1962年イタリアグランプリ (1962 Italian Grand Prix) は、1962年のF1世界選手権第7戦として、1962年9月16日にモンツァ・サーキットで開催された。
レースは86周で行われ、BRMのグラハム・ヒルが予選2位から優勝した。チームメイトのリッチー・ギンサーが2位に続き、BRMは初のワン・ツー・フィニッシュを飾った。クーパーのブルース・マクラーレンが3位となった。
レース概要
前年の大惨事によりバンク部分の使用を取りやめ、ロードコースのみのレイアウトでレースは行われた[1]。
ジム・クラークはポールポジションからスタートしたが、チーム・ロータスは既にギアボックスを使い切ってスペアパーツが枯渇してしまい、大きな不安材料となってしまった。その不安は当たり、クラークはトランスミッションのトラブルを抱え、12周目にリタイアした[2]。チームメイトのトレバー・テイラーも同様のトラブルで25周でレースを終えた。グラハム・ヒルはチームメイトのリッチー・ギンサーに30秒近い差を付けて優勝した。ギンサーはジョン・サーティースと2位争いを繰り広げたが、38周目にサーティースはスローダウンし、5周後にエンジントラブルでリタイアした[2]。その後方ではダン・ガーニーのポルシェと、ブルース・マクラーレンとトニー・マグスのクーパー2台によるバトルが繰り広げられ、40周目にはストレートで3台が並んだ。マグスは170L(45ガロン)の大型燃料タンクを装着していたマクラーレンとは異なり、燃料の補給が必要だったためピットインし、1周遅れの7位に終わった。一方、新しい通常のノーズ仕様のフェラーリ・156を駆るウィリー・メレスが3位争いに加わり、ヨアキム・ボニエとジャンカルロ・バゲッティが続いた[3]。
ガーニーは66周目にリアディファレンシャルが壊れてリタイアし、地元ファンの声援を受けたバゲッティも一時はガーニーを抜いて3位を走ったが、スピンで順位を落としてしまう[3]。しかし、ボニエのクラッチが滑り始めバゲッティは5位に順位を戻す。メレスは80周目に3位に浮上し、マクラーレンに3秒差を付ける。 スピーカーのタワーから見ていたスターリング・モスは、マクラーレンが3位に入ると賭けた。最終ラップの最初のカーブでマクラーレンはメレスを抜き、わずか0.4秒差で3位表彰台を獲得した[3]。ボニエはクラッチトラブルで、5位のバゲッティを最後まで抜けなかった。メレスとバゲッティはこれがF1最後の入賞となった。フィル・ヒルはレース中盤で周回遅れにされ、エンジントラブルで長いピットストップを強いられ11位に終わった。リカルド・ロドリゲス[4]は油圧を失い、好走していたイネス・アイルランドもステアリングの不調でリタイアした。マステン・グレゴリーのマシンはオーバーヒートしてしまい、最終ラップは4速のみで走った。ロイ・サルヴァドーリのローラは練習走行中に消火器が爆発するアクシデントがあった[3]。
エントリーリスト
- 追記
結果
予選
- 追記
決勝
- ラップリーダー[8]
第7戦終了時点のランキング
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- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
参照文献
外部リンク