高橋 克実(たかはし かつみ、1961年4月1日 - )は、日本の俳優、タレント、声優、司会者。新潟県三条市出身[1]。シス・カンパニー所属。愛称は「カッツミー」。
略歴
人物
趣味・嗜好
- 子供の頃からの大の映画好き[2]。趣味はサーフィン。
- 松田優作の大ファン。出演映画を何度も観て服装をまねたり、ポスターでの姿を真似た写真を撮ったりするなどの熱狂的なファンで、それが高じて役者になったことをことあるごとに語っている[2]。後に、優作の息子である松田翔太とドラマ『ドン★キホーテ』で共演した。
- また、松田と同じくドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ)の人気刑事役である萩原健一のファンでもあり、中学時代は友達の前でよく松田や萩原のモノマネをしていた[3]。
- ミーハーな性格で、本人は「憧れの役者さんたちと映画やドラマで共演したり、プライベートで偶然会えることが今の僕の原動力になっている」としている[注 1]。
交友関係
学生時代
- 子供の頃は、JR東三条駅近くの商店街で金物屋を営む父、専業主婦の母、3歳下の妹と暮らしていた[3]。両親が映画好きで、特に陽気な性格で落語などの芸事好きだった父には時々映画に連れて行ってもらった[注 2]。ちなみに幼稚園の頃、地元の信用金庫のCMに家族で出演したことがある[3]。子供の頃からテレビっ子で目立ちたがり屋な性格で、特にドラマ『太陽にほえろ!』が大好きだった[3]。小学4年生の頃から東京に強い憧れを持ち始める[注 3]。
- 中学生の頃は野球部に所属していたが、レギュラーにはなれなかった。3年生の頃に低身長(当時142cm)であることにコンプレックスを抱いていた[3]。後日人づてに“バスケをやれば背が伸びるらしい”という話を聞いたことから、高校進学後に籠球(ろうきゅう)部に入部[3]。その後実際に身長が伸びたことでコンプレックスから開放された。高校では女子にモテたい一心から、バスケと並行してフォークソング同好会にも所属した[注 4]。
上京後の生活、俳優の道へ
- その後進路を考える時期に“上京すること”を第一に考えて、父親に「東京の大学に進学したいから予備校に行かせてほしい」と頼み込んだ[3]。何とか許可をもらい、上京後は東松原駅(京王井の頭線)の予備校の寮で暮らし始めた[3]。しかし、ほどなくして東京各地を散策したり、映画館通いに夢中になる余り予備校に通わなくなる[3]。
- 欠席が続いたため寮を出ざるを得なくなり、これを知った父親に怒られて勘当同然となり仕送りも止められた[3]。風呂なしの安いアパートに転居し[3]、原宿セントラルアパートの1階にあった飲食店でのアルバイトなどをして生活費を稼いだ[3]。同時期に映画に憧れて出てみたいとの思いから俳優を目指し始めた[注 5]。その後妹が東京での就職が決まり(時期は不明)、父親から「娘が心配だから一緒に暮らしてやれ」と言われて勘当が解かれ、風呂ありのアパートに引っ越して妹と同居生活を送った[3]。
- 20代前半で様々なエキストラのオーディションに落ち続けると、同じように落選が続く若者たちと顔見知りとなった[2]。彼らと今後について話し合った[注 6]結果、後日新宿の小劇場「タイニイアリス」で初舞台(作品名は不明)を踏む。その時の仲間のつてで、26歳の頃に劇団離風霊船に入団することとなった[3]。
- しかしその後も中々芽が出ず、翌年「次の作品を最後に新潟の実家に帰ろう」と役者を諦めかけた[2]。そして最後のつもりで、劇団主宰・大橋泰彦の作・演出作品『ゴジラ』にモスラ役で出演[2]。すると同作品で大橋が、新人劇作家の登竜門と言われる岸田國士戯曲賞を受賞[注 7]。これに加え1980年代に起こった小劇場ブームも相まって高橋も色々な公演に呼ばれるようになり、役者を続けることを決めた[2]。
婚姻について
- 1995年に結婚したが、2006年に離婚している[9]。
- 2011年2月16日、かねて交際が報道されていた14歳下(当時35歳)の一般人女性と同年1月に再婚したことを事務所を通じ、FAXで報告した[10]。
- 2012年4月9日、妻が妊娠4か月目に入り、同年10月に出産予定であることを所属事務所を通じて発表、51歳にして初めて子を持つことを明らかにした[11]。
- 2012年9月26日、前日午後1時47分に長男が誕生したことを事務所の公式サイトで発表し、その際に「髪の毛も生えています」とのコメントを添えた[12]。
- 2015年6月19日に放送された、自ら司会を務める情報番組『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ)内で、5月に第2子となる女児が誕生していたことを明らかにした[13]。
エピソード
- 下積み生活が長く『ショムニ』に出演する38歳までアルバイトで生計を立てていたという苦労人[1]。アルバイトを辞めた後実際に役者業だけて(食費などを切り詰めずに)生活できるようになったのは、40歳を過ぎてから[3]。
- 神奈川県相模原市のアパートに住んでいた頃はビニール本配達の仕事を月収3万でしていた。他にラブホテルの車庫入れ係、ディスコの黒服、レンタルビデオ店の店長など、数々のアルバイトを経験しているが、中でも最も長く続けたのは、野立て看板を立てる仕事であった[14]。
- 2010年2月27日放送の『トリビアの泉』の特番にて高橋が自らトリビアを投稿し、自身が『ピタゴラ装置』のギネス世界記録を持っていることを明かした。しかし、確認VTRにおいて高橋は実際はギネス記録に挑戦していたグループの現場にたまたま居合わせただけだったことが発覚した。
- 劇団離風霊船時代に、劇団遊眠社出身の田山涼成に出会ったことが縁で、その後彼の所属事務所(シス・カンパニー)への所属が決まった[2]。
- 初主演映画『向田理髪店』の監督・森岡利行とは、劇団離風霊船で一緒に芝居をしていた[2]。
- 過去に喫茶店で女性に水を掛けられた事があると「トリビアの泉」の一言オチで告白した。
受賞歴
- 2024年
-
出演
テレビドラマ
- 1990年代
- 2000年代
- 2010年代
- 2020年代
配信ドラマ
映画
舞台
- ゴジラ(1987年 - 1992年、劇団離風霊船)
- ラジャ〜お父さんのガリバー旅行記〜(1989年、青山円形劇場)
- 赤い鳥逃げた…(1989年・1995年、劇団離風霊船)
- ラストスパート(1991年、劇団離風霊船)
- 「誕生」するなら…(1994年、劇団離風霊船)
- 烏賊ホテル(1994年)あなただけ、今晩は Part 5
- 力こぶ(1994年、しあわせの会、タイニイアリス)出演、プロデュース
- 青木さん家の奥さん(1998年・2000年、南河内万歳一座)
- きらめく星座(1999年、こまつ座全国公演)
- 夢の裂け目(2001年・2010年、新国立劇場小劇場)
- 第17捕虜収容所(2001年)
- おかしな 2人(2002年、パルコ劇場)
- 夢の泪(2003年、新国立劇場小劇場)
- 美しきものの伝説(2004年、紀伊國屋ホール)
- ダム・ウェイター(2004年、シアタートラム)
- ピローマン(2004年、パルコ劇場)
- 新編・吾輩は猫である(2005年、シアタートラム)
- 屋上の狂人(2006年、シアタートラム)
- 夢の痂(かさぶた)(2006年、新国立劇場小劇場)
- 夢のゆりかご(2006年)紀伊國屋ホール)
- 禿禿祭(はげちびさい)(2007年、世田谷パブリックシアター)
- 写楽考(2007年、Bunkamura シアターコクーン)
- シェイクスピアソナタ(2007年、パルコ劇場)
- 瞼の母(2008年、世田谷パブリックシアター)
- KERA・MAP#005「あれから」(2008年、世田谷パブリックシアター)
- 夜の来訪者(2009年、紀伊國屋ホール)
- バンデラスと憂鬱な珈琲(2009年、世田谷パブリックシアター)
- 叔母との旅(2010年・2012年、青山円形劇場)
- 大人は、かく戦えり(2011年、新国立劇場小劇場)
- シレンとラギ(2012年、青山劇場)
- 彩の国シェイクスピア・シリーズ第28弾『ヴェニスの商人』(2013年、彩の国さいたま芸術劇場など)
- グッドバイ(2013年、シアタートラム)
- 抜目のない未亡人(2014年、新国立劇場中劇場)
- 鼬(2014年、世田谷パブリックシアター)
- ナイスガイ in ニューヨーク(2016年、シアタークリエなど)[48]
- 黒塚家の娘(2017年、シアタートラム)
- お蘭、登場(2018年、シアタートラムなど)
- 恋のヴェネチア狂騒曲(2019年、新国立劇場中劇場)
- 女の一生(2020年・2022年、新橋演舞場など)
- Home, I'm Darling〜愛しのマイホーム〜(英語版)(2021年、シアタークリエ)[49]
- セールスマンの死(2022年、パルコ劇場)[50]
- いきなり本読み! in 東京芸術劇場(2022年、東京芸術劇場プレイハウス)
- 帰ってきたマイ・ブラザー(2023年、世田谷パブリックシアターなど)
- 奏劇 vol.3『メトロノーム・デュエット』(2023年、よみうり大手町ホール) - 山脇 役(主演)[51]
- 橋からの眺め(2023年)
- 海をゆく者(2023年・2024年、パルコ劇場など)[52]
- リア王(2024年、東京芸術劇場プレイハウスなど) - ケント伯 役[53][54]
- 昭和から騒ぎ(2025年、東京など)[55]
劇場アニメ
テレビアニメ
吹き替え
テレビ(バラエティ)
ナレーション
- しあわせドキュメント 結婚までの1週間(2008年4月 - 2009年3月、BS朝日)
- おふろダイアリー(2008年10月 - 2010年3月、フジテレビ)
- にっぽん紀行(2009年8月24日、NHK総合)案内人・ナレーション
- キッチンが走る!(2010年10月1日 - 2017年3月27日、NHK総合、関東・甲信越ローカル)
- 中国遺産物語(2011年6月11日 - 全6話、BSフジ)
- 原爆ドーム 〜その名に遺されたもの〜(2019年8月6日、テレビ新広島)
ラジオ
CM
CD
テレビ(その他)
脚注
注釈
- ^ 特にデビュー前の映画で見ていた成田三樹夫、原田芳雄などに会った(または共演した)時はとても感激したという[2]。
- ^ 高橋によると「父親は長門裕之さん系の彫りの深い顔で、稼業を継ぐ前は俳優に憧れていたみたいです」と回想している[2]。
- ^ 当時叔父が東京の中野で暮らしており、4年生の頃に泊まりがけで遊びに行き、叔父の車で夜の街をドライブして感動したことがきっかけ[3]。
- ^ ちなみに2年生の文化祭では、なぜかフォークではなくKISS(アメリカのロックバンド)の曲を披露した[3]。
- ^ 後日このことを父親に報告すると、「お前が役者になれるんだったら、(若い頃に)俺がとっくになってるわ!」と猛反対された[2]。
- ^ 話し合いでは、「オーディションに受かる役者はみんな舞台出身だから、舞台をやらなきゃだめだ」、「自分たちで映画を作りたいけどお金がかかるから劇団をやろう」などの意見が出た[2][3]。
- ^ 特に選考委員の一人である井上ひさしから大絶賛された[2]。
- ^ 福岡・熊本先行公開、その他地域では10月14日公開[46]。
出典
外部リンク