFENSE