BBNテクノロジーズ(英: BBN Technologies)は、受託の研究開発を専門とするハイテク企業である。かつては Bolt Beranek and Newman() と称し、BBN社と呼ばれることも多い。所在地はアメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジ。(ARPANETおよびインターネットを含む)パケット通信の開発で最もよく知られているが、民間軍事会社でもあり、国防高等研究計画局と関わりが深い。
歴史
1948年、マサチューセッツ工科大学(MIT)の教授だったレオ・ベラネックとリチャード・ボルト(英語版)、ボルトの以前の教え子ロバート・ニューマンの3人によって設立された。当初、ボルト・ベラネク・アンド・ニューマン社は音響コンサルティング会社としてスタートした。最初の契約は国際連合ニューヨーク本部のアセンブリー・ホールの音響設計のコンサルティングである。その後、MITの クレスジ・オーディトリウム(英語版)(1954年)、タングルウッドのクーセヴィツキー音楽小屋 (1959年)、リンカーン・センターのエイヴリー・フィッシャー・ホール (1962)、フィリピンのフィリピン文化センター(英語版) (1969年)、ボルチモアのジョゼフ・マイヤーホフ・シンフォニー・ホール(英語版)(1978年)なども手掛けた。ウォーターゲート事件で問題となった18分間の消去期間のあるリチャード・ニクソンのテープの解析や、ジョン・F・ケネディ暗殺の証拠とされる口述録音機用録音テープの証拠の解析も行った。
音響に関する仕事にはかなりの計算を要し、そのことが後の情報処理関連のビジネスへと結びついていった。BBNは道路や航空機の騒音についてのコンピュータモデルを開発し、高速道路用防音壁を設計した。騒音問題に関する裁判にBBNの科学者が専門家の証人として出廷することもあった。BBNは1950年代後期から1960年代初期にかけてコンピュータをいくつか購入した(ディジタル・イクイップメント・コーポレーションの最初のPDP-1など)。BBNは音響関係の仕事をし続けていたが、現在ではインターネット黎明期の業績(ARPANET、MILNET(英語版)、CSNET、NEARnet(英語版)など)で有名である。
1989年、音響コンサルティング部門を分社化してアセンテック社[1](本社はケンブリッジ)を創設した[2]。
1998年、BBNのインターネットサービスプロバイダ部門「BBNプラネット」がジェネラル・テレフォン・アンド・エレクトロニクス(英語版)社(GTE)に買収された。BBNプラネットはGTEの全国規模の光ファイバーネットワークに統合され GTEインターネットワーキング社[3]となった。2000年、GTEとベル・アトランティックが合併してベライゾンとなったとき、元 BBN Planet だった部分を含む資産はジェヌイティ社[4]として分社化された。2004年3月、ベライゾンはBBNを個人投資家グループに売却。2009年9月、レイセオンはBBNを取得する協定を結んだ[5]。この買収は2009年10月29日に完了し[6]、買収金額は約3億5千万米ドルと見られている[7]。
BBNにはコンピュータ関連の有名人が何人か働いていた。例えば、ウィル・クラウザー(英語版)[8]、ジョン・カラン(英語版)[9]、エドワード・フレドキン[10]、ロバート・カーン[11]、J・C・R・リックライダー、ジョン・マッカーシー、マービン・ミンスキー、セヴェロ・オーンステイン(英語版)[12]、シーモア・パパート、オリバー・セルフリッジ[13]、レイ・トムリンソン[14]といった人々がいた。
コンピュータ技術
BBNのコンピュータネットワーク分野での業績には、以下のようなARPANETの実装と運用に関する開発がある。
その他のBBNのコンピュータ関連の業績としては、以下のようなものがある。
BBNはネットワーク識別のための最初の自律システム番号 (AS1) を受け取ったネットワーク組織だった[17]。現在 AS1 を運用しているのは、ジェヌイティ社を買収したレベル・スリー・コミュニケーションズ(英語版)社である。
BBNは現在も様々な研究開発プロジェクトを行っており、インターネットのセキュリティに関する標準化(IPsec)、JTRS通信システムのネットワーク技術、モバイルアドホックネットワーク、音声認識、狙撃探知システム、量子暗号などに関わっている。
脚注
外部リンク