1956年イタリアグランプリ (1956 Italian Grand Prix) は、1956年のF1世界選手権第8戦(最終戦)として、1956年9月2日にモンツァ・サーキットで開催された。
当レースには「ヨーロッパグランプリ」の冠がかけられた[1]。
レース概要
最終戦の当レースを迎えた時点で、チャンピオン争いはフェラーリのファン・マヌエル・ファンジオ(30点)とピーター・コリンズ(22点)の2人に絞られた。コリンズがチャンピオンになるには優勝してかつファンジオが無得点の場合のみで、ファンジオが圧倒的に有利であった。なお、コリンズと同じ22点のジャン・ベーラ(マセラティ)は有効ポイント制(1956年はベスト5戦)によりチャンピオンの可能性はない[2]。
前年に引き続きロードコースとオーバルコースの複合コースで行われ、荒れた路面がシャシーやタイヤに大きな負担をかけることになった[3]。
予選はファンジオ、エウジェニオ・カステロッティ、ルイジ・ムッソのフェラーリ3台がフロントローを独占した[4]。
決勝はカステロッティとムッソが好スタートを切ったが、10周もしないうちにムッソはタイヤがボロボロになってしまいピットインを強いられ後退、カステロッティはタイヤがバーストしてしまい、オーバルの出口で派手なスピンを喫してリタイアとなった。その後はスターリング・モス、ファンジオ、ハリー・シェル、コリンズが順位を入れ替えながらトップ争いを繰り広げるが、ファンジオがステアリングの故障でピットインを強いられ脱落し、シェルもマシントラブルでリタイアとなった。モスはコリンズを引き離して独走態勢となる。ムッソがタイヤ交換と給油のため2度目のピットインを行う際にチームはファンジオとの交代を促すが、ムッソはこれを拒否してコースへ復帰した。その後コリンズもピットインするが、ピット内でうなだれているファンジオの姿を発見するとマシンを降りてファンジオに交代を申し出た。コリンズは逆転でチャンピオンを獲得するチャンスを捨ててエースを立てた。ファンジオは笑顔に戻り3位でコースへ復帰した。
トップを独走していたモスは45周目にガス欠に陥りスローダウンしてしまうが、後方から同じマセラティに乗るルイジ・ピオッティ(プライベート参戦)の機転によりマシンを押してもらい、ピットまで戻ることができた。モスの給油が終わるとムッソが首位に躍り出るが、残り3周でステアリングが壊れてコントロールを失い、スピンオフを喫してリタイアしてしまい、母国レースでの優勝の夢は潰えた。これでモスが再び首位に浮上してそのままチェッカーフラッグを受けた。コリンズからマシンを譲られたファンジオが5.7秒差の2位でフィニッシュし、3年連続4回目のチャンピオンが決定した。コリンズはなぜ自らチャンピオン獲得の可能性を捨てたのかと問われると、「僕はまだ(24歳と)若いし、これからもまだまだチャンスがある。ファンジオこそが今年の王者を奪うにふさわしい」と素直にファンジオのチャンピオン獲得を讃えた[5]。コンノートのロン・フロックハートが3位に入賞し、ドライバー及びチームにとって初の表彰台を獲得した。
ゴルディーニはF1初年度の1950年以来F1に参戦し続けていたが、資金難により本年をもってF1から撤退した[6]。
エントリーリスト
- 追記
- ^1 - スコット=ブラウンは国際ライセンスが得られず除外された
- ^2 - 交代要員としてエントリー
- ^3 - エントリーしたが出場せず[8]
結果
予選
決勝
- 追記
注記
ランキング
- ドライバーズ・チャンピオンシップ
- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
参照文献
外部リンク