静岡鉄道静岡清水線
静岡清水線(しずおかしみずせん)は、静岡県静岡市葵区の新静岡駅と、同市清水区の新清水駅を結ぶ静岡鉄道の鉄道路線である。静岡鉄道の現有唯一の路線であり、単に「静鉄電車(しずてつでんしゃ)」とも称される。
路線データ
運行形態
全列車2両編成ワンマン運転で、各駅に停車する普通列車となっている。平日は朝ラッシュ時間帯に最大1時間11本、土曜休日の終日と平日の昼間は8分間隔の高頻度運転を行っており、昼間の列車は新静岡 - 新清水間を21分で結んでいる。新静岡 - 新清水間の全線通し運転が基本であるが、長沼駅の北側に隣接して長沼車庫(静岡鉄道では鉄道運転所と称する)があるため、朝夕ラッシュ時の前後には出入庫運用として、柚木発新静岡行き、新静岡発柚木行き、新清水発長沼行き、長沼発新清水行きの区間列車が数本設定されている。
ワンマン運転は列車内で乗車整理券を発行せず、駅で運賃を収受する都市型ワンマン運転を行っており、駅ではホーム側の全てのドアが開く。
かつて運行されていた種別
かつては以下のような速達種別も運行されていた。
- 急行
- 2011年(平成23年)10月1日のダイヤ改正で、15年ぶりに急行運転が復活し、平日朝に新清水行きが運行されていた。停車駅は、新静岡・県総合運動場・草薙・御門台・狐ヶ崎・桜橋・新清水。いずれも乗降客が多い駅である[2]。その反面、利用客の少ない県立美術館前駅と入江岡駅は区間運転の普通列車が運行しない区間の駅であるにもかかわらず急行は通過となり、朝ラッシュ時は実質減便となった。なお、急行列車が先行する普通列車を追い抜くことはないが、県総合運動場駅で新静岡発県総合運動場行の区間列車から接続していた。
- 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行の影響による利用者減のため、2020年4月13日から運休となり、2021年10月10日のダイヤ改正で再度時刻表から削除された[3]。
- これ以前に設定されていた急行は、日中も運転され、運動場前駅(現・県総合運動場駅)で先発の普通列車を追い抜く運転も行われていた[1] が、1985年(昭和60年)からは通過駅の乗車機会向上のため各駅に停車する普通が増発され、急行運転は平日の朝夕のみとなった。その後急行は1996年(平成8年)4月1日のダイヤ改正で廃止され[1]、2011年10月1日の改正で復活するまでの間、定期列車はすべて普通列車のみで運行されていた。
- 通勤急行
- 2011年10月1日のダイヤ改正で新設され、平日朝に新静岡行きが運行されていたが、急行と同じく2020年の運休を経て2021年10月にダイヤ上から削除された。運行当時の停車駅は新清水・桜橋・狐ケ崎・御門台・草薙・古庄・日吉町・新静岡。早朝の2本のみ、県総合運動場駅で普通列車を追い抜いていた。
- 臨時急行
- 臨時急行は、2011年12月10日 - 2012年(平成24年)1月9日の土日祝日(12月31日を除く)に「セノバ号」として運行されたのが初めてであり、この時は新静岡と古庄 - 新清水の各駅に(新静岡行きは日吉町駅にも)停車した。次いで2012年の4月7日・8日の両日に、「静岡まつり」の観客輸送対応列車(列車愛称なし)として運転され、この時は下り列車(新清水行き)は通常運転されている急行の停車駅に、上り列車(新静岡行き)は、同じく通勤急行の停車駅に停車した。
設備
現在は全駅に自動券売機、ICカードチャージ機、自動改札機(全レーンICカード対応)が設置されている。乗車カードは、自社の「LuLuCa」、PiTaPa、及びPiTaPaと相互利用可能なICカード(Suica・PASMO・Kitaca・TOICA・manaca・ICOCA・はやかけん・nimoca・SUGOCA)が利用できる。このほか、2022年7月31日まで磁気プリペイドカード「パサールカード」が利用できた[4]。なお、LuLuCa以外のICカードについては入江岡駅以外の対応自動券売機にてチャージができる。
同路線の踏切は、遮断機の遮断かんを視認性向上のために従来の黄色・黒の縞模様からより目に付きやすい赤・白のものに逐次交換している。新静岡駅付近等での試験的な使用を経て、2009年現在は主要箇所で遮断かんの交換が完了した(警報機の塗装変更は行われていない)[5][6]。
車両
1960年代までは長沼駅に隣接する自社の長沼工場で製造した電車が在籍していたほか、他社からの譲渡車もあったが、1973年(昭和48年)から1985年(昭和60年)にかけて新製された1000形にすべて置き換えられた。
ほかに車庫の奥に1926年(大正15年)に製造された電動貨車デワ1形[7][8]が保存されている。構内の一角に保存されている無蓋車ト2の一端およびデワ1には、全国的にも貴重なバッファー・リンク式連結器が装備されている[8]。
2016年(平成28年)春からA3000形[9]の導入が始まった。2022年(令和4年)度までに12編成の車両をA3000形に置き換える計画となっている[10][11]。
運行形態の節で述べたとおり、全列車が2両編成でラッシュ時や多客期でも増結は一切行われない。
現用車両
A3000形
1000形の置き換え用に製造された車両で、2016年3月24日から営業運転を開始した[12][13]。製造は総合車両製作所横浜事業所が担当している[9]。2024年2月23日に最後の1編成が営業運転を開始[14]、これにより計画された12編成全ての導入が完了した。
2017年5月24日、鉄道友の会が選定する2017年第57回ローレル賞を受賞した[15]。
過去の車両
駿遠電気時代の電車
電化開業時に用意した木製単車14両の記録は不完全である。1-3(定員40人)、附随客車附1-3(定員40人)は玉川電気鉄道より、番号不明5両(定員40人)が美濃電気軌道より、そして前歴不明の11-13(定員40人)。これらは早期に処分されている。美濃電の5両は1921年及び1923年に廃車。玉電6両は1925年に1-3、1926年に附1-3が秋葉線へ転属、1929年に11・12が散水車となり13が廃車となる。なお1926年に入線した池上電気鉄道丙号電車(11・12)は静岡電気鉄道より譲渡されているが旧番号不明である[16]。1921年に入線した木製ボギー車22、24(日本車輌製、定員65人)は1923年に池上電気鉄道へ売却され乙号電車となった。
静岡電気鉄道時代の電車(1923-1943)
- ボギー車
- モハ20形(20 - 23・25)1924年認可、木製、定員65人、1937年に30 - 33・35の鋼体化により発生した車体を載せ変えて新30 - 33・35となる[17]。
- モハ30形(30 - 33・35)1924年認可、木製、定員65人、1937年日本車両で鋼製車体を新製して300 - 303・305となる[18]。
- モハ100形(100・101) 1927年日本車輌製、木製、定員78人、100は1947年台車のみ江ノ電へ売却[19]、1954年7月1日の改番により101→モハ3、のちクハ6(2代目)へ改造[20][21]
- モハ120形(120・121) 1930年日本車輌製、半鋼製、定員108人、片側3扉(中央扉は両開)、大型すぎて1937-1938年西武鉄道と渥美電鉄(豊橋鉄道渥美線)に売却[22]
- モハ80形(80 - 82) 1936年に西武鉄道新宿軌道線(都電杉並線)38-40(1927年汽車会社製、木製)を購入[23]。1954年7月1日の改番によりモハ65(65-67)[20] となり1956年に鋼体化される[24]。
- モハ300形(300 - 303・305)1937年日本車輌製、半鋼製,、30-33・35の鋼体化[25]、1954年7月1日の改番によりモハ10-13・15、その後モハ10→クハ11、モハ12→クハ5(2代目)、モハ13→クハ15[20]
- モハ200形(200・201)1939年木南車輌製、半鋼製[18]、1954年7月1日の改番によりモハ5・6[20]
- モハ220形(220 - 222)1939年木南車輌製、半鋼製[26]、1954年7月1日の改番により220→モハ7(2代目)、221→モハ8、222→モハ9、その後モハ8→クハ1(2代目)→モハ1(2代目)[20]
静岡鉄道成立以後
終戦間近の1945年6月20日と7月6日の空襲により主力の200・220・300形の10両のうち7両が被災した[27]。これらは1946年から1948年までに復旧されたが[28]、輸送整備のため1946年東急よりモハ1・2・7 - 9を購入。さらにデハ3251・3252が入線し、続いて近江鉄道、国鉄より車両を調達した。
戦時中に鷹匠町車庫が手狭になり、湿地帯で稲作にむかず蓮田となっていた静岡市東部の長沼地区を苦労しながら埋め立てて車両基地を建設した。戦後、藤相線と中遠線の連絡線(全通により駿遠線となる)の用地として払い下げを受けた陸軍遠江射場に建つ木造の大砲格納庫[注釈 1]を車庫として移築して整備を進めた[39]。そして、戦災車両の復旧や転入車両の改造を手掛け、1957年の静岡国体開催にあたり、3両の車両の新製を始めるまでになった。やがて急増する旅客輸送のため、従来型の2両編成の定員220人を300人程度までにすることを目的に大型の100形が投入され、続いて300形・350形と「静鉄形電車」が生産されることになる。しかし、大型車の導入によりラッシュ時には変電所がパンクすることも多かったため、のちに変電所の設備が増強された[40]。
自社製の車両は、1986年(昭和61年)に福井鉄道へ譲渡された300形を最後に、同線から姿を消した。
1000形
静岡清水線の在来車両置き換え用に製造された車両である。1973年に営業運転を開始した[41]。東急車輛製造にて1985年までに2両編成12本(合計24両)が製造された。
2016年からA3000形への置き換えが進められ[11]、2016年3月24日のA3000形の営業運転開始に先立ち、1000形として初めてクモハ1004 - クハ1504編成が同年3月11日に営業運転を終了した[42]。2023年7月16日までに1004編成[42]、1002編成[43]、1003編成[44]、1005編成[45]、1007編成[45]、1001編成[46]、1006編成[46]、1009編成[47]、1010編成[48]、1012編成[49]、1011編成[50]の順で計11編成が引退している。そして2024年6月30日に最後の1008編成が引退した[51][41]。
貨車
電化時に用意された車両は電動無蓋貨車(デ1・2)、無蓋貨車(ト1 - 3・5 - 11)1924年に電動有蓋貨車(デ3・5・6)、有蓋貨車ワ1 - 3、5・6が増備され、1926年に電動有蓋貨車(デ10-12)が増備される。1927年にデ3・5が秋葉線に転出、かわりにト12・13、ワフ7 - 9転入。1930年に無蓋貨車(トコ20-23)が製作される。しかし不況と自動車の進出により貨物量が激減し、1937年にデ6、ワ5、ト1・2・5・7・9 - 11が廃車(同時に秋葉線より貨車2両が転入)となり1941年には貨物は廃止された。以後の車両の動きは不明。
- 特記事項を除き澤内一晃「静岡鉄道デワ1+ト1を見る」『J TRAIN』No.31を参照
1997年(平成9年)までは車籍の無い入換用機械として、旧鶴見臨港鉄道の生き残りであるクモハ18形20が使用されていたが、同年東急から保線用の無蓋車(ダンプトロリー)と共に導入したモーターカーに役目を譲った形で長期に渡って留置され、その後老朽化が著しく進行していたため2007年(平成19年)3月に解体された。解体前にはさよなら撮影会が開催されている[52]。
車両数の変遷
年 |
A3000形 |
1000形 |
300形 |
クモハ350形 |
計(冷房車)
|
1982-1984 |
|
20 |
6 |
2 |
28(04)
|
1985 |
|
22 |
6 |
|
28(06)
|
1986 |
|
24 |
2 |
|
26(08)
|
1987 |
|
24 |
|
|
24(10)
|
1988-1989 |
|
24 |
|
|
24(16)
|
1990-2006 |
|
24 |
|
|
24(24)
|
2016 |
2 |
22 |
|
|
24(24)
|
- 事業用車除く
- 1982・83年は1月1日現在、84年以降は4月1日現在
- 1982年 - 2006年は『私鉄車両編成表』各年版、ジェー・アール・アール より
利用状況
輸送実績
静岡清水線の近年の輸送実績を下表に記す。
表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別輸送実績
年 度
|
輸送実績(乗車人員):万人/年度
|
輸送密度 人/1日
|
特 記 事 項
|
通勤定期
|
通学定期
|
定 期 外
|
合 計
|
1975年(昭和50年)
|
634.2
|
351.4
|
950.9
|
1936.5
|
24,452
|
|
1976年(昭和51年)
|
587.9
|
335.3
|
951.4
|
1874.6
|
23,754
|
|
1977年(昭和52年)
|
569.8
|
316.8
|
901.1
|
1787.7
|
22,795
|
|
1978年(昭和53年)
|
542.0
|
307.9
|
879.5
|
1729.5
|
22,181
|
|
1979年(昭和54年)
|
518.3
|
292.8
|
840.5
|
1651.6
|
21,222
|
|
1980年(昭和55年)
|
525.9
|
285.1
|
822.5
|
1633.6
|
21,166
|
|
1981年(昭和56年)
|
514.1
|
273.1
|
784.5
|
1571.8
|
|
|
1982年(昭和57年)
|
495.5
|
257.3
|
771.2
|
1524.0
|
|
|
1983年(昭和58年)
|
476.9
|
254.2
|
736.7
|
1467.8
|
|
|
1984年(昭和59年)
|
456.5
|
239.4
|
704.1
|
1400.0
|
|
|
1985年(昭和60年)
|
442.7
|
243.5
|
699.2
|
1385.4
|
|
|
1986年(昭和61年)
|
436.5
|
251.7
|
699.0
|
1387.2
|
|
|
1987年(昭和62年)
|
435.8
|
265.7
|
695.6
|
1397.1
|
|
|
1988年(昭和63年)
|
447.9
|
272.8
|
692.6
|
1413.3
|
|
|
1989年(平成元年)
|
443.6
|
276.8
|
694.4
|
1414.8
|
|
|
1990年(平成2年)
|
444.5
|
305.7
|
700.7
|
1450.9
|
|
|
1991年(平成3年)
|
446.9
|
307.1
|
725.0
|
1479.0
|
|
|
1992年(平成4年)
|
444.1
|
294.0
|
715.9
|
1454.0
|
|
|
1993年(平成5年)
|
430.2
|
276.6
|
737.4
|
1444.2
|
|
|
1994年(平成6年)
|
417.7
|
276.1
|
746.4
|
1440.2
|
|
|
1995年(平成7年)
|
395.0
|
268.1
|
728.2
|
1391.3
|
17,026
|
|
1996年(平成8年)
|
384.9
|
264.5
|
747.8
|
1397.2
|
17,091
|
|
1997年(平成9年)
|
370.8
|
245.3
|
726.1
|
1342.2
|
16,435
|
|
1998年(平成10年)
|
336.2
|
228.2
|
734.0
|
1298.4
|
15,959
|
|
1999年(平成11年)
|
321.9
|
178.4
|
749.5
|
1249.8
|
15,505
|
|
2000年(平成12年)
|
310.4
|
154.1
|
722.2
|
1186.7
|
14,864
|
|
2001年(平成13年)
|
295.6
|
144.1
|
721.2
|
1160.9
|
14,653
|
|
2002年(平成14年)
|
287.8
|
140.9
|
714.1
|
1142.8
|
14,398
|
|
2003年(平成15年)
|
285.9
|
132.5
|
737.7
|
1156.1
|
14,675
|
|
2004年(平成16年)
|
299.0
|
133.1
|
730.0
|
1162.3
|
14,946
|
|
2005年(平成17年)
|
|
|
|
1169.9
|
|
|
2006年(平成18年)
|
|
|
|
1165.9
|
|
|
2007年(平成19年)
|
|
|
|
1164.9
|
|
|
2008年(平成20年)
|
|
|
|
1157.6
|
|
|
2009年(平成21年)
|
303.5
|
111.9
|
638.6
|
1054.0
|
14,114
|
|
2010年(平成22年)
|
|
|
|
1034.1
|
|
|
2011年(平成23年)
|
|
|
|
1076.0
|
|
|
2012年(平成24年)
|
326.2
|
114.9
|
664.0
|
1105.1
|
14,751
|
|
2013年(平成25年)
|
347.2
|
120.4
|
629.2
|
1096.8
|
14,718
|
|
2014年(平成26年)
|
386.1
|
114.4
|
619.6
|
1120.1
|
15,076
|
|
2015年(平成27年)
|
407.3
|
116.9
|
628.9
|
1153.1
|
15,449
|
|
2016年(平成28年)
|
419.4
|
121.5
|
638.3
|
1179.2
|
15,820
|
|
2017年(平成29年)
|
439.4
|
126.6
|
641.5
|
1207.5
|
16,133
|
[53]
|
2018年(平成30年)
|
450.3
|
132.7
|
648.8
|
1231.8
|
16,360
|
[54]
|
2019年(令和元年)
|
471.8
|
137.5
|
620.4
|
1229.7
|
16,235
|
|
2020年(令和2年)
|
405.9
|
106.4
|
402.3
|
914.6
|
12,269
|
|
収入実績
静岡清水線の近年の収入実績を下表に記す。
表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別収入実績
年 度
|
旅客運賃収入:千円/年度
|
運輸雑収 千円/年度
|
総合計 千円/年度
|
通勤定期
|
通学定期
|
定 期 外
|
手小荷物
|
合 計
|
1975年(昭和50年)
|
421,670
|
←←←←
|
733,046
|
0
|
1,154,716
|
1,591
|
1,156,307
|
1976年(昭和51年)
|
409,239
|
←←←←
|
766,098
|
0
|
1,175,337
|
2,732
|
1,178,069
|
1977年(昭和52年)
|
462,787
|
←←←←
|
885,961
|
0
|
1,348,748
|
4,387
|
1,353,135
|
1978年(昭和53年)
|
453,710
|
←←←←
|
888,728
|
0
|
1,342,439
|
3,593
|
1,346,032
|
1979年(昭和54年)
|
502,580
|
←←←←
|
955,257
|
0
|
1,457,837
|
3,858
|
1,461,696
|
1980年(昭和55年)
|
509,606
|
←←←←
|
950,884
|
0
|
1,460,490
|
5,079
|
1,465,569
|
1981年(昭和56年)
|
563,158
|
←←←←
|
1,010,710
|
0
|
1,573,868
|
8,209
|
1,582,077
|
1982年(昭和57年)
|
545,437
|
←←←←
|
1,013,271
|
0
|
1,558,708
|
16,565
|
1,575,273
|
1983年(昭和58年)
|
579,237
|
←←←←
|
1,037,385
|
0
|
1,616,622
|
17,069
|
1,633,691
|
1984年(昭和59年)
|
554,336
|
←←←←
|
985,782
|
0
|
1,540,118
|
27,442
|
1,567,559
|
1985年(昭和60年)
|
558,390
|
←←←←
|
1,015,410
|
0
|
1,573,800
|
19,777
|
1,593,577
|
1986年(昭和61年)
|
599,615
|
←←←←
|
1,077,728
|
0
|
1,677,343
|
18,318
|
1,695,661
|
1987年(昭和62年)
|
432,810
|
171,178
|
1,071,207
|
0
|
1,675,195
|
19,369
|
1,694,564
|
1988年(昭和63年)
|
438,975
|
173,914
|
1,068,018
|
0
|
1,680,907
|
19,379
|
1,700,286
|
1989年(平成元年)
|
432,030
|
174,653
|
1,067,728
|
0
|
1,674,411
|
23,343
|
1,697,754
|
1990年(平成2年)
|
427,753
|
189,862
|
1,075,154
|
0
|
1,692,769
|
25,725
|
1,718,494
|
1991年(平成3年)
|
427,398
|
189,065
|
1,106,645
|
0
|
1,723,108
|
30,570
|
1,753,678
|
1992年(平成4年)
|
421,551
|
179,688
|
1,093,684
|
0
|
1,694,923
|
30,300
|
1,725,223
|
1993年(平成5年)
|
405,558
|
168,955
|
1,121,256
|
0
|
1,695,769
|
10,482
|
1,706,251
|
1994年(平成6年)
|
393,791
|
170,149
|
1,138,311
|
0
|
1,702,251
|
30,432
|
1,732,683
|
1995年(平成7年)
|
374,495
|
165,759
|
1,112,110
|
0
|
1,652,364
|
33,933
|
1,686,297
|
1996年(平成8年)
|
364,238
|
161,738
|
1,139,402
|
0
|
1,665,378
|
34,506
|
1,699,884
|
1997年(平成9年)
|
342,965
|
146,585
|
1,111,654
|
0
|
1,601,204
|
29,477
|
1,630,681
|
1998年(平成10年)
|
306,777
|
136,543
|
1,114,001
|
0
|
1,557,321
|
27,912
|
1,585,233
|
1999年(平成11年)
|
291,790
|
113,215
|
1,136,482
|
0
|
1,541,487
|
25,592
|
1,567,079
|
2000年(平成12年)
|
280,422
|
101,407
|
1,098,065
|
0
|
1,479,894
|
29,300
|
1,509,194
|
2001年(平成13年)
|
268,145
|
96,602
|
1,097,685
|
0
|
1,462,432
|
28,787
|
1,491,219
|
2002年(平成14年)
|
259,489
|
95,545
|
1,086,192
|
0
|
1,441,226
|
29,380
|
1,470,606
|
2003年(平成15年)
|
266,356
|
91,515
|
1,111,913
|
0
|
1,469,784
|
33,725
|
1,503,509
|
2004年(平成16年)
|
283,249
|
88,513
|
1,103,838
|
0
|
1,475,600
|
35,020
|
1,510,620
|
2005年(平成17年)
|
|
|
|
0
|
1,487,105
|
33,239
|
1,520,344
|
2006年(平成18年)
|
|
|
|
0
|
1,486,310
|
36,002
|
1,522,312
|
2007年(平成19年)
|
|
|
|
0
|
1,495,285
|
39,639
|
1,534,924
|
2008年(平成20年)
|
|
|
|
0
|
1,477,716
|
36,575
|
1,514,291
|
2009年(平成21年)
|
285,928
|
79,818
|
962,449
|
0
|
1,328,195
|
32,996
|
1,361,191
|
2010年(平成22年)
|
|
|
|
0
|
1,303,174
|
31,234
|
1,334,408
|
2011年(平成23年)
|
|
|
|
|
|
|
|
2012年(平成24年)
|
394,471
|
←←←←
|
1,008,440
|
0
|
1,402,911
|
38,592
|
1,441,503
|
2013年(平成25年)
|
417,431
|
←←←←
|
959,211
|
0
|
1,376,642
|
40,572
|
1,417,214
|
2014年(平成26年)
|
451,357
|
←←←←
|
998,942
|
0
|
1,450,299
|
35,238
|
1,485,537
|
2015年(平成27年)
|
473,921
|
←←←←
|
1,013,725
|
0
|
1,487,646
|
43,277
|
1,530,923
|
2016年(平成28年)
|
489,149
|
←←←←
|
1,020,424
|
0
|
1,509,573
|
52,060
|
1,561,633
|
2017年(平成29年)
|
509,789
|
←←←←
|
1,013,041
|
0
|
1,522,830
|
45,308
|
1,568,138
|
2018年(平成30年)
|
523,583
|
←←←←
|
1,017,255
|
0
|
1,540,838
|
46,551
|
1,587,389
|
2019年(令和元年)
|
555,898
|
←←←←
|
1,012,905
|
0
|
1,568,803
|
47,352
|
1,616,155
|
2020年(令和2年)
|
487,076
|
←←←←
|
684,292
|
0
|
1,171,368
|
34,924
|
1,206,292
|
戦前の輸送実績
年度 |
輸送人員(人) |
貨物量(トン)
|
1921 |
821,267 |
10,246
|
1923 |
1,370,653 |
29,548
|
1924 |
1,598,324 |
37,032
|
1925 |
1,958,106 |
34,255
|
1927 |
3,736,554 |
28,819
|
1929 |
4,669,471 |
24,994
|
1931 |
4,584,747 |
6,746
|
1933 |
5,115,941 |
15,693
|
1935 |
6,636,173 |
10,848
|
1937 |
7,508,276 |
10,127
|
1939 |
9,585,493 |
5,745
|
1941 |
14,766,758 |
861
|
- 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版
駅別乗降人員上位10駅
順位 |
駅名 |
人数
|
1 |
新静岡駅 |
18,386
|
2 |
草薙駅 |
7,101
|
3 |
新清水駅 |
6,100
|
4 |
狐ヶ崎駅 |
4,981
|
5 |
桜橋駅 |
4,419
|
6 |
古庄駅 |
3,348
|
7 |
県総合運動場駅 |
3,301
|
8 |
柚木駅 |
3,041
|
9 |
御門台駅 |
2,860
|
10 |
長沼駅 |
2,230
|
歴史
-
-
駿遠電気 社章 (静岡電鉄が継承)
-
静岡鉄道 社章 1953年制定
-
シンボルマーク 2019年使用開始
駅一覧
- 全駅静岡県静岡市内に所在(Google マップ)。
- 全列車普通列車(すべての駅に停車)。
- #印のある駅は列車待避可能駅(県総合運動場駅のみ)。
- 乗換駅についてはいずれもJRの駅と直接つながってはおらず[注釈 4]、駅を出て徒歩で移動する必要がある。また、定期券での連絡運輸も設定されていない。
新駅計画
当路線で駅間距離が最も長い狐ヶ崎駅 - 桜橋駅間の大坪・追分地区については、船越、岡、入江の各地区自治会から地域住民9,500名の署名を添えて新駅設置の陳情書が静岡市議会に提出された。静岡市議会で2014年2月の市議会で採択され、新駅設置に向けて検討を開始することとなった[61]。事業費は約5億1400万円と見込まれている[62]。
運賃
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2023年4月1日改定[63]。ICカード(LuLuCaカード及び全国相互利用交通系ICカード)、現金で乗車券を購入する場合ともに同額。
キロ程 |
運賃(円)
|
大人 |
小児
|
初乗り1 - 2 |
160 |
80
|
3 - 4 |
170 |
90
|
5 |
190 |
100
|
6 |
220 |
110
|
7 |
240 |
120
|
8 |
270 |
140
|
9 |
300 |
150
|
10 |
330 |
170
|
11 |
350 |
180
|
企画乗車券
- 静鉄電車ワンデーパス - 2023年4月1日から通年発売化[64]
- 電車バス1日フリー乗車券
- 静鉄バス+日本平ロープウェイ+久能山東照宮セット券
静岡清水線が登場する作品
ちびまる子ちゃん - アニメでもごく稀に静岡清水線が登場するものの、作者のさくらももこが小学三年生時代(1974年-1975年頃)の時代設定であり、登場する車両は旧型車両が多く、すでに当時の新型車両1000形が営業運転を開始している時期ではあるが、作中には一度も登場していない。
ビー・バップ・ハイスクール - 電車車内での乱闘シーンや沿線風景が登場する。
雪子さんの足音(2019年の映画)- 電車車内や新静岡駅が登場する。
ハルチカ〜ハルタとチカは青春する〜 - 列車を待つ描写で新清水駅が登場する。
模型戦士ガンプラビルダーズ ビギニングG - 第1部のゲーム内のステージに、長沼工場とその周辺が登場した。
脚注
注釈
- ^ 耐久性を鑑み、牧之原台地の海軍大井海軍航空隊基地に建つ鉄骨造の格納庫の移築を計画するも、全幅70m・全高10mと巨大であったため断念[39]。
- ^ 民間鉄道事業者で始めて運輸大臣表彰を受賞した[59]。
- ^ 途中駅乗客に対しての運賃収受添乗は、運転士の副行路となっていた。
- ^ 草薙駅はJRの駅と同名だが別の駅。しかし互いに最も近い駅ではある。
出典
- ^ a b c d e f 寺田裕一『データブック 日本の私鉄』ネコ・パブリッシング、2002年、p.83
- ^ “静鉄、「急行」を復活 10月に大規模ダイヤ改正”. 静岡新聞 (2011年9月21日). 2011年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月21日閲覧。
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- ^ 2009年 静岡鉄道株式会社 安全報告書〈鉄道〉(静岡鉄道) - ウェイバックマシン(2011年8月24日アーカイブ分)
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- ^ “2019年度 移動等円滑化取組計画書” (PDF). 静岡鉄道. p. 1 (2019年12月27日). 2020年7月15日閲覧。 “新型車両A3000形の導入を推進し、2022年度までに12編成の車両を置き換える。”
- ^ a b “2020年度 移動等円滑化取組計画書” (PDF). 静岡鉄道. pp. 1-2 (2020年7月6日). 2020年9月7日閲覧。 “現在静岡清水線で使用している13編成の車両の内、旧車(1000形)7編成は40年以上前に設計された車両であり移動円滑化が十分になされていないことから、新型車両A3000形の導入を推進し、2022年度までに12編成の車両を置き換える。/新型車両A3000形へ更新、置き換えを推進する。(2020年度2編成、2021年度1編成、2022年度1編成)”
- ^ 静鉄、新車両が出発 富士山をイメージ 静岡で式典 (静岡新聞) - ウェイバックマシン(2016年3月29日アーカイブ分)
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- ^ 『新型車両 A3012 号出発式のお知らせ』(PDF)(プレスリリース)静岡鉄道、2024年2月15日。https://www.shizutetsu.co.jp/media/pages/news/2023/hp24021502/5db24e6804-1707976397/hp2024021502.pdf。2024年2月24日閲覧。
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- ^ a b 百年史, pp. 74-75
- ^ “静岡鉄道 5駅を自動改札化 94年にストアード・フェアも”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1992年9月4日)
- ^ 平成26年2月定例会の結果 (静岡市議会) - ウェイバックマシン(2017年10月10日アーカイブ分)
- ^ “静岡市 追分・大坪地区新駅設置 新駅設置は必要と認識 事業費は約5億1400万円を見込む”. 建通新聞 (建通新聞社). (2014年2月20日). https://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/140219100034.html
- ^ “鉄道事業の旅客運賃改定について”. 2023年3月4日閲覧。
- ^ 『「静鉄電車ワンデーパス」通年販売開始のお知らせ』(PDF)(プレスリリース)静岡鉄道、2023年3月24日。https://www.shizutetsu.co.jp/media/pages/news/2022/20230324001/3c40ce7014-1679623831/00_mihon_230200____a4.pdf。2023年4月6日閲覧。
参考文献
- 今尾恵介 (監修)『日本鉄道旅行地図帳7 東海』新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8。
- 奥田愛三「静岡鉄道電車線」『鉄道ピクトリアル』No.140, 141、1963年。
- 再録:鉄道ピクトリアル編集部(編)「静岡鉄道電車線」『私鉄車両めぐり特輯』第3輯、鉄道図書刊行会、1982年4月、117-134頁。
- 和久田康雄『日本の市内電車 1895-1945』成山堂書店、2009年。
- 白土貞夫「近江鉄道(下)」『私鉄車両めぐり特輯』第3巻、鉄道図書刊行会、1982年4月。
- 横山波路「私と静岡鉄道」『RAIL FAN』No.595-597、2002年。 (執筆者は終戦後まもなく静岡鉄道に入社 本社及び駅舎の設計や大型車両100形の導入に携わる)
- 寺田裕一『データブック 日本の私鉄』ネコ・パブリッシング、2002年、83頁。
- 寺田裕一「ローカル私鉄を訪ねて 静岡鉄道」『鉄道ジャーナル』No.506、2008年12月、118-122頁。
- 静岡鉄道『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』2020年3月。
関連項目
外部リンク
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