1975年の中日ドラゴンズ(1975ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1975年の中日ドラゴンズの動向をまとめる。
この年の中日ドラゴンズは、与那嶺要監督の4年目のシーズンである。
概要
1965年以来長く続いた巨人の連覇を9でようやく止めたチームだが、その後の日本シリーズはエース星野仙一の救援失敗、不動の1番打者高木守道の負傷欠場など誤算続きで2勝4敗で敗退。それでも1954年以来20年ぶりのリーグ優勝を果たしたことから、開幕前は優勝候補の本命でこの年リリースされた『燃えよドラゴンズ!』にはV2の文字が躍ったことから、与那嶺監督は「今年こそ選手の活躍で日本一になるよ」と宣言。チームは開幕から巨人が躓いたこともあって終始上位を争い、前半戦は広島・阪神・ヤクルトが1.5ゲーム以内にひしめく大混戦となった。後半戦に入るとヤクルトが失速し、広島・阪神とのマッチレースとなり最後まで首位を争うが広島に10勝13敗3分、ヤクルトに11勝13敗2分と苦戦したのが響いて2位に終わり、与那嶺監督の悲願である連覇&日本一奪回はならなかった。投手陣はエース星野や松本幸行や稲葉光雄などが活躍し、この年から星野に代わって抑えに回った鈴木孝政が守護神として抜群の成績を残し、チーム防御率3.18は広島に次いでリーグ2位。打撃陣でも高木や4番のジーン・マーチン、この年入団のローン・ウッズが優勝争いの原動力となり、井上弘昭はかつての同僚である山本浩二と首位打者を争ったが、僅差に泣きタイトル獲得はならず。チーム本塁打はリーグ2位の133本で、チーム打率はリーグ1位の.271と強竜打線は健在だった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1975年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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最終成績
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1位
|
大洋 |
--
|
ヤクルト |
--
|
広島 |
--
|
中日 |
--
|
広島 |
--
|
広島 |
--
|
2位
|
阪神 |
0.5
|
広島 |
0.5
|
ヤクルト |
0.5
|
阪神 |
0.5
|
中日 |
1.5
|
中日 |
4.5
|
3位
|
ヤクルト |
2.5
|
阪神 |
1.0
|
阪神 |
1.0
|
広島 |
0.5
|
阪神
|
阪神 |
6.0
|
4位
|
広島 |
3.0
|
中日 |
1.5
|
中日 |
1.5
|
ヤクルト |
1.5
|
ヤクルト |
5.0
|
ヤクルト |
16.0
|
5位
|
中日 |
3.5
|
大洋 |
2.5
|
大洋 |
5.5
|
大洋 |
7.0
|
大洋 |
8.0
|
大洋 |
21.5
|
6位
|
巨人 |
5.5
|
巨人 |
6.5
|
巨人 |
9.5
|
巨人 |
11.5
|
巨人 |
14.0
|
巨人 |
27.0
|
[1]
オールスターゲーム1975
できごと
選手・スタッフ
[2]
表彰選手
ドラフト
脚注
注釈
出典
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |