清水港線

清水港線
跡地のモニュメント(2020年1月)
概要
現況 廃止
起終点 起点:清水駅
終点:三保駅
駅数 6駅
運営
開業 1916年7月10日 (1916-07-10)
旅客営業開始 1944年12月1日
廃止 1984年4月1日 (1984-4-1)[1]
所有者 鉄道院→鉄道省
運輸通信省運輸省
日本国有鉄道
路線諸元
路線総延長 8.3 km (5.2 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
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停車場・施設・接続路線(廃止当時)
STR
東海道本線
BHF
0.0 清水駅
xABZgr
←東海道本線
exDST
1.4 (貨)清水港駅
exBHF
2.3 清水埠頭駅
exLFTW
巴川橋梁 巴川
exBHF
3.3 巴川口駅
exBHF
6.1 折戸駅
exABZgl exKBSTeq
日本軽金属:清水工場専用線
exKBHFe
8.3 三保駅

清水港線(しみずこうせん)は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)の清水駅三保駅を結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線地方交通線)である。貨物輸送の衰退もあり、1980年昭和55年)の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行により第1次特定地方交通線に指定され、1984年(昭和59年)4月1日に全線が廃止され、バスに転換された。

路線データ

歴史

1916年大正5年)に東海道本線の貨物支線として江尻駅(現在の清水駅)から清水港駅までの区間が開業したが、1944年(昭和19年)7月に三保駅まで延伸、同年12月に旅客営業を開始するのと同時に東海道本線から分離独立し、清水港線という路線名が与えられた。

旅客営業開始時から、旅客営業は貨物列車客車を連結した混合列車によって行われた。最盛期には1日数往復の旅客列車が走り、昭和30年代には国鉄一の黒字路線(最も営業係数が小さい路線)になったこともあった[3]。しかしその後、モータリゼーションの影響によって衰退が始まり赤字路線に転落。1972年(昭和47年)以降は、旅客列車(混合列車)が1日1往復という、貨物専用路線を除いて日本一旅客列車の運行本数の少ない鉄道路線となった。

末期の清水港線のダイヤは、清水発が8時10分、三保発が16時14分のみという通学用に特化したダイヤ設定だった(利用者のほぼすべてが、折戸駅近くに立地する高校への通学客だった)。ただそれでも、競合するバスと比較して通学定期の運賃が数分の一程度で済むことから少なからぬ需要があった。また、バス会社側も当路線の特性を理解し、片道(主に下校時)だけでもバスが利用できるように特別な通学用回数券を販売していた。

  • 1916年大正5年)7月10日 - 東海道本線の貨物支線として、江尻 - 清水港間(1.0M ≒ 1.61 km)が開業、(貨)清水港駅新設[4]
  • 1930年昭和5年)
    • 2月1日 - 清水港 - 清水埠頭間(0.5M ≒ 0.80 km)が延伸開業、(貨)清水埠頭駅新設[5]
    • 4月1日 - マイル表示からメートル表示に変更(江尻 - 清水埠頭間 1.5M → 2.5 km)。
  • 1934年(昭和9年)12月1日 - 江尻駅が清水駅に改称[6]
  • 1944年(昭和19年)
    • 7月1日 - 清水埠頭 - 三保間(6.0 km)が延伸開業し全通、(貨)巴川口駅・(貨)三保駅新設、清水港 - 清水埠頭間改キロ(-0.2 km)[7]
    • 12月1日 - 全線で旅客営業開始、東海道本線から分離され清水港線となる。折戸駅新設、清水埠頭駅・巴川口駅・三保駅で旅客営業開始[8]
  • 1984年(昭和59年)4月1日 - 全線(8.3 km)廃止[1]静鉄バスに転換[1]

駅一覧

接続路線の事業者名は清水港線廃止時のもの。全線静岡県清水市(現・静岡市清水区)内に所在。

駅名 駅間
キロ
営業
キロ
接続路線
清水駅 - 0.0 日本国有鉄道:東海道本線
(貨)清水港駅 1.4 1.4  
清水埠頭駅 0.9 2.3  
巴川口駅 1.0 3.3  
折戸駅 2.8 6.1  
三保駅 2.2 8.3  

使用車両

かつてフェルケール博物館屋外展示場に保存されていた車両(2008年3月撮影)

上述のようなタンク車などとの貨客混合編成の運行は廃止時まで続いた。

廃止時にはDD13形ディーゼル機関車牽引のもと、静岡車両区清水派出所(静シミ)所属のスハフ42形オハ47形計5両が使用されていた。このうち、スハフ42 2184・2286、オハ47 2081の3両は廃止後、大井川鉄道(現・大井川鐵道)に譲渡され、それぞれスハフ42 184・286、オハ47 81として2020年令和2年)時点でも現役で使用されている。一方、スハフ42 2105は巴川口 - 折戸間のフェルケール博物館屋外展示場で、オハ47 2080は天竜二俣駅にて静態保存されていたが、いずれも解体され現存しない。

DD13形も4両が名古屋臨海鉄道へと譲渡され、このうち2両(224・226)は2012年(平成24年)までに廃車・解体されたが、306は2020年時点でも現役で使用され、225も車体が苫小牧港開発D5600形D5605のものに交換されているものの現役である。

蒸気機関車

  • C50形
    • 1962年(昭和37年)2月15日のダイヤ改正をもって、DD13形ディーゼル機関車に置き換えられた。

ディーゼル機関車

客車

貨車

三保ふれあい広場に保存されている車両(2008年4月撮影)

廃線後の状況

廃線後の輸送

  • 元来貨物輸送用の路線として建設されたが、1980年代の鉄道貨物輸送の全国的衰退にのまれた。沿線事業者は輸送手段をトラックおよびコンテナに切り替えたが、既に沿線の道路整備が進んでいたので、大きな障害にはならなかった。なお、清水駅そのものの貨物取り扱いも現在では廃止されている。
  • 旅客面での影響は極めて限定的であった。静鉄バスは代替バスを運行せず、既存路線を増発して対応した。また、清水駅南口から東海大学付属静岡翔洋高等学校・中等部までのバスが「清水港線」として運行されていたが、後年自家用バスによる運行に切り替えられて廃止されている。

廃線跡・設備の保存・再利用状況

清水港駅で使われたテルファークレーン
  • 清水駅構内の海側、東海道線のホームとは貨物ヤードを挟んで離れた場所にあった清水港線ホームの場所は、貨物ヤード跡地とともに清水テルサ(静岡市東部勤労者福祉センター)となった。その他、駅舎の橋上化と自由通路の整備などもあって、現在の清水駅には清水港線の存在をしのばせる物は残っていない。
  • 旧清水港線敷地の清水寄りの部分は、建設省の中部地方建設局(現・国土交通省中部地方整備局)の支援を受けて臨海部再開発が行われた。清水港駅跡地はエスパルスドリームプラザ清水マリンパーク、清水埠頭駅跡地は浪漫館、巴川口駅跡地は静清浄化センター(下水処理場)として整備された。
  • 清水港駅に設置され、貨車と船の間で木材を直接積み込める機能を持った「テルファークレーン」は、2000年(平成12年)に国の登録有形文化財に登録され、清水マリンパークの敷地内に保存されている。
  • 一方、巴川口駅の清水寄りの巴川に架かっていた巴川可動橋は撤去されている。一時は保存を望む声もあったが、老朽化と船舶の航行の妨げになるため実現しなかった。1890年(明治23年)に完成した巴川可動橋は、全長88.3メートルの昇開橋で、5基の橋桁のうち中央部が昇降するようになっており、通常は橋桁を上昇して船舶を通行させ、列車の通行時には橋桁を下降して列車を通行させるようになっていた。旅客鉄道の可動橋は日本全国でも佐賀線桜島線とここの3か所であった。
  • 巴川口駅から三保駅にかけては、旧路線跡が自転車・歩行者用道路(静岡県道377号静岡清水自転車道線の一部)として整備されている。折戸駅と三保駅の跡地はそれぞれ公園として整備され、三保駅跡の「三保ふれあい広場」ではかつての鉄道車両や機関車が静態保存されている。また上述のように「フェルケール博物館屋外展示場」にもスハフ42形客車が保存されていたが、老朽化が著しく、2010年(平成22年)6月に解体された。
  • フェルケール博物館内の常設展示室には清水港線にまつわる資料や模型が展示されている他、併設する缶詰記念館[9]敷地内には腕木式信号機2基と踏切警報機1基が保存されている。

脚注および参考文献

  1. ^ a b c “バス転換正式決定 四月一日から 静岡鉄道が代行”. 交通新聞 (交通協力会): p. 2. (-1984-01-28) 
  2. ^ 国鉄/JR線 廃線リスト”. OYAP's HomePage. 2023年5月8日閲覧。[出典無効]
  3. ^ 徳田耕一『新版 まるごとJR東海ぶらり沿線の旅』 Ver. 2 DX、七賢出版、2001年、178頁。ISBN 978-4-88-304459-7 
  4. ^ 「鉄道院告示第30号」『官報』1916年7月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 「鉄道省告示第14号」『官報』1930年1月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 「鉄道省告示第538号」『官報』1934年11月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「運輸通信省告示第332号・第333号」『官報』1944年06月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 「運輸通信省告示第579号・第580号・第581号」『官報』1944年11月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 缶詰記念館

外部リンク

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