長谷部 光泰(はせべ みつやす、1963年3月[4] - )は、日本の植物学者、理学博士である[5][6]。2025年現在、基礎生物学研究所教授および総合研究大学院大学教授を兼任している[6][4]。2020年から2023年まで基礎生物学研究所の副所長を務めた。現、日本植物学会会長[7]。
植物の分子機構およびその進化の解明を明らかにする研究を行っている[8]。植物細胞生物学、植物発生学、植物進化学などの幅広い領域で活躍している多くの研究者を育成した[9]。さらに、最新の知見を講義や講演することで若手研究者の育成に励んだだけでなく、ホームページや教科書などによって一般向けにも広く伝えている[9]。
主な研究テーマは、モデル植物であるヒメツリガネゴケを用いた、陸上植物の形態進化の根幹となった細胞分裂方向決定と幹細胞形成の解明および、食虫植物およびオジギソウを用いた、植物の運動や新奇形態形成についての解明である[8]。小葉植物イヌカタヒバと蘚類ヒメツリガネゴケのゲノム解読を行い、発生様式がどのような遺伝的基盤に基づいているかを明らかにし、陸上植物の体制進化の解明を目指している[5][10]。ヒメツリガネゴケを用いて、分化細胞が幹細胞に脱分化する分子機構の進化の研究も行っている[5][10]。また、昆虫の食草転換や、食虫植物の形態や消化酵素などの複合的な新規形質を引き起こす遺伝的基盤の研究も行っている[5]。
大学院では植物からDNAをとるのが困難だった時代に[11]、カエデ属やドクウツギ属の分子系統地理、葉緑体ゲノムの遺伝子を用いた裸子植物、グネツム類、シダ類の分子系統解析を行った[5]。このとき示した現生裸子植物の単系統性[12]は当時懐疑的にとらえられ[注釈 1]、植物分子系統学の大家であるマーク・チェイスにも批判されたが[11]、現在ではより広汎な領域を用いた複数の手法に基づいた分子系統解析により正しいことが認められている[15][16]。
1963年、千葉県千葉市に生まれる[5]。小学生のころは、同級生であった鵜澤武俊(現在大阪教育大学教授)宅で食虫植物を観察したことがきっかけで興味を持ち、食虫植物研究会に出入りするようになる[3]。高校でも鵜澤とともに生物研究会を立ち上げ、植物の栽培や観察を行った[17]。現役では東北大学を受験して落ち、浪人して京都大学を受験したが再び落ちて、翌年東京大学に入学する[17]。東京大学理学部植物学教室で植物学を学び[5]、1987年に卒業した[6]。同大学院理学研究科植物学専攻に進学[5]。指導教員は岩槻邦男[18]。1991年に博士課程を中退し、同研究室で東京大学理学部助手(1991年5月 - 1996年10月)を務める[6]。その間の1992年9月に博士(理学)を取得する[6][19]。また、1993年9月から1995年7月の間はアメリカ合衆国のパデュー大学に赴き、ジョー・アン・バンクスのもとで日本学術振興会 海外特別研究員も併任する[6][20]。
1996年11月からは岡崎国立共同研究機構の基礎生物学研究所で助教授を務める[6]。2000年7月から同研究所教授に昇進し、総合研究大学院大学の教授も兼任する(ともに現所属)[6][注釈 2]。1998年4月から2021年3月までは文部科学省研究振興局の科学官を務めた。2010年4月から2012年3月は、京都大学理学部の客員教授(兼任)も務めた。2013年4月には名古屋大学遺伝子実験施設の客員教授に就任し、現在も兼任している。2014年4月から2016年3月の間は総合研究大学院大学生命科学研究科の研究科長を、2020年4月から2023年3月までは基礎生物学研究所の副所長を務めた。2015年4月から2021年3月にかけては、科学技術振興機構国際科学技術共同研究推進事業の日本-中国共同研究 研究主幹を務めた。2025年3月2日から第32代日本植物学会会長に就任し、少なくとも2027年度定例代議員会終了まで務める[7]。永年にわたり植物進化学の研究と教育に努め、世界的な研究力強化に貢献したこと、研究者の育成に加え、ホームページや教科書などにより一般向けにも科学普及活動を行ってきたことから、日本の科学リテラシーの向上に貢献したとして、2022年に紫綬褒章を授かった[9]。
学術論文はここでは示さない。