長谷川 アーリアジャスール(はせがわ アーリアジャスール、波: آریا جسورو هاسگاوا、1988年10月29日 - )は、埼玉県鶴ヶ島市出身の元プロサッカー選手。現役時のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。
妻は元グラビアアイドルの滝川綾[4]。
父がイラン人で母が日本人[5][6]。日本で育ち日本国籍を選択した。小学4年生のときにサッカーを始める[2][7]。
小学時は長鶴サッカースポーツ少年団に在籍。中学時には坂戸ディプロマッツへ在籍。1学年上には小池純輝がいた。同3年時に、横浜F・マリノス専門スカウトが練習試合を直接訪れ、当時横浜FMユース監督を務めていた安達亮も獲得を望んだ事から横浜FMユース入団に至った[8]。ユース時代はボランチの位置でゲームメーカーとしてプレー[1]。ユース同期には斎藤陽介、田代真一、大久保翔、木村勝太、武田英二郎、森谷賢太郎などがいた。当時の憧れはブラジルのカカ[注 1]。
2007年、斉藤、田代と共に横浜FMトップチームへ昇格[10]。早野宏史監督によって3月3日の開幕戦先発メンバーに抜擢されると[注 2]、山瀬功治の決勝点をアシストする活躍を見せた[5]。続くJ1第2節もフル出場。しかし、同月13日の練習中に右第5中足骨基部骨折し戦線を離脱[11]。FIFA U-20ワールドカップ2007の出場を逃した。その後も負傷に苦しみ[7]、以降は出場機会を得られなかった。2008年6月、プロA契約を締結[12]。同年のJ1第33節・東京ヴェルディ戦では、後方から飛び出して相手のクリアボールをカットし、そのまま相手ゴールへ猛進。冷静にゴールマウスへ流し込み、プロ初得点を挙げた[13][14]。2009年からは、本職のボランチに加えトップ下など攻撃的なポジションでもプレー。相手の守備ブロックの間に入り込み[15]、シンプルなパスでチャンスを作った[16]。2010年にはFWも務めた[17]。2011年末、横浜FMから慰留される中、アルビレックス新潟、FC東京からオファーを受け争奪となった[18][6]。
2012年よりFC東京へ完全移籍[19][20]。シーズン前のスーパーカップやJ1第2節名古屋戦で早々と得点を挙げたことに加え[注 3]、持ち前のパスとドリブルを織り交ぜた推進力がチームとかみ合ったことで[14] 才能を開花させ[23]、ランコ・ポポヴィッチ監督の下でスターティングメンバーに定着。ボランチ、サイドハーフ、トップ下と複数のポジションを柔軟に務め[21]、相手からのプレスを受ける中でも安定した連係プレーで守備網を破った[24]。自身にとって初参戦となったAFCチャンピオンズリーグでの活躍からイラン代表の候補にもリストアップされたが[25][注 4]、5月、キリンチャレンジカップ・アゼルバイジャン戦に臨む日本代表に初招集され[27]、ベンチ入りしたものの出場は無かった。2013年はFC東京での副主将に就任[28]。同年9月、東慶悟の欠場に併せて左サイドハーフからトップ下へ移ると[29]、躍動感溢れるプレーで同月のリーグ戦連勝を支え、クラブ初となるJリーグ月間MVP[注 5] を受賞した[30]。シーズン終了後にはFC東京との契約延長を基本合意[31][32][23]。
2014年、長谷川が父と慕うポポヴィッチ[33] はセレッソ大阪の指揮を執るに当たり、自身の戦術を体現する選手[34] として長谷川獲得を熱望[32][23]。長谷川も自身の出場機会を重視したことで[35] 移籍を決断し[23]、1月に同クラブへの完全移籍が発表された[36][37]。攻撃陣との好連携を築き[38]、J1第4節鹿島戦では強烈なミドルシュートを突き刺して[39] 移籍後初得点を記録した。その後はチームの不調もあって中盤でバランスを取る役割を強いられ、苦心のプレーが続いた[40]。
2015年7月、ポポヴィッチが指揮するスペイン2部のレアル・サラゴサへ完全移籍[41][42]。同年8月の開幕節ミランデス戦で早速フル出場。同年12月のポポヴィッチ解任や外国籍枠を確保したいクラブ首脳陣の思惑により[43]、2016年1月にサラゴサとの契約を解除[44]。
2016年3月、湘南ベルマーレに加入[45]。即座に適応し、攻撃のアクセントや[46] 体を張る献身的プレーで貢献[47] するが、チームはJ2降格。
2017年、地元クラブの[48]大宮アルディージャへ完全移籍[49][50]。大宮ではベンチ暮らしが長く、チームもJ2に降格した。
2018年より名古屋グランパスに完全移籍で加入[51]。2019シーズンは主力としてリーグ戦30試合に出場したが、翌2020シーズンは1月のトレーニング中に右脛骨を骨折した[52] 影響もあり、デビュー以来初の公式戦出場無しに終わった。
2021年よりポポヴィッチが指揮するFC町田ゼルビアに完全移籍で加入[53]。
2022年11月3日、契約満了を発表[54]。
町田退団後の2023年は移籍先が決まらず、当時東京都リーグ1部所属のSHIBUYA CITY FCに練習参加していた[55] が、4月からガイナーレ鳥取への移籍が決まった[56]。
2024年シーズン終盤に現役を引退することを発表。同年11月17日開催のホーム最終戦(ツエーゲン金沢戦)終了後に引退セレモニーが設定された[57]。
2025年より、ガイナーレ鳥取クラブアンバサダーに就任した[58]。
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