Vサイン(ブイサイン、英語: V sign、Unicode:U+270C✌victory hand)は、人差し指と中指を、指先を離すようにして伸ばし、他の指は折ったままにする手のジェスチャー。文化的文脈やその形をとる手の提示の仕方などによって、様々な意味をもっている。特に、第二次世界大戦中の連合軍側の陣営においては、「勝利 (victory)」を意味する「V」の字を象った仕草として広く用いられた。イギリスや、それと文化的なつながりの深い地域の人々の間では、手のひらを自分の方に向ける形でこのサインを示し、相手への敵対、挑発のジェスチャーとする。また、多くの人々は、単に数字の「2」を意味してこのサインを用いる。1960年代以降、Vサインはカウンターカルチャー運動の中に広まり、通常は手のひらを相手側に向ける形で、ピースサインとしても用いられるようになった。
この手の形は、様々な手話において多様な意味をもっており、アメリカ手話などでは手のひらを下に向けて「look (見る/凝視する)」、上に向けて「see (見える/了解する)」といった意味になる。人差し指と中指が、手話話者自身の目を指した後で誰かを指差す場合は、「私はあなたを見ている/注視している (I am watching you.)」という意味になる[6]。
イギリスでは一時期、「ハーヴェイ(・スミス)(a Harvey (Smith))」という呼称が、こうした侮蔑の表現としてのVサインを意味して用いられたが、これはフランスでは「カンブロンヌの言葉 (Le mot de Cambronne)」、カナダでは「トルドー敬礼 (Trudeau salute)」が、一本指を立てる同様の仕草を意味したことがあったのと同様の現象であった。この呼称は、障害飛越競技の選手であったハーヴェイ・スミス(英語版)が、1971年にヒクステッド全英飛越コース(英語版)において開催されたイギリス飛越競技ダービー (the British Show Jumping Derby) で優勝した際、テレビに映る形でVサインを行なったとして失格とされた(2日後に失格は取り消され、スミスの優勝が再確認された)ことが由来となっている[13]。
ハーヴェイ・スミスは、同様に公の注目を集めることになった他の人々と同じように、勝利のサイン (a Victory sign) をしたのだと主張した[14]。また、時には外国から訪れた人々が「二指の敬礼 (two-fingered salute)」を、それが地元民にとっては不愉快なものであることを知らずにしてしまうこともあり、例えばアメリカ合衆国大統領だったジョージ・H・W・ブッシュは、1992年にオーストラリアを訪問した際、キャンベラで、アメリカ合衆国の農業助成金に対して抗議行動を行なっていた農民たちのグループに「ピースサイン」を出そうとして、結果的に侮蔑のVサインを出してしまった[15]
伝えられる話の内容にもかかわらず、イングランドにおける侮辱としてのVサインの使用について、曖昧でない証拠といえる最古のものは、ロザラムのパークゲイト鉄工所 (Parkgate ironworks) の前で、撮影されるのは嫌だという意思表示でこのジェスチャーを行なった労働者の姿が映像に残された、1901年までしか遡れない[14]。1950年代に子どもたちへの聞き取り調査を行ったピーター・オーピー(英語版)は、著書『The Lore and Language of Schoolchildren』の中で、子どもたちの遊び場における侮辱のジェスチャーとしては、より古くからあった手を開いて親指を自分の鼻につける仕草 (cock-a-snook) が廃れ、Vサインに置き換わったのだ、と述べている[14]。
1975年から1977年にかけて、デズモンド・モリスら人類学者たちのグループが、ヨーロッパにおける様々なジェスチャーの歴史と普及の広がりを研究し、乱暴な含意をもつVサインが、基本的にはイギリス諸島の外では知られていないことを明らかにした。1979年に出版された『Gestures: Their Origins and Distribution』(日本語版: 多田道太郎・奥野卓司 訳 (『ジェスチュア―しぐさの西洋文化』)において、モリスはこのサインの起源として様々な可能性を議論したが、確定的な結論に至ることはできなかった[14]。
この成功を契機として、BBCは「V for Victory」(「勝利のV」)キャンペーンを始め、ニュース編集助手だったダグラス・リッチー (Douglas Ritchie) が「ブリットン大佐 (Colonel Britton)」役を演じた。リッチーは、耳に聞こえるVサインとしてモールス信号の「V」(短点3つの後に長点ひとつ=ト・ト・ト・ツー)のリズムを使うことを提案した。ベートーヴェンの交響曲第5番の、目覚ましい冒頭部分が同じリズムであることから、BBCはこれを、ドイツ側が占領していたヨーロッパの地域に向けた外国語放送のコールサインとして、戦時中ずっと使用した。音楽の教養を備えた人々にとって、この「運命」の動機は、第三帝国の「扉を叩く (knocking on the door)」ものでもあった(コールサイン[ヘルプ/ファイル]).[21][22]。BBCは、ド・ラブレーが紹介したVサインのジェスチャーの使用も奨励した[23]。
1943年、有名なVサインのポーズをとるウィンストン・チャーチル。
1941年7月には、「V」字の象徴的な使用は、ドイツ占領下のヨーロッパの全域に広まっていた。7月19日、イギリスの首相であったウィンストン・チャーチルは、「V for Victory」キャンペーンについて演説の中で肯定的に言及し[24]、以降、手で作るVサインを自ら使い始めた。初めのうちは、手のひらを内側に向けたり、葉巻を指に挟んだ状態でもこの仕草を見せた[25]。後に、戦争が続いていくと、彼ははっきりと手のひらを外側に見せるようになっていった[26]。(貴族であった)チャーチルは、従者から、他の階級にとって手のひらを内側にするジェスチャーが何を意味しているかを説明されてからは、適切にこのサインを出すようになった[14][27]。やがて、連合軍側の他の指導者たちも、このサインを用いるようになった。シャルル・ド・ゴールは、1942年以降、 晩年の1969年至るまで、すべての演説の際にVサインを用いた[28]。
ベトナム戦争に反対する抗議者たちや、その後の反戦活動、あるいは、カウンターカルチャーの活動家たちは、このジェスチャーを平和のサインとして取り入れた。当時のヒッピーたちは、手のひらを外側に向けたこのサインを出しながら「ピース(Peace)」と声を出したので、このサインは発声との結びつきから「ピースサイン (the peace sign)」として知られるようになった[30]。
^Staff. American Manual Alphabet Chart Center for Disability Information & Referral (CeDIR), Indiana Institute on Disability and Community at Indiana University
Staff, V-sign, encyclopedia.com cites The Oxford Pocket Dictionary of Current English 2008 "Brit. a similar sign made with the first two fingers pointing up and the back of the hand facing outward, used as a gesture of abuse or contempt." Accessed 9 May 2008.
^Staff On this Day 15 August 1971: 'V-sign' costs rider victory "BBC The infamous gesture won him an entry in the Chambers dictionary which defined 'a Harvey Smith' as 'a V-sign with the palm inwards, signifying derision and contempt'". 2008年4月23日閲覧
^Francisco, Ronald (2010). Collective Action Theory and Empirical Evidence (1 ed.). Springer. pp. 46. ISBN978-1-4419-1475-0. "Subtle gestures, noise, and artwork are additional symbolic signs that dissidents use in coercive countries. Poland's Solidarity's signal was two fingers held up in the form of the letter V. This gesture diffused widely in Eastern Europe and now it is used in Palestine as a symbol of unity and nationalism."