近江神宮(おうみじんぐう)は、滋賀県大津市神宮町にある神社[N 1][N 2]。旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社で勅祭社でもある。
当地は、667年(天智天皇6年)に同天皇が飛鳥から遷都した近江大津宮の所在地と推定されている[2]。1908年(明治41年)の大津市制施行10周年を契機として、天智天皇をゆかりの地である大津宮跡に祀ろうという運動が起こり、1938年(昭和13年)に昭和天皇の勅旨によって官幣大社「近江神宮」の創建が決定、直ちに社殿の造営が始められ、1940年(昭和15年)11月7日に鎮座した[2][3]。
太平洋戦争後の1945年(昭和20年)12月15日、戦後復興を祭神(天智天皇)に祈願した昭和天皇の勅旨により、同神宮は勅祭社に治定された。1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列されている。
例祭は大津宮に遷都された記念日の4月20日に勅使が参向して行われる。このほか主な祭典として、6月10日(時の記念日)の漏刻祭[1][N 1][N 2]、7月7日(年により5日)の燃水祭、11月7日の御鎮座記念祭、12月1日(年により12月2日)の初穂講大祭、1月前半の日曜日のかるた祭(かるた開きの儀)などが行われる。また、日本古式弓馬術協会による武田流鎌倉派流鏑馬神事が11月3日に行われていたが、2015年(平成27年)から6月第1日曜日に変更された[N 3]。
日本で初めて水時計(漏刻)を設置した天智天皇を祀る神社として[N 1][N 2]、1941年(昭和16年)の時の記念日(6月10日)に第1回漏刻祭が開催され例年行事となった[4]。境内には各地の時計業者が寄進した日時計や漏刻(レプリカ)などが設けてあり[1]、時計館宝物館[1][N 2]と近江時計眼鏡宝飾専門学校[5]が境内に併設されている。
また、『小倉百人一首』の第1首目の歌を詠んだ天智天皇にちなみ、競技かるたのチャンピオンを決める名人位・クイーン位決定戦が毎年1月に行われている[N 4]。このほかにも高松宮記念杯歌かるた大会・高校選手権大会[N 5]などが開催されているように、百人一首・競技かるたとのかかわりが深い。競技かるたを題材にした漫画・テレビアニメ・映画『ちはやふる』の舞台ともなった[6][7][N 5][N 6][N 7]。
天智天皇の百人一首の歌の歌碑も設置され[6]、柿本人麻呂[6]・高市黒人の万葉歌碑、弘文天皇(大友皇子)の御製漢詩碑、芭蕉句碑[6]、保田與重郎の歌碑など多くの歌碑・句碑が作られている。
皇室との関係では、1943年(昭和18年)5月24日、昭和天皇から御神宝として御太刀一振が寄進された[8]。また、 1975年(昭和50年)5月26日、第26回全国植樹祭のために来県した昭和天皇、香淳皇后が行幸[9]。1994年(平成6年)10月28日、当時の天皇明仁と皇后美智子が参拝した[10]。
本殿など大部分の建物は1940年(昭和15年)、神楽殿を中心とする第二期工事部分は1944年(昭和19年)の建築である。自動車清祓所(旧大津裁判所本館車寄)は1890年(明治23年)の建築で、1971年(昭和46年)に移築された。
世界の時計約2300点を集めた時計をテーマとする博物館。天智天皇が日本で初めての時計である漏刻[12]を設置した経緯から、1963年(昭和38年)に時計歴史館として設立された。その後、時計博物館の名称も用いられたが、2010年(平成22年)に時計館宝物館として改装した[1]。スイスのオメガから寄贈された日本最古の時計である漏刻の復元模型[注 2]やロレックス社より寄贈された中国で使われていた火時計の復元模型、および日時計が屋外に展示されている[1]。1階の時計館展示室には各種の和時計や日本最古級の懐中時計など、貴重な実物の時計を展示している[1]。2階の宝物館展示室には、近江神宮の歴史に関する資料などのほか、重要文化財に指定される曾我蕭白「紙本墨画淡彩楼閣山水図」(高精度複製品 現物は琵琶湖文化館に寄託)をはじめ奉納された絵画や陶芸品などを展示する[13]。
近江神宮は13つの句碑、歌碑を境内に有している[14]。
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