M3軽戦車

M3A1
性能諸元
全長 4.53 m
車体長 上に同じ
全幅 2.24 m
全高 2.64 m
重量 12.9 t
速度 57.9 km/h
行動距離 113 km
主砲 53.5口径 M6 37 mm 戦車砲(103発)
副武装 M1919A4 7.62 mm 機銃×3(7,220発)
装甲 砲塔
防盾51.4mm 前面38.1mm
側・後面25.4mm
上面12.7mm
車体
前面上部38.1mm
前面中間部15.2mm
前面下部44.4mm
側面25.4mm 上面12.7mm
後面25.4mm
底面前部12.7mm
底面後部10.1mm
エンジン コンチネンタル W-670-9A
4ストローク空冷星型7気筒ガソリン
262 馬力/2,400 rpm
乗員 4 名
(M3:車長兼砲手、装填手、操縦手、副操縦手)
(M3A1以降:車長兼装填手、砲手、操縦手、副操縦手)
テンプレートを表示

M3軽戦車英語:Light Tank M3)は、アメリカ合衆国で開発され、第二次世界大戦中に連合国軍が使用した軽戦車

本車をレンドリースされたイギリス軍によって付けられた愛称は、南北戦争時に南軍騎兵隊を率いたJ・E・B・スチュアート将軍から取った「ゼネラル・スチュアート」あるいは「スチュアート」。最初に北アフリカで本車を使用したイギリス軍兵士からは「ハニー」(可愛い奴)とも呼ばれた。

開発の経緯

第二次世界大戦前にアメリカが開発したM2軽戦車は優れた車輌であり、1941年6月にレンドリース法によりM2A4軽戦車36輌がイギリス軍に貸与(うち4輌のみがエジプトに送られただけで、他は本国配備)され、「スチュアート」の愛称が付けられた。これは以前のスペイン内戦でのソ連製・ドイツ製・イタリア製戦車の実戦による教訓から、対戦車砲に抗し得ない薄い装甲が問題とされ、M2A2までは16 mm しかなかった車体前面装甲を、25.4 mm(1インチ)に強化していた。しかしこれでも37 mm 対戦車砲に対しては不十分であり、38.1 mm(1.5インチ)に強化した新型軽戦車を開発することとなった。

前述の通り改良の重点は装甲の強化に置かれ、車体自体も後方に延長された。装甲厚の増加と車体の大型化に伴い重量はM2A4軽戦車の11.6トンから12.7トンに増えたが、誘導輪を大型化して地面と接する様に改められ、接地圧の増大を考慮した。装甲はM2軽戦車と同じくリベット接合であった。この当時はまだ溶接技術が未熟であり、仕方のない選択ではあったが、射撃試験でリベットの頭に被弾すると残りの部分が弾け飛び、車内の乗員を殺傷する恐れがあることが判明した。装甲板に傾斜はつけられず、避弾経始は考慮されていなかったが、(傾斜装甲の車体は車内容積が減るため)逆に居住性はよく、量産性に優れていた。

武装面では、M5 37 mm 戦車砲(基本的に対戦車砲のまま)を搭載したM2A4軽戦車とM3軽戦車前期生産型では駐退復座機が露出していたが、M3軽戦車後期生産型からは車載専用のM6 37 mm 戦車砲(砲身長も53.5口径に戻された)が搭載されたため、駐退復座機は防盾内に収められている。旋回ハンドルは装填手側に付いていて車長兼砲手には使いづらく、供与されたイギリス軍では反対側に移動させている。M2A4軽戦車から追加され、車体左右袖部のスポンソン前面に固定装備された2挺のM1919M4 7.62 mm 機銃は、M3軽戦車にもそのまま残されていたが、役に立たないとして後に撤去され、開口部はパッチで塞がれ、スポンソン内は物置にされた。そのため、M1919M4 7.62㎜ 機銃は、主砲同軸機銃と車体前面右側と砲塔上面の3挺である。

これらの改良を終えた1940年7月の時点で本車は正式に“M3軽戦車”として採用された。ただし、生産を担当するアメリカン・カー&ファウンドリ社がM2A4軽戦車の生産を継続していたため、生産開始は1941年3月であった。

この間にも刻々と状況が変化する戦場からは様々な情報が寄せられ、本車は生産途中にも様々な変更箇所が加えられた。

初期生産型では7角形のリベット接合式砲塔(D37812)を搭載していたが、生産第279号車からは新たに溶接式砲塔(D38976)に変更されている。更に1942年の生産第1946号車以降では、曲げ加工された均質圧延装甲と、鋳造製の砲塔前面を溶接して組み立てた馬蹄形の砲塔(D39273)が採用され、さらに同年半ばからの生産車では主砲にジャイロスタビライザー(砲安定装置)が追加された。M3A1と併行生産されたイギリス軍向けの最後期型では、車体も生産性のアップのため溶接式に改められていた。

エンジンはコンチネンタル社(英語版)製のW-670-9A星型7気筒空冷ガソリンエンジン(出力262 hp)であったが、1941年7月からギバースン社製の T-1020-4 星型9気筒空冷ディーゼルエンジン(出力245 hp)を搭載した型も併行生産され、これはイギリス軍ではガソリンエンジン型の「スチュアートI」に対し「スチュアートII」と呼ばれた。生産途中には航続距離アップのため車体後部に投棄可能な25ガロン燃料タンク(増槽)が2個追加された。

また、M3軽戦車にキャデラック社製の4ストロークV型8気筒液冷ガソリンエンジン 2基を搭載する改良が行われ、M3E2という形式名でテストされた後、M5軽戦車として制式化された。M5軽戦車は、イギリス軍では「スチュアートVI」と呼ばれた。

M3軽戦車は生産が中止される1942年8月までに計5,811輌が生産されている(ガソリンエンジン搭載型が4,526両、ディーゼルエンジン搭載型が1,285両)。

バリエーション

M3軽戦車には以下のようなバリエーションがある。

M3A1
周囲視認用のペリスコープを装備し、車長用キューポラを廃止して左右2つのハッチ(これは小さすぎるとして評判が良くない)にすることで全高が低くなった。このD58101型砲塔は動力旋回式となり、より新型のD58133型砲塔以降は砲塔バスケットを採用することで砲の指向が早くなり、目標追従性が向上、砲手を兼ねていた戦車長は、装填手を兼ねるように役割が変更されている。しかしイギリス軍では、戦闘時に副操縦手兼前方機銃手が砲手となり、戦車長はその後ろ(キューポラ下)に下がり、狭い砲塔に3人も入ったためバスケットはむしろ邪魔であった。このためバスケット無しの新型砲塔を載せ車体も溶接組み立てとなったM3(イギリス軍での通称・スチュアート・ハイブリッド)が、M3A1の生産開始以降もしばらく併行して作られ続けた。なお、戦闘室前面左右に固定装備されていた7.62 mm 機関銃は最初から廃止されていた。
1941年8月に開発が始まり、生産は1942年5月にスタート、生産終了の1943年2月までにガソリンエンジン型4,410輌とディーゼルエンジン型211輌が完成した。イギリス軍での名称はガソリンエンジン型が「スチュアートIII」、ディーゼルエンジン型が「スチュアートIV」。
M3A2
M3A1の車体を溶接構造とした試作車。量産はされなかった。
M3A3
性能諸元
全長 5.01 m
車体長 上に同じ
全幅 2.55 m
全高 2.57 m
重量 14.5 t
速度 49.9 km/h
行動距離 217 km
主砲 53.5口径 M6 37 mm 戦車砲(砲弾174発)
副武装 M1919A4 7.62 mm 機銃×3(銃弾7,500発)
装甲 砲塔
防盾51.4mm 前面38.1mm
側・後面31.8mm
上面12.7mm
車体
前面上部25.4mm
前面下部44.4mm
側面25.4mm 上面12.7mm
後面25.4mm
底面前部12.7mm
底面後部10.1mm
エンジン コンチネンタル W-670-9A
空冷星型7気筒ガソリン
262 馬力/2,400 rpm
乗員 4 名
テンプレートを表示
M3A3
1942年8月に制式化され、同年12月より生産が始められM3軽戦車の最終生産型。同年3月からすでに生産が開始されていたM5軽戦車の影響を受けている。
車体は完全に溶接構造となり、1枚構成となった前面装甲板には約20度の傾斜がつけられ、スマートになった。面積が大きくなった車体前面装甲は側面同様の厚さ25.4mmに減少したが、傾斜が付けられているため以前の垂直に切り立った38.1mm装甲に近い防御力であった。また車体側面装甲はM5では垂直に立っているが、M3A3では傾斜している。
軽量化のためまた、操縦席は前に移動し、車体容積が増加した。これに伴い37 mm 砲弾の携行数は103発から174発に増え、さらに燃料タンクが2個追加され、航続距離が113 km から217 km へ増加した。
また、エンジンにはエア・クリーナが装着された。それ以前のイギリス軍向けM3同様に足周りにはサンドシールドが装着され、砲塔も形状が変更された。
生産終了の1943年10月までに3,427輌が完成したが、M5を採用したアメリカ軍では使用されず、全て外国(イギリス連邦軍、自由フランス軍、中国国民党軍など)へ供与された。イギリス軍での名称は「スチュアートV」。
M5
M3軽戦車にキャデラック社製の4ストロークV型8気筒液冷ガソリンエンジン 2基を搭載し、車体構造を単純化、正面装甲を傾斜した一枚板にするなどした発展型。1942年2月に制式化され、1942年3月から1942年12月まで、2,074両が生産された。イギリス軍での名称は「スチュアートVI」。
M5A1
M5軽戦車にM3A3の新型砲塔を搭載するなどした改良型。1943年1月から1944年6月まで、6,810両が生産された。イギリス軍での名称は、M5と同じで「スチュアートVI」。

派生型

※M5軽戦車の派生型については、M5軽戦車#バリエーションを参照。

M3スチュアート改造 18ポンド自走砲
1942年の北アフリカで、イギリス軍が、アメリカから供与されたM3スチュアートの砲塔を取り除いて、18ポンド砲を防盾ごと据え付けた、即製自走砲。
T18 HMC
M3の車台上に大型の天井付きの鋳造製固定戦闘室を設け、M1A1 75mm榴弾砲を搭載した自走榴弾砲の試作車。
軟鉄製の戦闘室を持つ試作車2輌が製作されたが、背の高い戦闘室とフロントヘビーが原因で、アバディーン性能試験場での試験で満足する結果を出せず、旋回砲塔を持つM8 75mm自走榴弾砲の制式化により、1942年4月に開発中止となった。
T56 GMC
M3A3の車台上に3インチ(76.2mm)高射砲M1918を搭載した戦車駆逐車(対戦車自走砲)。試作のみ。砲の前面に防盾がある。エンジンを車体前方に移動し、車体後方に砲を搭載した。
T57 GMC
M3A3の車台上に3インチ(76.2mm)高射砲M1918を搭載した戦車駆逐車(対戦車自走砲)。
試作のみ。エンジンを車体前方に移動し、車体後方に砲を搭載した。T56のエンジンが重量に対し出力不足のため、M3中戦車と同じコンチネンタル R-975系に換装し、重量軽減のために砲の前面の防盾を撤去した。
T56とT57はどちらもアバディーン性能試験場での試験で満足する結果を出せず、1943年2月に開発中止となった。
M3A3 w/PaK40
ユーゴスラビアのパルチザンが、対独戦に運用した車両で、アメリカから供与されたM3A3 スチュアートに、ドイツから鹵獲したPaK40を搭載した。
ベルナルディーニ X1A
1970年代にブラジルで開発された改造型で、M3A1/A3の車体に新型砲塔を搭載し、主砲としてDEFA F1 90㎜砲を装備したもの[1]
1975年から78年にかけて80両が生産され、少なくとも1990年代後半頃まで運用されていた[1]

配備と運用

大量生産されたM3軽戦車は他の多くのアメリカ製兵器と同じく、同盟国イギリスを始めとしてソ連フランスオーストラリア中国などに供与された。イギリス軍は本車を北アフリカでの戦いに投入し、その信頼性の高さから親しみを込めて「ハニー」という愛称で呼ばれた。

本車が北アフリカに到着した直後にはクルセーダー作戦が発動され、本車も1ヶ連隊(約150輌)が参加した。ここではM3軽戦車は巡航戦車代わりとして活用されたが、火力・装甲ともに不足しており多くの損害を出した。M3軽戦車は信頼性が高く、機動力に優れた軽戦車ではあったが、車体が小さくより大きな砲が搭載できなかったこと、および履帯幅が狭く接地圧が高いこと、航続距離が短いこと等の欠点があった。このため北アフリカでの戦闘任務は、新たに供給されたM4シャーマン中戦車により取って代わられ、M3軽戦車は偵察任務にまわされるようになった。

この後、チュニジアで戦ったアメリカ軍のM3A1もドイツ戦車に挑んで大損害を出し、このクラスの軽戦車がドイツ軍相手に戦車戦や歩兵支援を行うことの限界を露呈してしまった。更に1942年中期以降は、新型のM5軽戦車が配備され始め、次第に押し出される形で1943年にはアメリカ軍の第一線装備から外された。自由フランス軍自由ポーランド軍ビルマ方面のイギリス軍などではM3A3が使われ続けていたが、ヨーロッパのイギリス連邦軍ではM3A3の砲塔を撤去し、弾薬運搬車や砲牽引車に改造されたものも多い。またイタリア戦線のイギリス軍ではやはりM3A3の砲塔を撤去、武装を機銃のみとして軽量化し機動力を増加させた、スチュアート・レッキ偵察車に改造されている。

一方の太平洋戦争では開戦時にフィリピンに第192戦車大隊(M3軽戦車54輌)、第194戦車大隊(同53輌)が配備されていた。この中において1941年12月22日に日本軍がルソン島に上陸した際、これを迎撃に出たM3軽戦車15輌は戦車第4連隊第2中隊第1小隊所属の九五式軽戦車と戦闘を行っている。M3の正面装甲は九五式軽戦車の37 mm 砲を全て跳ね返したが、被弾炎上、履帯切断、敵小隊長車による体当たり等により5輌が行動不能となり撃退された。なおこれが日米初の戦車戦であるとされる。[2] その後空襲などにより損害が増えつつあった両戦車大隊はバターンに後退して再び戦車部隊として再編成、1942年4月8日まで歩兵部隊と共にバターン半島の死守し、第一次バターン半島攻略戦では日本軍の攻略を食い止めた。続いて第二次バターン半島攻略戦において、戦車第7連隊 臨時松岡中隊所属の一式四十七粍戦車砲を搭載した九七式中戦車改と交戦しており、松岡中隊側の戦闘詳報によれば航空支援との共同で3輌のM3軽戦車を撃破、臨時松岡中隊側には損害無しと表記されてある。結果としてはフィリピン方面では制空権、制海権を奪われ、第二線、第三線の防衛ラインが突破されたこともあり両大隊は残存車輛を全て破壊した上で降伏した。[3]

また、1942年2月にビルマ(当時)のラングーンをめぐる戦いではイギリス第7機甲旅団隷下王立第2戦車連隊所属のM3軽戦車(総数約115輌、又は150輌)が歩兵の火力支援などで活躍した。その中で華々しい活躍はラングーンの北東80 km に位置するペグー付近では十数輌のM3が戦車第2連隊軽戦車中隊所属の九五式軽戦車4輌を1,500 mの距離から撃破している。一方、同じくビルマの戦いの1942年4月27~28日の戦闘では戦車第1連隊の九七式中戦車と交戦するが、榴弾による遠距離からの集中攻撃を受けて5輌のM3軽戦車が撃破されている。なお日本軍側の損害は九七式中戦車1輌が被弾貫通により走行装置が破損、乗員死傷無しと戦闘詳報に記載されている[4][5]

ただし第7機甲旅団の活躍をもってしても日本軍の進撃を食い止めることはできず、1942年5月には第7機甲旅団は戦車を破壊し、チドウィン川を越えてラングーンから脱出し同市は日本軍の手に落ちている。

M3はその後もガダルカナル島の戦いニューギニアの戦いなどで活躍したが、ここでも新型のM5軽戦車やより強力なM4シャーマン中戦車が配備されるようになると次第に前線から引き上げられ、予備兵器となった。なお予備となったM3の有効活用策として火炎放射器を搭載した火炎放射戦車「サタン」が作られ、マリアナ諸島をめぐる戦いで実戦に投入された。

1942年1月から翌年3月までの間、M3およびM3A1スチュアルト(スチュアートのロシア語読み)がソ連に対するレンドリース用として供与された。これらは米英戦車が多用された北カフカス方面での戦闘で活躍している。しかしディーゼルエンジン型ではなく、他のソ連戦車より使用する燃料のオクタン価の高いガソリンエンジン型が供与され、運用に問題があったという。

1944年11月、イギリス軍の支援によりダルマチア海岸にM3A1(1輌)、M3A3(56輌)からなるユーゴスラビア第1戦車旅団が上陸し、チトーのパルチザン部隊を支援した。これらの一部は砲塔を撤去し、ドイツ軍から鹵獲した7.5 cm PaK 402cm Flakvierling38を搭載した対戦車自走砲や対空自走砲に改造された。

2015年末の時点ではパラグアイ陸軍が少数をM4中戦車とともに訓練用戦車として使用している[6]

日本軍での鹵獲運用

日本軍に鹵獲されたM3軽戦車-1942年1月、フィリピンにて

太平洋戦線で鹵獲されたM3軽戦車は日本軍戦車より機動力・防御力に優れ、37mm戦車砲M5の攻撃力も九七式中戦車改一式47mm戦車砲と比較して、極端な差がなかったために第一線で使用され続けた。なお、当時の日本軍は戦車開発において列強から取り残されつつあり、「日本が実戦に投入した最強の戦車は鹵獲したM3軽戦車」などというジョークが存在する[7]

1942年(昭和17年)4月のコレヒドール島要塞攻略作戦にあたり、前述の臨時松岡中隊所属の九七式中戦車改2輌、九五式軽戦車4輌に混じって1輌のM3軽戦車も参加している。このうち、実際にコレヒドール島に辿り着けたのは九七式中戦車改2輌とM3軽戦車のみだった。しかし予期せぬ戦車の投入によりアメリカ軍守備部隊は恐慌をきたし、結果的に難攻不落とされたコレヒドール要塞も同日中に陥落することとなった。なお上陸地点から台上に進出する際、海岸前面は45度以上の傾斜で九七式中戦車では容易に登坂ができず、砲爆撃や工兵隊が障害物を爆破したもののやはり登坂に失敗した。しかし、M3軽戦車で登坂を試みたところ成功したため九七式中戦車を牽引した、というM3スチュアートの優秀な機動力を象徴するエピソードが残されている。

また、インパール作戦に参加した戦車第14連隊では第1,2,3中隊がM3軽戦車を装備する軽戦車小隊を保有していたほか、作戦発動前には戦力強化のためにM3を装備する第4中隊が新たに編入された。作戦初期の1944年(昭和19年)3月には日本軍のM3軽戦車が英印軍M3中戦車と戦闘を交え、これを撃破している。しかし無謀な作戦計画による補給の不足や、強力な中戦車を前面に立てて戦闘を行う英印軍の前に、戦車14連隊は装備を失って壊滅し、タイへ撤退している。 この他、戦車第7連隊及び戦車第4連隊が鹵獲したM3軽戦車を装備している。

登場作品

ゲーム

R.U.S.E.
アメリカ軽戦車として登場。
World of Tanks
アメリカ軽戦車M3 Stuartとして開発可能。イギリス軽戦車Stuart I-IVとして開発可能。ソ連軽戦車M3 Lightとして配布(M3 Stuart Lend Leaseから改名)。
コール オブ デューティ2 ビッグ レッド ワン
トータル・タンク・シミュレーター
M3A1がアメリカの初期戦車、軽戦車「STUART」として登場。
ブラザー イン アームズ ロード トゥ ヒル サーティー
M3A1 スチュアート戦車としてChapter 8の「ヴィエルヴィルでの交戦」とChapter 9の「死の曲がり角」において登場する。
虫けら戦車

脚注

  1. ^ a b http://www.tanks-encyclopedia.com/coldwar/Brazil/Bernardini-X1A.php
  2. ^ Hunnicutt, R. P. Stuart, A History of the American Light Tank; Volume 1. 1992; Presidio Press. ISBN 0-89141-462-2.
  3. ^ Hunnicutt (Stuart) p. 396
  4. ^ 「激闘戦車戦」 p.212~215
  5. ^ 「戦車隊よもやま物語」 p.244
  6. ^ Paraguay keeping M3 Stuart, M4 Sherman tanks in service by Erwan de Cherisey, Paris - IHS Jane's Defence Weekly, 29 December 2015
  7. ^ UTP実行委員会著『帝国陸軍陸戦兵器ガイド 1972-1945』 新紀元社[要ページ番号]

関連項目

  • 戦車一覧
  • M2軽戦車 - M3軽戦車の前身に当たる車両。
  • M4中戦車 - 同時期に運用されたアメリカ軍の主力戦車。シャーマン戦車とも呼ばれる。
  • M5軽戦車 - M3軽戦車の発展型。

Read other articles:

PostFinance Arena Informazioni generaliStato Svizzera UbicazioneBerna Inizio lavori22 ottobre 1967 Inaugurazione1967 ProprietarioSwiss Prime Site AG Informazioni tecnichePosti a sedere17'131 Strutturapista coperta Mat. del terrenoghiaccio Uso e beneficiariHockey su ghiaccio Berna Mappa di localizzazione Modifica dati su Wikidata · ManualeCoordinate: 46°57′31.02″N 7°28′07″E / 46.958618°N 7.468611°E46.958618; 7.468611 La PostFinance Arena di Berna (co...

 

Opera by Antonio Vivaldi Ottone in villaOpera by Antonio VivaldiTitle page of the libretto, 1713, dedication to Henry Herbert, 9th Earl of PembrokeLibrettistDomenico LalliLanguageItalianPremiere17 May 1713 (1713-05-17)Teatro delle Grazie, Vicenza Ottone in villa (Otho at his villa, RV 729) is an opera in three acts by Antonio Vivaldi to an Italian libretto by Domenico Lalli (the pseudonym of Sebastiano Biancardi). It was Vivaldi's first opera and premiered on 17 May 1713 at the...

 

Clément & Cie Rechtsform Compagnie Gründung 1878 Auflösung 1903 Sitz Levallois-Perret, Frankreich Leitung Adolphe Clément Branche Automobilindustrie Clément-De Dion von 1898 Clément-Panhard von 1899 Clément-Panhard von 1900 Clément-Panhard von 1900 Clément & Cie war ein französischer Automobilhersteller.[1][2] Inhaltsverzeichnis 1 Unternehmensgeschichte 2 Fahrzeuge 3 Literatur 4 Weblinks 5 Einzelnachweise Unternehmensgeschichte Adolphe Clément gründete 1878...

هذه المقالة يتيمة إذ تصل إليها مقالات أخرى قليلة جدًا. فضلًا، ساعد بإضافة وصلة إليها في مقالات متعلقة بها. (فبراير 2015) نظرية الضغوط العامة هي نظرية في علم الجريمة طورت على يد روبرت أجنيو (بالإنجليزية: Robert Agnew)‏.[1][2][3] ظهرت هذه النظرية في منتصف الثمانينات، وتعود جذو

 

アベンジャーズ Marvel's The Avengers 監督 ジョス・ウェドン脚本 ジョス・ウェドン原案 ジョス・ウェドンザック・ペン原作 スタン・リージャック・カービー『アベンジャーズ』製作 ケヴィン・ファイギ製作総指揮 ヴィクトリア・アロンソアヴィ・アラッドルイス・デスポジートジョン・ファヴローアラン・ファインジェレミー・ラッチャムスタン・リーパトリシア・ウィ...

 

Smart Forfour Visão geral Produção 2004–2006 (Primeira geração)2014–atualmente (Segunda geração) Fabricante Smart Modelo Classe Compacto Carroceria Hatch 4 portas Designer Hartmut Sinkwitz Ficha técnica Motor 1.1 L I3 12 válvulas (gasolina) [1] 1.3 L I4 16 válvulas (gasolina) 1.5 L I4 16 válvulas (gasolina) 1.5 L I3 Cdi (gasóleo) Transmissão 5 velocidades manual de 6 velocidades semi-automático (Softouch) Layout Motor dianteiro, tração dianteira Modelos relacionados Mitsub...

1996 single by Yvette MicheleEveryday & EverynightSingle by Yvette Michelefrom the album My Dream ReleasedJanuary 16, 1996Recorded1995GenreR&BLabelLoud RecordsSongwriter(s)Michele Yvette, Aston TaylorYvette Michele singles chronology Everyday & Everynight (1996) I'm Not Feeling You (1997) Music videoEveryday & Everynight on YouTube Everyday & Everynight is the title of a top five dance single by Yvette Michele. According to Billboard, the single is considered a club classi...

 

Browning kan verwijzen naar: Browning Arms Company, een Amerikaanse wapenfabrikant diverse plaatsen in de VS: Browning (Illinois) Browning (Missouri) Browning (Montana) Browning, een historisch merk van racefietsen gemaakt door het Belgische Norta Bekijk alle artikelen waarvan de titel begint met Browning of met Browning in de titel. Dit is een doorverwijspagina, bedoeld om de verschillen in betekenis of gebruik van Browning inzichtelijk te maken. Op deze pagina staat...

 

كارل الثاني، أرشيدوق النمسا   معلومات شخصية الميلاد 3 يونيو 1540[1]  فيينا[2]  الوفاة 10 يوليو 1590 (50 سنة) [1]  غراتس[2]  مواطنة النمسا  الزوجة ماريا آنا من بافاريا (1571–)  الأولاد فرديناند الثاني، إمبراطور روماني مقدسآن من النمسا، ملكة بولنداالأرشيدو

Lana Clelland Informasi pribadiTanggal lahir 26 Januari 1993 (umur 30)Tempat lahir Perth, SkotlandiaTinggi 173 cmPosisi bermain Gelandang/PenyerangInformasi klubKlub saat ini UPC TavagnaccoNomor 9Karier junior2005-2008 Rangers Girls FCKarier senior*Tahun Tim Tampil (Gol)2008–2011 Rangers Ladies FC 36 (21)2011–2014 Spartans W.F.C 47 (31)2014–2015 Pink Sport Time 16 (10)2015– UPC Tavagnacco 15 (11)Tim nasional‡2010–2012 Skotlandia U19 16 (13)2012– Skotlandia A 11 (1) * Penamp...

 

هذه المقالة لا تحتوي إلّا على استشهادات عامة فقط. فضلًا، ساهم بتحسينها بعزو الاستشهادات إلى المصادر في متن المقالة. (أكتوبر 2015)   ميّز عن سلعوة. السِعْلاة[1] أو السِعْلاء[1] والجمع: سَعَالى[1] (بالعامية: سِعْلُوَّة) هي شخصية شيطانية أنثوية، السعلوة شكلها غريب ...

 

Period of Japanese history, 1333–1336 Kenmu Restoration建武の新政 Kenmu no shinsei1333–1336 Flag Imperial Seal CapitalHeian-kyōCommon languagesLate Middle JapaneseReligion Shinbutsu-shūgōGovernmentAbsolute monarchyEmperor • 1318–1339 Go-Daigo Shōgun • 1333 Moriyoshi• 1335–1336 Narinaga History • Genkō War begins 1333• Siege of Kamakura May 18, 1333• Ashikaga Takauji captures Kyoto February 23 1336 CurrencyRyō Pre...

19th-century American explorer John Williams GunnisonBorn(1812-11-11)November 11, 1812Goshen, New Hampshire, U.S.DiedOctober 26, 1853(1853-10-26) (aged 40)Millard County, Utah TerritoryCause of deathMurder by Pahvant UtesResting place39°16′51″N 112°46′41″W / 39.280789°N 112.778008°W / 39.280789; -112.778008[1]CitizenshipUnited StatesAlma materUnited States Military Academy at West Point, New YorkOccupationCaptain in the Corps of Topog...

 

English blues rock band The Jeff Beck GroupThe band in circa 1969: (left to right) Rod Stewart, Ronnie Wood, Micky Waller and Jeff Beck.Background informationOriginLondon, EnglandGenres Blues rock hard rock jazz fusion Years active1967–19691970–1972Labels Epic CBS Spinoffs Beck, Bogert & Appice Faces Past members Jeff Beck Rod Stewart Ronnie Wood Jet Harris Dave Ambrose Clem Cattini Viv Prince Aynsley Dunbar Micky Waller Roy Cook Nicky Hopkins Tony Newman Alex Ligertwood Max Middleton...

 

See also: Party of Labor (Ukraine) Political party in Ukraine Slavic Party Слов'янська партіяRussian nameСлавянская партияLeaderOleksandr LuzanFoundedJune 10, 1993 (30 years ago) (1993-06-10)HeadquartersDonetsk, UkraineIdeologyPan-SlavismRussian nationalismNational affiliationLeft OppositionWebsiteWebsitePolitics of UkrainePolitical partiesElections Slavic Party (Ukrainian: Слов'янська партія, Slovianska Partiya) is a political...

Delis Julkarson HehiBupati Morowali Utara ke-3PetahanaMulai menjabat 30 April 2021PresidenJoko WidodoGubernurLongki DjanggolaRusdy MasturaWakil PresidenMa'ruf AminWakilDjira K.PendahuluAsrar Abdul Samad Informasi pribadiLahir25 Juli 1976 (umur 47)Beteleme, Sulawesi TengahKebangsaanIndonesiaPartai politik  HanuraSuami/istriFebriyanthi HongkiriwangAnak3 anakAlma materUniversitas HasanuddinSunting kotak info • L • B Dr. dr. Delis Julkarson Hehi, M.A.R.S. (lah...

 

Artikel ini sebatang kara, artinya tidak ada artikel lain yang memiliki pranala balik ke halaman ini.Bantulah menambah pranala ke artikel ini dari artikel yang berhubungan atau coba peralatan pencari pranala.Tag ini diberikan pada Maret 2023. InuyashikiPoster rilis teatrikalSutradara Shinsuke Sato Produser Hirotsugu Usui Ditulis oleh Hiroshi Hashimoto BerdasarkanInuyashikioleh Hiroya OkuPemeranNoritake KinashiTakeru SatohKanata HongōFumi NikaidōAyaka MiyoshiKatsuhisa NamaseMari HamadaPenata...

 

Town in New Hampshire, United StatesWalpole, New HampshireTownTown Hall in 2019Location in Cheshire County, New HampshireCoordinates: 43°04′46″N 72°25′33″W / 43.07944°N 72.42583°W / 43.07944; -72.42583CountryUnited StatesStateNew HampshireCountyCheshireIncorporated1756Named forRobert WalpoleVillagesWalpoleNorth WalpoleDrewsvilleGovernment • SelectboardPeggy Pschirrer, ChairSteve DalessioCheryl MayberryArea[1] • Total36.7...

Le relazioni omosessuali sono illegali[1] nelle Maldive sotto la legge della Sharia, ma non secondo il diritto nazionale. Inoltre, le isole sono state uno dei 57 inizialmente (ora 54) paesi firmatari ad una dichiarazione si oppone alla dichiarazione delle Nazioni Unite sull'orientamento sessuale e l'identità di genere che è stato introdotto originariamente per l'Assemblea Generale nel 2008 e rimane aperto alla firma. Il paese si oppose inoltre ad un punto di riferimento per i diritt...

 

This article needs additional citations for verification. Please help improve this article by adding citations to reliable sources. Unsourced material may be challenged and removed.Find sources: Transport Tycoon – news · newspapers · books · scholar · JSTOR (October 2008) (Learn how and when to remove this template message) Business simulation video game/tycoon 1994 video gameTransport TycoonDOS cover artPublisher(s)MicroProseProducer(s)Steve RamsdenDe...

 

Strategi Solo vs Squad di Free Fire: Cara Menang Mudah!